https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

人類の有史以来の人口数の伸び具合いを調べてみると、明らかに、人類は人口大爆発を起こす寸前のところまできている。医学や環境衛生学の発達のおかげで、人間はなかなか死ななくなった。ところが、生殖のほうは、昔通りにやっているから、こうなってしまったのである。全地球的な規模で人口調節をしなければならない時期にきている。

人間は、同じ種の中においても、特定の集団が共同して、残りの集団を搾取することによって、自分たちだけの最適条件を作り出そうとする階級支配をよく行ってきた。古くは貴族、近くは資本家といった集団がそれである。この連中の運命をながめてみると面白い。

貴族にしても、資本家にしても、二種類ある。一つは、その最適条件に溺れて、全く懶惰(らんだ)になってしまった人々。もう一つは、最適条件に甘んずるをもってよしとせず、自らハードシップを課して、生活を律したものである。前者は例外なく、ほどなくして凋落したが、後者は支配権を握りつづけた。

現代日本の経営者と労働者をながめてみても、この両者が見られる。懶惰な経営者はほどなくして失脚し、労働者より苛酷な労働を受け入れている経営者は、身を全うしている。これに対して、労働者のほうは、どちらかといえば、もっぱら最適条件の獲得にあくせくして、獲得した条件の中で懶惰に流れている者のほうが多い。日本の資本主義が安泰である所以はここにある。

最適条件が大衆的に現出されつつある現代においてこそ、ストイシズムの価値がもう一度再認識されてよいのではないだろうか。

"デッド・センター"ということばがある。植物の群落が大繁茂して過密状態になったとき、その群落は中心部だけが死滅して周辺部は生き残るという形で自己救済をはかるのである。

文明の興亡史をながめてみると、同じ現象が起きているのがわかる。ローマ文明は、ヘレニズム文明の周辺部が生き残ったものであり、ヨーロッパ文明は、ローマ文明の周辺部であった。そして、現代のアメリカ文明は、ヨーロッパ文明の周辺部なのである。

国史においても似たようなことがいえる。南北間での文明の中心の移動、周辺の異民族と漢民族との間での政権のやりとりが、それに当たる。日本史においても、平安、鎌倉、室町、江戸と、政治の中心はいつも、ときの中心部から周辺部への移行として現われている。明治維新においては、場所的な中心部の移動はなかったが、それは、新しく政権を握った薩長という周辺部が中心部へ移動してきたからである。

この考え方からいって、21世紀は日本の世紀という未来学者ハーマン・カーンの予言も故ないことではない。現代アメリカ文明の周辺部にあって、目下ベクトルがいちばん上向きなのは、日本だからだ。

適応の幅が広いということは、生活できる場所の範囲が広いということである。そういう生物は、ある特定の場所においては、その環境によりぴったり適応した生物よりも、生活力が弱い。逆に、適応の幅が狭い生物は、自分に適した環境の中では抜群の強さを持つが、一旦その外に出ると、もうどうにもならない。

古生代から、絶滅した生物を考えてみると、その時代時代の高等な生物から滅びていることがわかる。三葉虫は甲殼類の頂点にあったものだし、恐竜は爬虫類のチャンピオンだった。それに対して、プランクトンとかバクテリア、微生物などの下等生物は、7億年もの長きにわたって、種としての生命を長らえている。

現代の高等生物のナンバーワンは人類であるから、地球の現環境が危機に直面したとき、まっさきにやられるのは人間であろう。それも、過密状態にある都市部の人間からということになりそうである。

高等生物の弱さは、その繁殖能力の弱さにもある。下等生物はライフサイクルが短く、子孫が多い。だから、環境がかなり急速に変わっても、それに適応できる変種を産み、それによって種を存続させることができる。たとえば、人間がいかに強力な薬品を発明しても、ほどなくしてそれに対する耐性を持つ菌が生まれてくることなど、その好例である。

最近では、あらゆる生物のウィークポイントであると思われていた放射能に対する耐性を持つ微生物すら発見されている。それも、時間単位、日単位で世代が代わる微生物ならではのことである。

平常時には上位のもの、中心部のものほど強いが、危機の時代にはその逆になるということは、人間社会にも当てはまる。庶民は革命を恐れない。なぜなら、革命によって首がチョン斬られるのは、常に上位のもの、中心部のものでしかないからだ。庶民はいかなる時代変動にも適応することができる。それができないのは、貴族やインテリである。

アリの一種で、奴隷アリを使用して生活をたてている貴族アリがいる。奴隷アリは、貴族アリの巣の世話から、食事の準備までしてやる。この社会から、奴隷アリだけをとりのけてしまう。すると、残された貴族アリは、目の前に食物源があっても、それをどうしてよいかわからず、飢え死にしてしまうのである。終戦直後、ヤミで食糧を手に入れることができず、配給だけに頼ろうとした結果、ついに栄養失調で死んでしまった裁判官の話を思い起こさせる。

平常時には、適応範囲を限ることによって適応度を高めたものが強く、危機の時代には、適応度は低くとも、適応範囲の広いもののほうが強いということは、ゼネラリストとスペシャリストの優劣比較にそのまま通じる。

ひところ、スペシャリストの時代といわれ、スペシャリストがもてはやされたことがあった。たしかに、スペシャリストは、その専門領域が時代の要請に一致しているときは強い。しかし、そうでなければ、無用の長物である。危機の時代、変動の時代には、専門家よりも環境変化に臨機応変に対応できるなんでも屋のほうが強いのである。

現代の生活環境、経済環境はあまりにも急テンポに変化しつつある。うっかりスペシャリストをめざして、一つのジャンルの中に自分の機能を固定してしまうと、そのジャンル全体が消滅して、いきどころがないといった悲劇的な事態さえ起こりかねない。スペシャリストをめざすにしても、融通がきくスペシャリスト、つぶしがきくスペシャリストであることが必要だろう。

d1021.hatenadiary.jp

藤原:クラスでモテモテの男子より、教室の片隅で何かモクモクと作業している子に惹かれます。みんなが注目していないところに、面白いものや魅力的なものが落ちてないかなと探すのが好きなんです。まだ知られていないこと、私が知らないことの発見にワクワクします。

藤原史織のSNSを見ていると、彼女のカバーする興味の幅広さに驚く。経済誌の編集長との対談では「ノートを活用したアイデア術」について持論を展開し、最近では「世界平和」をテーマとする対談を生配信していた。しかし、ここでちょっと気になるのは、なぜ彼女は藤原史織になったのか、という点だ。「ブルゾンちえみ」ではこの “彼女らしい”活動ができなかったということなのだろうか。

藤原:なぜ名前を変えたのか……(しばし沈黙)。「ブルゾンちえみ」は私の1つの財産であることは間違いない。パフォーマンスやネタは大好きでした。でも、そこから得られるものと本来の自分との間の距離があった……というか、「ブルゾンちえみ」として求められていた役割や仕事内容、きっとこれからいただくであろうお仕事が、本来の私、藤原史織との間に大きな乖離があったということ。

「あなたの職業はなんですか?」という質問自体が前時代的だ、という反応に、ぽんと膝をたたきたくなるような思いがした。これは「ポートフォリオ・ワーカー」だ、と。ポートフォリオ・ワーカーとは、さまざまな職業やソーシャルな活動を複数同時に活動していく、これからの人生100年時代に必要とされる働き方のこと。藤原史織の眼はつねに未来を見据えているに違いない。

──では、藤原史織さんにとって「カッコいい大人の条件」とは?

藤原:つねに挑戦し続けていること。いくつになっても、何か新しいことを始めるとか、すべてを捨ててどこかへ旅立つとか、失敗を恐れずに行動できる人。子どもや、後進はそういう人の背中を見てカッコいいと思うんじゃないでしょうか。

私自身、そのとき「やりたい」と思うことをリスト化して、その優先順位一位からやっていきたいんです。「やりたいけどやれない」と、言い訳をつけることはしたくない。いちばんの自分の“WANT”に時間と労力を割く──それがこれからの藤原史織です。

#エンタメ

d1021.hatenadiary.jp

#勉強法