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日本と中国は、一衣帯水の隣国として古くから活発に交流し、現代に至るまで様々なことを学び合ってきました。ただ、知識や文化が伝わる方向は、時代によって大きく異なっていました。19世紀から20世紀にかけては、西洋流の学問や技術が、近代化に先んじた日本を経由して中国にもたらされました。一方、そこに至るまでの長い期間にわたって、日本は多くのことを中国から学んできました。実際、日本では、中国の古典や詩歌の学習が、学校教育にしっかり組み込まれています。

窮して困(くるし)まず、憂いて意(こころ)衰えず。

禍福(かふく)終始を知りて、惑わざるが為なり。

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その頃東洋の先哲とか、その書など、今も大して変りはないが、要するに前世紀の遺物のやうに見なして、若い学生達はほとんど顧みる者もなかつた。私が漢籍などを読んでゐると、異端といふより、むしろ奇物変人視されたものである。それでも私は意としなかつた。「かつて極めて少数の者にしか通じさうもない学問を、何のためにさう熱心に没頭するのかと問はれて、私はかう答へた。私には少数で十分だ。一人でも十分だ。一人もゐなくても十分だと」。「至善は外界からの手を求めない。内部から培はれ、それ自体から出でて全きものである」と、これはセネカの教へであるが、私もさう信じた。陽明も、天下悉く信じて多しとなさず。一人これを信ずるのみにして少しとなさずと説いている。この書はかういう心境で学問に没頭したときの所産である。

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高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きにまかせて学びたいと思うことを学ぶのがよいと思う。なおずっと後になって気づいたことだが、本をちゃんと読めるようになるには本の読み方を学ぶ必要があり、それを体にしみこむほど教えてくれた文学部の学問は、意外にも実用的であった。

十年ほどかかって、パズルでも解くように、自分の研究人生がおのずと形をなしてきた過程であった。今でもインドの山奥で石ころだらけの斜面を耕して生きる人々に会っては、民話など言語資料の収集と分析を続けている。いわゆるフィールドワークだが、自分にとってはつまるところ「なぜ生きるのか」という高校時代からの問いへの答えを求める旅である。

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 東洋では古来、学問とは次のようなことだとされてきた。
 「それ、学は通の為には非ざるなり。窮して困しまず、憂へて意衰へざるが為なり。禍福終始を知りて惑はざるが為なり」筍子。通とは、立身出世いうほどの意味である。
 日本でも明治以前は人格の培養と錬成が学問の目的であった。
 明治以降、日本では高等教育機関は、分析的、分業的、専門的知識の伝習の場となった。
 専門化、末梢化すればする程、それは人間としてのあるべき姿の根本から遠いものとなる恐れがある。分析的、概説的知識のみでは薄っぺらな人間味のない技術者や知識人を作ってしまう。

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本当の学問というものは、立身出世や就職などのためではなく、窮して困しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って、惑わないためである。〔荀子