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サッカーの元アルゼンチン代表で、1986年のワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたことでも知られる、ディエゴ・マラドーナ氏が25日、60歳で亡くなりました。
アルゼンチン政府は3日間、全土で喪に服すことを決めました。

マラドーナ氏は1960年、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに生まれました。

現役時代はその卓越した技術から「神の子」とも呼ばれ、1982年から4回連続でワールドカップにアルゼンチン代表として出場し、サッカー史上、世界最高の選手の1人として知られていました。

1986年のワールドカップ・メキシコ大会では準々決勝のイングランドとの試合で、ドリブルで相手の5人の選手を抜いてゴールを決めた「5人抜き」や、ヘディングと見せかけて左手でシュートを決めた「神の手ゴール」など伝説のプレーを残し、チームを優勝に導きました。

また、イタリアの1部リーグ「ナポリ」などでも活躍し、世界的な名声を得ました。

一方で、私生活では多くの問題も抱え、1994年のワールドカップでは検査で禁止されている薬物を使用していたとして出場停止処分を受けたほか、引退後も、たびたび薬物中毒などで倒れ、入退院を繰り返していました。

2010年の南アフリカ大会では、アルゼンチン代表の監督として指揮をとりましたが準々決勝で敗れ、その後、監督の座を退いていました。

弁護士事務所などによりますと、マラドーナ氏は今月初め、ブエノスアイレスの病院で頭部の手術を受けたあと、郊外にある自宅で療養を続けていましたが、25日、亡くなりました。

マラドーナ氏の死去を受け、アルゼンチン政府は25日から3日間、全土で喪に服すことを決め、期間中、大統領の公務をすべて中止すると発表しました。

アルゼンチンのフェルナンデス大統領は「あなたは私たちを幸せにしてくれる世界で最も偉大な選手だった。ありがとう、ディエゴ。あなたのことをずっと思い続ける」とコメントし、その死を悼んでいます。

サッカーの世界的なスーパースター、ディエゴ・マラドーナさんの訃報を受け、アルゼンチンサッカー協会は公式ホームページで「マラドーナは、これまでも、そしてこれからも、私たちのサッカーのヒーローであり続けます。ことばでは言い表せない卓越した才能を永遠に忘れません。あなたは、永遠に私たちの心の中にあり続けます。さようなら」とコメントしています。

マラドーナ氏は、1984年から7年間、イタリア1部リーグの古豪ナポリに所属し、1986年から1987年のシーズンには、チームにとって初めての1部リーグの優勝をもたらしました。

7つのシーズンで2度のリーグ優勝を果たすなど黄金時代を築き「ナポリの王様」の愛称で知られ、マラドーナ氏の背番号「10」はナポリ永久欠番となっています。

ナポリは公式のツイッターマラドーナ氏の写真とともに「誰もが私たちのことばに期待しているが、いま、経験している痛みをどんなことばで表せばいいのか。いまは泣くときだ」というメッセージを投稿し、悲しみをあらわにしました。

また、イタリアのコンテ首相も自身のツイッターに「マラドーナ氏は比類なき才能でサッカーの歴史に忘れられないページを残した。さよなら永遠のチャンピオン」と投稿し、その死を悼みました。

マラドーナ氏が亡くなったことを受けて、サッカー界からは追悼のメッセージが相次いで寄せられています。

「サッカーの王様」として知られる元ブラジル代表のペレ氏は、自身のツイッターに「なんて悲しい知らせだ。私は偉大な友人を失い、世界は伝説的な人を失った。天国で一緒にボールを蹴ることができますように」と投稿し、マラドーナ氏の死を悼みました。

また、1986年のワールドカップ準々決勝でマラドーナ氏の「神の手」と「5人抜き」の2ゴールによって敗れた元イングランド代表のリネカー氏は、自身のツイッターに「私と同じ世代の中で最高の選手であり、間違いなく史上最高の選手だ」と投稿し、マラドーナ氏をたたえました。

一方、アルゼンチン代表でマラドーナ氏と同じ背番号「10」をつけてプレーしているメッシ選手は、インスタグラムにマラドーナ氏と笑顔で肩を寄せ合う写真と握手を交わしている写真をメッセージを添えて投稿しました。

この中でメッシ選手は「すべてのアルゼンチンの人たちとサッカー界にとってとても悲しい日だ。彼はこれからも私たちのそばにいる、だってディエゴは永遠だから」と記しています。

マラドーナ氏の死去を受けて、母国アルゼンチンやプレーしていたイタリアでは多くのファンがその死を悼みました。

このうちアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは25日、マラドーナ氏が幼少期を過ごした家の前に多くの人たちが集まり、アルゼンチンの国旗とともに、ろうそくをともして花を手向け、黙とうをささげていました。

また、マラドーナ氏が1984年から7年間所属したチームの本拠地、イタリアのナポリではチームのユニフォームを着たマラドーナ氏の壁画が描かれた建物の前に多くのファンが集まりました。

集まった人たちは「マラドーナは唯一無二だ」と繰り返し叫んで死を悼んでいました。

マラドーナ氏が亡くなったことについて、国連のハク副報道官は定例の記者会見で「とても悲しい知らせだ。彼は多くの人に感動を与えた。親善大使としても多大な貢献をしてくれた」と述べ、国連の活動への功績をたたえました。

マラドーナ氏は現役を退いたあと、ユニセフ=国連児童基金などが提唱して2006年に始まったサッカーの有名選手による慈善試合に参加したのをはじめ、ユニセフの活動に協力してきました。

NHKアナウンサーで1986年のワールドカップメキシコ大会、準々決勝のアルゼンチン 対 イングランドの試合で実況を担当し、現在は法政大学で教授をつとめている山本浩さんは当時のマラドーナ氏のプレーについて「強烈に人を引き付けるプレーが忘れられません。『5人抜き』を見せたときは、周りの選手も審判も見とれて彼の思いどおりに動いてしまうような感じでした」と振り返りました。

そのうえで「年を追うに従って発言や行動にかげが出てしまうようになりましたが、これからは空の上で世間の目も気にすることなく若い頃に見せていた本当に自分がやりたいプレー、はつらつとしたプレーを思う存分してほしいと思います」と話していました。

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