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延々と黒板を数式で埋め尽くす日本の物理学徒に対して、ファインマンさんは、さらりと「なんだか物理学的に違和感がある」というような感想を洩らす。物理学徒は、数式が完璧だから自分は正しいと主張し、激論となる。

ファインマンさんにとって数学は言語であり、その言語で何を語るかが重要だった。だから、数式の背後にある物理現象をイメージしてみて、辻褄が合わないなと感じたのだ。ところが、数式だけが命の物理学徒には、イマジネーションが欠けているから、(数式を書き連ねるという意味では)雄弁なだけで中身がない。

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もう10年以上も前ですが、大学時代の恩師が東大法学部長時代に憂いていました。

「本来、裁判官というのは『これまでにない問題』に対してきわめて洗練された答えを出す仕事であり、それが判決というものなんだ。だから昔の裁判官は、本当に考えて考えて考え抜いて判決文を書いていた。
しかし、昨今の裁判官は、過去の判例からパターン的に判決を導いているような風潮がある。これをなんとか変えないとまずいことになる。法科大学院では『徹底的に考える法曹』を育てたい」と。

【津田】今の話で思い出したんですが、東大法学部の先輩で、昭和50年代に大蔵省にトップで入ったものすごい秀才がいました。
彼は司法試験もトップの成績で通ったんですが、試験のあとにどんな答案だったのかを、みんなの前で再現してみせてくれたんですよ。

それを見せてもらった同級生たちは、あっと驚いてしまった。なぜかというと、彼が答案中で引き合いに出している判例にはけっこう間違いがあったんです。

【鈴木】つまり、暗記に関してはかなりあやふやだったと(笑)。

【津田】そうなんです。しかし、答案そのものはとにかく徹底的に考えて書かれているので、論理性が非常に高い。だから知識が間違っていても、司法試験でトップになれたというわけなんですね。

当時の東大では、司法試験をいかに効率的にクリアするかという風潮があったんですが、彼の答案を見たことで「そうか、日本の法曹界が望んでいるのはこういう頭脳なんだ」とみんなの認識がガラッと変わりました。だから、その再現答案を見せてもらった人たちは、みんな翌年の司法試験に受かったそうです。

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当時、盛んにパターン化された答案ばかりだと司法試験合格者の資質が問題視されました。そのパターン化の原因は私にあるのですが、今回もご一緒した先生方に当時はそうした答案ばかりで法曹の質に問題があったのだと指摘を受けました。

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灘は数学の時間でも、徹底的に「証明」をやりますよね。証明ができるかできないかというのは、まさに論理的思考力の有無に直結しますから。

いまでも覚えていますが、いきなり定理の証明をやるのではなく、ユークリッドの『原論』みたいに、公理から見ていくんですよ。「1つの直線とその直線上にない1点が与えられたとき、その点を通りかつその直線と平行な直線は1つ存在する」というようなところからやりましたから。

【津田】僕も森本先生には個人的にご自宅で「古文」を習っていました。古文を日本語に訳していくんですが、わからない部分を勝手に想像して訳したりすると、ものすごく叱られた。
「国語というのは、いい加減に想像してものを言うことと違うんや。君らはまず言葉の意味がはっきりわかってへん。勝手に想像するな!」って。

【鈴木】似て非なる言葉の違いを、境界線をきっちり引いてちゃんと言い分けられないといけない。まさにdefinition(定義。語源は「境界線をはっきりさせること」の意)ですよ。

高校時代、先生はよくこう仰っていました。

「君らはこれから東大に入って、将来は弁護士とか国家公務員になろうと思ってるんやろ?
言葉遣いがいい加減な連中が、人を弁護したり判決・法律を書いたりしたら、人の命に関わる。無罪の人が有罪になるかもしれん。
言葉を疎かにしたらあかん!」

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最初に漢民族が困ったのは、黄河の氾濫である。つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。だから漢民族の始まりは、ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
それで、いろいろ水と戦ったのだが、何しろあの何千キロという河ですから、好余曲折して、ある所に治水工事をやると、水はとんでもない所へ転じて、思わざる所に大変な災害を引き起こす。苦情が絶えない。
そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、結局「水に抵抗しない」ということであった。水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。水を無抵抗にする。すなわち水を自由に遊ばせる。これが結論で、そこで水をゆっくりと、無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、これを「自適」と言うた。
適という字は行くという字。思うままに、つまり無抵抗に行く姿を自適という。抵抗がないから自然に落ち着いて、ゆったりと自ずからにして行く。これが「優遊自適」であります。

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 政治には「法」というものがなければならない。これも水偏です。

水はいわゆる公平の象徴である。公平に神獣の神秘的な直覚で正邪を判別して、その邪を去るのが法である。そして法という文字ができている。
まあそれは一、二の例でありますが、こういうふうに文字だの思想だの学問だの文化だのというものを点検してまいりますと、特に東洋では非常に自然と関連が深い。みな自然の体験と思索から発しておると申してよろしい。これが東洋精神、東洋文化というものを会得し解釈する最も根本の手掛かりであります。

#自然主義

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学問も結局は優遊自適でなければいけない。

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競争や軋轢に疲れ果てている日本人が忘れているのは、ゆったりとした快い生き方ではないだろうか。今こそ学ぶべき、名利を求めず、学問を楽しみ、芸に遊んだ安岡正篤先生の自由闊達な生き方のすべて。

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俗世間のわずらわしさを超越して、心のおもむくままにゆったりと日を過ごすこと。

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なりたち > 出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)

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正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来である。

適塾では、教える者と学ぶ者が互いに切磋琢磨し合うという制度で学問の研究がなされており、明治以降の学校制度とは異なるものであった。

塾生にとっての勉強は、蔵書の解読であった。「ヅーフ」(ヅーフ編オランダ日本語辞典)と呼ばれていた塾に1冊しかない写本の蘭和辞典が置かれている「ヅーフ部屋」には時を空けずに塾生が押しかけ、夜中に灯が消えたことがなかったという。

後に卒業生は適塾時代を振り返り、「目的なしの勉強」を提唱している。塾生は立身出世を求めたり勉強しながら始終わが身の行く末を案じるのではなく、純粋に学問修行に努め、物事のすべてに通じる理解力と判断力をもつことを養ったのである。

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我々は、常に『新字源』持ち歩き、朝から晩まで引いていた経験を持っています。

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高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きにまかせて学びたいと思うことを学ぶのがよいと思う。なおずっと後になって気づいたことだが、本をちゃんと読めるようになるには本の読み方を学ぶ必要があり、それを体にしみこむほど教えてくれた文学部の学問は、意外にも実用的であった。

十年ほどかかって、パズルでも解くように、自分の研究人生がおのずと形をなしてきた過程であった。今でもインドの山奥で石ころだらけの斜面を耕して生きる人々に会っては、民話など言語資料の収集と分析を続けている。いわゆるフィールドワークだが、自分にとってはつまるところ「なぜ生きるのか」という高校時代からの問いへの答えを求める旅である。

#勉強法

医師の松田道雄さんが書いた「育児の百科」。1967年に出版され、これまでの販売部数は累計183万部以上。

松田道雄さんは、明治41年生まれ。京都で町の小児科医をしたのち、60歳を前に執筆に専念し、育児書だけでなく、社会や歴史に関する著書を残しました。

「敗戦のあと、学校や病院につとめるようにすすめられたが、しばられるのがいやで開業医になった。/零細経営は朗かではあったが、楽ではなかった。副業が必要だった。小児科の医者にできることといえば育児書をかくしかなかった。」

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#日野原重明