「憲法を知らないんじゃない。憲法を勉強してないとか、頭が悪いとかそういうわけじゃない。いまの憲法や憲法学の理論や考え方を知った上であえてそれらをぶち壊そうとしているんだよ。敵を見誤ってはいけないよ。」
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) August 28, 2019
司法試験は思想を評価する試験ではないので現行憲法が志向している価値や考え方に納得していなくても一定の知識と能力があれば合格はするので、ややぶっ飛んだ憲法観を披瀝する司法試験合格経験のある政治家に対して「そんなんでよく司法試験受かったな」みたいな批判はあんまり効果的ではないような…
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) August 28, 2019
試験で採用されるところに潜り込んだから。
左翼解釈が「ごく普通の法的解釈」なわけない。
「このような自国の侵略責任に向かい合う作品が日本人作家によって自発的に造られ、さしたる妨害もなく日本各地に設置されるような状況であれば、事態は今日とは異なっていたはずだ。徴用工問題も同様である。それは多数の日本国民にとっても望ましい状況ではないか。」 https://t.co/McYtmS8jvf
— 弁護士神原元 (@kambara7) August 29, 2019
「日本は、可能であったはずのそのような道とは正反対の道を進んでいる。日本国民の多くは、理性的判断や自主的決定ができず、積極的にであれ、無関心ゆえであれ、支配層に従って、次の「終末」への道を歩んでいる。」
— 弁護士神原元 (@kambara7) August 29, 2019
「上から目線」ではなく、対等に見ている。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をヴェストファーレン体制ともいう。
この条約の成立によって、教皇・皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国の存在を前提として勢力均衡の中で国益をめぐり合従連衡を繰り返す国際秩序が形成された。
#左翼弁護士
シリアはどうなるんだろう。香港はどうなるんだろう。僕らは、どうなるんだろう。安心安全を旨とした政治、まともな給料、未来がより楽しくなると確信できる社会、頑張ればそれは大丈夫!という社会を生きていたいんだけど。。
— 藤本一郎 Fujimoto Ichiro (@ifujimoto) August 29, 2019
シリアでも香港でもアメリカが仕掛けている。
シリアの場合、反政府勢力が、自陣に有利に働くように、故意に市民に犠牲を強いてきた。
日本の政治経済の問題は、他人の犠牲に於いて自己の利益を図ろうとする者が主流を占めていることに原因がある。
京都の会社と商談していて、「良い時計してますなぁ」と言われ、時計のスペックを語ってしまった。実は本音が「話長えよ」という嫌味だったと気づいたときのおいらの気持ち。
さお飛びは、人々の願いのために自らを犠牲にして飛び込む「捨身(しゃしん)の行」で、平安時代から続くとされる。比叡山延暦寺(大津市)で百日回峰行を終えた行者が行う。
憲法が自由国家の理念に立ち、自由権の保障をそのなによりの狙いとしようとするとき、右にのべられたような自由国家的公共の福祉の原理は当然にそこに内在的に伴う。甲の自由権を保障することが、乙の自由権の侵害になることは許されないからである。
「私も芸術学士だが、これらのどこが芸術なのかサッパリ分からん。憎悪を育て死者を愚弄するのが芸術?表現の自由?ふざけんな」
専門家とは、極論を描いて叩いてみせるだけの人のことか (篠田 英朗)
仏陀のさとりは決してはるか遠くにあるのではなく、自分自身の心の中に本来存在していて、きわめて近くにあるものなのです。同様に仏陀の説かれる真実の教えというものも、どこかよそにあるのではなくて、自心の中にあるのですから、この身をおいて他にこれを求めても決して得られるものではないのです。
迷うのも悟るのも自分自身なのですから、自分が仏心に向う心を発しさえすれば自然に目的に近づけるのですし、道に明るいとか暗いとかいうのも、結局は自分自身が原因なのですから、正しい教えを信じ、かつ努力しさえすれば、必ず正しい目的に到達できるのであります。
けれども人々は、多くの場合、残念ながらこのことに気づかず、暗夜に長い眠りについている状態ですし、痛ましいことに、酔って正気を失っているようなありさまです。世間の現状は、酔いつぶれた者が逆に正気の者をあざわらったり、寝ぼけた者が覚めている者をあざけったりで、全く逆のありさまです。もし仏陀の正しい教えで救済しなければ、一体いつになったら、自心に仏陀が実在することに気づくことができるのでしょう。
#滝川事件#折田先生像#京都学派#尖った人材#東大教授#岡口基一
#日本の弁護士の問題
今や「大都市に住むミドルクラス」ですら想像を絶するほどのアホで構成されておる
#愚者の楽園
【時事】「法曹実務にとっての近代立憲主義」(判例時報臨時増刊2344号)には、#表現の自由 について、毛利透教授、市川正人教授、阪口正二郎教授の論攷が掲載されています。
— 判例時報社営業部 (@hanji_hanjiro) August 29, 2019
「法の担い手である法曹関係の方々に(中略)憲法の深い再学習が必要ではないかという認識が原点にある」(巻頭言より)
緑会講演会での團藤講演で印象的だったのは、学部生時代にほぼ全優の成績だったなか、後に指導教授となる小野清一郎教授の刑法だけが優ではなかったという点。あとは、修業時代にいかに勉強をしたかということと、自分の刑法学には(平野刑法学と違い)人間への愛があるというお話。
— Shimanami Ryo (@shimanamiryo) June 25, 2012
身近で容易なことから学んで、だんだんに高度で深い道理に通じること。また、手近なところから学び始めて、次第に進歩向上してゆくこと。
子曰く、
我れを知る莫きなるかな、と。
子貢曰く、
何為れぞ其れ子を知る莫きや、と。
子曰く、
天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。
我を知る者は、其れ天なるか、と。
まだ知らないことを身近な問題として取り上げ、熱心に問いただして考えること。
すべての事を身近な問題として切実に取りあげ、自分のこととして考えること。
子夏曰わく、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁其の中に在り。
The greatest enemy of knowledge is not ignorance; it is illusion of knowledge.
#勉強法
【凄すぎ】ヘルシンキ中央図書館が世界最高の図書館に選ばれるhttps://t.co/O3DffiBQSS
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2019年8月28日
通常の図書館として機能するだけでなく、3Dプリンターを備えた作業スペースや、最新ゲームの貸し出しなども行っているそう。 pic.twitter.com/0hypQcRs54