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袴田巌さん(84)は、昭和41年に今の静岡市清水区で会社役員の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定しましたが、無実を訴えて再審を申し立てています。

平成26年静岡地方裁判所が犯人のものとされる衣類の血痕のDNA鑑定などをもとに再審を認める決定をした一方、おととし、東京高等裁判所は「DNA鑑定の信用性は乏しい」として再審を認めず、弁護団が特別抗告していました。

これについて、最高裁判所第3小法廷の林道晴裁判長は、23日までに東京高裁の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

袴田さんは、静岡地裁で再審が認められた際に釈放されていて、今回の決定後も釈放された状態が続きます。

袴田事件」は、有罪か無罪かが50年余りにわたって争われ続けています。

昭和41年6月、今の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務の家が全焼し、焼け跡から一家4人が遺体で見つかりました。

その年の8月に会社の従業員だった元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。

当初は無実を訴えましたが、19日後に取り調べでいったんは自白し、裁判では再び無実を主張して争いました。

事件から1年余りがたち、裁判が始まった後で、みそ製造会社のタンクから血の付いたシャツなど、犯人のものとされる5点の衣類が見つかりました。

昭和43年9月、静岡地方裁判所は、自白した時に作られた45通の調書のうち44通は捜査官に強要された疑いがあるとして、証拠として認めませんでしたが、衣類を有罪の証拠だとして死刑を言い渡しました。

2審の東京高等裁判所最高裁判所でも無罪の主張は退けられ、昭和55年に死刑が確定しました。

翌年、弁護団は再審・裁判のやり直しを求めました。

弁護団は、事件の直後の捜索でタンクから衣類が見つからなかったことや、衣類のサイズが合わないことなど不自然な点があるうえ、自白も強要されたものだと主張しましたが、静岡地裁で退けられました。

東京高裁では衣類に付着した血痕のDNA鑑定が行われましたが、劣化が激しかったことからこの時は「鑑定不能」とされ、申し立てが退けられました。

その後、平成20年に最高裁でも退けられ、27年に及んだ1度目の再審の申し立ては認められませんでした。

2度目の申し立てで、静岡地裁は、5点の衣類のDNA鑑定を再び行うことを決めました。

その結果、弁護側の専門家が「シャツの血痕のDNAの型は袴田さんと一致しない」と結論づけたことなどから、平成26年に再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。

「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と、当時の捜査を厳しく批判し、釈放も認める異例の決定でした。

東京高裁では、弁護側の専門家が行ったDNA鑑定の手法が科学的に信頼できるかどうかが争われました。

おととし6月、東京高裁は「DNA鑑定の手法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在している」として、地裁とは逆に、衣類は袴田さんのものだと考えて不合理な点はないという判断を示し、再審を認めませんでした。

一方で、地裁で認められた釈放については「本人の年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審についての決定が確定する前に釈放を取り消すのが相当とは言い難い」として、取り消しませんでした。

弁護団は高裁の決定を不服として最高裁判所に特別抗告。

最高裁の決定が注目されていました。

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