「即位の礼」 サービスの“平成流”から伝統の“昭和流”へ復古した理由 https://t.co/OmD5iCdCtv
— 文春オンライン (@bunshun_online) 2019年11月3日
「台風20号から変わった温帯低気圧の影響で、前夜からあいにくのひどい雨でしたが、平成の『即位礼正殿の儀』と違い、今回は屋外に参列者席を作らず、すべて屋内席にしたのが幸いしました。実は陛下は皇太子時代から“雨男”と有名で、『結婚の儀』も雨天だったくらいなので、屋外席を最初から作らないようにしたのは陛下のご配慮だったのかもしれませんね(笑)」(宮内記者)
「つまり、令和流では帳が開いて初めて両陛下のお姿が見える『宸儀初見(しんぎしょけん)』という登場方法を復活させたのです。これは昭和天皇の即位の礼まで長らく踏襲されていたやり方です。ただ、この方式では『松の間』の正面である長和殿に着席している一部の参列者にしか、両陛下のお姿は見えません」
平成の「即位礼正殿の儀」では、式部官長、宮内庁長官に続き(当時の)天皇皇后両陛下が「松の間」の北側から出発し、「梅の間」の側面、正面の回廊を経て「松の間」に入場、先に並んだ皇族方の間を通って高御座のうしろに回り、階段を上がって帳の中に入られた。
「高御座に入る前に、中庭に面した『梅の間』の前を通ることで、正殿を取り囲むように着席していた参列者らは、どこにいても両陛下のお姿を一度は肉眼で拝見することができたのです」(同前)
当時、それまでの伝統とは異なる“平成流”を巡って、強い反対も出たという。当時を知る皇室ジャーナリストはこう語る。
「戦後の憲法下で初の『即位の礼』となった前回は、国事行為となった宮中の儀式からいかに宗教色を抜くか、昭和天皇が崩御されてからの短い期間で考える必要がありました。
また、160カ国以上の海外の賓客がお見えになったため、その対応策も練る必要があった。昭和天皇の即位礼に参列したのは28カ国で、しかも駐日公大使のみが参加しており、本国から使節を派遣された例もなかったのです」
前例のない“海外からの賓客”を接遇するにあたり、当時の天皇(現上皇)は「せっかく来ていただいているのに見せ場が少なくては申し訳が立たない」との理由から、それまでと違うルートにされたのだという。
「当時の陛下のサービス精神の賜物です。しかし、このルート変更には、“伝統にそぐわない”と宮内庁内部からも強い反発がありました。そうした内部からの声に加え、かさばる即位関連予算を巡っても一般国民の間でデモや抗議活動が頻発していた。当時、皇太子としてこの状況を見ていた今の陛下や秋篠宮さまは、心を痛めておられたことでしょう」(当時の宮内記者)
「本来、国事行為である『即位の礼』の在り方に天皇や秋篠宮さまが口を出されることは憲法違反になりかねません。しかし、その危険を冒してでも変更のご意向を示すほど、強い思いがあったものと見えます。実際、山本信一郎宮内庁長官が定例会見で述べたように、会場には技術革新によって平成初期とは比べ物にならないほどに精度の増したモニターが多く取り付けられ、『松の間』での儀式の様子はとてもクリアに見えました。そうした最新の装置があれば、平成流を踏襲せずとも儀礼が成り立つ、とお考えになったのでしょう。伝統と、平成から引き継いだ国民へ寄り添う心の折衷が今回の“昭和復古”に繋がりました」(前出・皇室ジャーナリスト)
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