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トルコのイスタンブールにある世界遺産アヤソフィアは、キリスト教の大聖堂として建設されたのち、オスマン帝国のもとでイスラム教のモスクに改修されましたが、今のトルコの建国後は博物館に変更され、異なる宗教や文化の共存の象徴とも呼ばれてきました。

こうした中、イスラム教の価値観を重んじるトルコのエルドアン大統領は今月10日、アヤソフィアを再びモスクに戻すと決定しました。

この決定を受けてアヤソフィアでは24日、エルドアン大統領も参加して86年ぶりとなる金曜日の集団礼拝が行われました。

礼拝は新型コロナウイルス対策としてマスクを着用し、互いに距離をとって行われましたが、アヤソフィアの周りの広場にも建物に入れなかった人たちが大勢集まって、祈りをささげていました。

エルドアン大統領は礼拝の間に限ってキリスト教を題材にしたモザイク画などを布で覆うもののふだんはこれまでどおり公開するとしています。

ただ、近代トルコの政教分離の象徴とも見られてきたアヤソフィアイスラム教のモスクに戻した今回の決定にキリスト教圏からは失望の声が相次いでいて今後、欧米との溝が深まることも予想されます。

トルコは国是として政教分離世俗主義を掲げてきましたが、エルドアン大統領は、そうした中でもイスラム教の価値観を重視する政策を進めてきました。

以前は禁じられていた公の場でのスカーフの着用を解禁したほか、アヤソフィアをモスクに戻すことにもたびたび言及し、意欲を見せていました。

ただ、このタイミングでモスク化に踏み切った背景には政治的な動機も指摘されています。

エルドアン大統領が率いる政権与党は、去年、首都アンカライスタンブール市長選挙で相次いで敗れ、このところ人気にかげりも見えています。

新型コロナウイルスの影響で国内経済が大きな打撃を受け、国民の不満も高まる中、エルドアン大統領にはアヤソフィアをモスクに戻すことで、保守的な支持層をつなぎとめるねらいがあったのではないかとみられています。

エルドアン大統領は、キリスト教圏から失望の声があがっていることに対し、アヤソフィアをどう使用するかはトルコの主権にかかわることだ。アヤソフィアには引き続き、誰もが訪問できるようにする」と述べ、理解を求めています。

アヤソフィアには、イスタンブールの支配者が変わるたびにその用途が変更されてきた歴史があります。

アヤソフィアビザンツ帝国時代の537年、当時のコンスタンチノープル、現在のイスタンブールキリスト教の大聖堂として創建されました。

それから1000年近く、ギリシャ正教の総本山となっていましたが、1453年にオスマン帝国が町を征服すると、オスマン帝国のスルタンはアヤソフィアイスラム教のモスクに改修しました。この時、建物の外にはミナレットと呼ばれる塔が4つ立てられるとともに、内部には「預言者ムハンマド」などと書かれた円盤状の飾りが設置されました。

そして第1次世界大戦後に近代トルコが建国されると、アタチュルク初代大統領は1934年、アヤソフィアを宗教施設ではない博物館に変更すると決定しました。

この決定には、トルコの近代化と西欧との融和を進める意図があったとされ、アヤソフィアは異なる宗教と文化の共存の象徴とも呼ばれてきました。

しかし、この歴史的な決定から80年余り。今月10日、トルコの最高行政裁判所はモスクを博物館に変えた決定を無効だとする判断を示し、トルコのエルドアン大統領はその日に大統領令を出してアヤソフィアをモスクに戻しました。

これに対し、EUヨーロッパ連合のボレル上級代表は「アヤソフィアを博物館にするという、近代トルコが行った画期的な決断の1つを裁判所がひっくり返し、それを宗教を担当する省庁の管理下に移すとエルドアン大統領が決定したことは残念だ」とする声明を発表するとともに、トルコ政府に対し、考え直すよう呼びかけました。

また、アメリ国務省のオータガス報道官が「われわれは落胆している」という声明を発表したほか、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇も「アヤソフィアのことを考えると私はとても心が痛む」と述べるなど、キリスト教圏からは失望の声があがっています。

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