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眞子さまは、小室さんと離れている’18~’19年が天中殺でした。普通のカップルでも2年間会っていないと、考え方や関係性が変わるもの。お2人の中でまったく変化がない、というのが逆に不自然で不思議に感じてしまいます。恋愛感情以外で一緒にいたい理由があるのかもしれません」(水晶さん・以下同)

実は同じ天秤座の2人。

「天秤座にとって、今年は“かかっていたブレーキが外れる”年。小室さんは’22年から天中殺なので、この1年で、これまでの結論や決着をきちんとつけるべきです。また、お2人は結婚すると、互いに環境がすごく変わるカップル。でも、イギリス王室のヘンリー王子とメーガン妃のようになったり、小室さんの元に駆けつけてアメリカで一緒に暮らすというのは容易ではありません。結婚と違い、結婚後はリアルな暮らしが待っているでしょう

「皇族方の歌の提出期限は12月上旬頃とされています。歌会始のおよそ5日前には記者に内容が伝えられるが、今回は早い段階で延期が決まったので、それもありませんでした。

 今のところ歌を知りうるのは、和歌の添削を担当する『御用掛』と呼ばれる歌人と、担当の宮内庁式部職宮内庁長官などごくわずか。皇族方も歌会始の当日に初めて知ることになるようです。秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も、眞子さまがどのような内容を詠まれたか、気にされているのではないか」(同前)

 秋篠宮皇嗣は昨年11月の誕生日会見で「決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」と発言。その後、西村泰彦・宮内庁長官も「説明すべき方がきちんと説明することが重要」と、これまでのいきさつについて説明責任を果たすよう小室氏側に求めた。それでも現在まで小室氏は沈黙を貫いている。

 その間、『女性セブン』(1月7・14日号)は、小室氏が小学4年生の時に父・敏勝さんが自殺し、その後を追うように祖父も自ら命を絶ったことを報じた。

 続いて『週刊文春』(12月31日・1月7日号)も、小室氏のイジメによって高校中退、引きこもりになったというインターナショナルスクール時代の同級生だった女性の告白を掲載。結婚を危ぶむ国民の声は高まる一方だ。宮内庁関係者が言う。

歌会始の延期は残念ですが、もしこのタイミングで眞子さまの歌が発表されていたとしたら、どんな内容だとしても小室氏との関係についてネガティブに詮索されていたことでしょう。この状況を変えるには、小室さんサイドに行動を起こしていただくしかない。歌会始は3月までの実施を目指していますが、それまでに何らかの動きがあればいいのですが……

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#天皇家

大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」や、坂本龍馬大久保利通の暗殺に対しては、「暗殺が良いことだとは微塵も思わないけれど、暗殺する側にも、それなりの覚悟や事情があったのだろう」という気はするのです。
しかしながら、この本のなかで、著者は、数々の「歴史を変える意味があったとは思えない、自分たちの組織の示威行動としての暗殺や、権力者に従っていただけの小物をなぶり殺しにするような暗殺」を数多く示しているのです。

民衆が、被害者の首がさらしものになっているのをエンターテインメントとして消費している様子についても、当時流通していた「かわら版」などをまじえて紹介しています。

 「暗殺」というテロリズムに「善い」も「悪い」もないのかもしれませんが、外国人に対する無差別テロのような暗殺や、足利将軍歴代の「木像」の首をはねて晒した事件などを読むと、現代の感覚では、「時代を変えるため、というよりは、『暗殺中毒』というか、自己顕示欲で人殺しをしていただけではないのか」という気がしてくるのです。

 それを考えると、『桜田門外の変』などは、「歴史的な転機としての必然性」があったようにさえ思われます。

 ちなみに、桜田門外の変で、井伊直弼を護ろうとして死んだ家来たちは「忠臣」として讃えられた一方で、無傷で生き残った者たちは、斬刑に処され、家も断絶となったそうです。侍というのもつらいものではありますね。うまく襲撃者を撃退できれば良いけれど、そうでなければ、自分も死ぬしかないのだから。

 この本のなかで、著者は、暗殺者、あるいは暗殺された者たちが、その後、明治政府によってどう扱われたかについて、しばしば言及しているのです。

 やったことが「弱者や小者をなぶり殺しにするような暗殺」であっても、尊王側に属していれば、靖国神社に合祀されたり、叙勲されたりしている人がいる一方で、筋を通して幕府や主君に殉じたがために、無視されている人も大勢いるのです。

 まさに「歴史は勝者がつくる」。

 勝った側についていたがために、「快楽暗殺」のような所業でも「忠義」になってしまうし、負けた側で頑張ってしまったがために、「賊」として語り継がれてしまうこともある。

 幕末維新に活躍した「英雄」だの「偉人」だのと称賛される人物の多くは、暗殺や暗殺未遂事件に一度や二度は関与している。近代化の牽引者として私が高く評価する伊藤博文も、若いころは噂話で他人の命を簡単に奪ってしまった。しかも、終生反省していた気配が感じられない。やがて伊藤自身も暗殺されてしまうのだから、因縁めいたものを感じずにはいられない。

 いっぽう、現代の研究者のなかには、贔屓の「偉人」に限っては純粋だからテロではないとか、白昼堂々だから暗殺ではないなどとのたまう御仁もいて、時に呆れてしまう。なんでもかんでも、現代の価値観に強引に引き寄せようとするから、おかしなことになる。戦闘のプロフェッショナルである武士にとり暗殺は敵を倒す手段のひとつであり、それほど後ろ暗いものではない。

 人の価値観なんて時代によって変わるもので、未来の日本人は、井伊直弼を英雄視し、維新の志士たちを邪悪なテロリストとして容赦なく断罪するかもしれないのです。

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