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 今年の台風19号による洪水被害の状況は、あらためて水の脅威を思いおこさせる形となった。ふり返って、戦国時代はどうだったのだろうか。

 現在でも、武田信玄の信玄堤、加藤清正の清正堤の名で知られるように、信玄や清正が手がけた堤防が戦国武将による領民安寧の施策として伝えられている。実は、信玄堤や清正堤ほど有名ではないが、備前堤という名の堤防が各地に残されているのである。備前堤の名は、伊奈備前守忠次に由来する。

 伊奈忠次は、天文19(1550)年、三河松平氏の家臣、伊奈忠家の長男として生まれている。

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最初に漢民族が困ったのは、黄河の氾濫である。つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。だから漢民族の始まりは、ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
それで、いろいろ水と戦ったのだが、何しろあの何千キロという河ですから、好余曲折して、ある所に治水工事をやると、水はとんでもない所へ転じて、思わざる所に大変な災害を引き起こす。苦情が絶えない。
そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、結局「水に抵抗しない」ということであった。水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。水を無抵抗にする。すなわち水を自由に遊ばせる。これが結論で、そこで水をゆっくりと、無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、これを「自適」と言うた。
適という字は行くという字。思うままに、つまり無抵抗に行く姿を自適という。抵抗がないから自然に落ち着いて、ゆったりと自ずからにして行く。これが「優遊自適」であります。

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 太古の天地を洪荒といふが、よくその様を表してゐる。洪は大水であり、氾濫であり、圧倒的な大がかりである。荒は調和や秩序のできてゐない、あらあらしく、すさまじい様である。今にくらべれば、天は限りなく高く、地は限りなく広く、日は更に大きく、星月のきらめきは凄く、山々は厳しく、森林は暗く、雷電は激しく、風雨は強く、寒暑も烈しかつたであらう。その中に在つて太古人は常に無限の驚き・恐れ・疑ひ・惑ひを抱いて生きた。然しそれが人間文化の原動力となつたのである。
 僕は一つ不思議な願ひを持つてゐる。それは恋愛でもない。大科学者・大哲学者・大芸術家・大宗教家になることでもない。理想社会の実現でもない。実は「驚き」たいといふ願ひだと国木田独歩がその小説「牛肉と馬鈴薯」の主人公に叫ばせてゐる。近代人は段々驚かなくなつて現代に至つた。それがいかに憂ふべき堕落であるかといふことに気づいた学者たちが、今首垂れて考へこんでゐる。独歩の、この主人公が、現代の最も思慮深い人々の姿である。
 カントの墓標に刻まれた Der bestirnte Himmel über mir,das moralische Gesetz in mir.「上なる星空、衷なる妙法」は人間が永遠に失つてはならない妙心である。この天籟(てんらい)the celestial passion ともいふべきものが、東洋文化の真髄なのである。