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ミャンマーの与党NLD=国民民主連盟の報道官はロイター通信の取材に対して1日、アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか与党の幹部が相次いで拘束されたと明らかにしました。

また、ミャンマーの国営テレビは「技術的問題を抱えている」として放送を止めているほか、最大都市のヤンゴン市内ではインターネットが使えない状態になっています。

ミャンマーでは、去年11月、5年に1度の総選挙が行われ、NLDが改選議席の8割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らしました。

この総選挙をめぐって、ミャンマーの国軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど、多くの不備や不正があったと訴え政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っていました。

1日からの総選挙後初となる議会の開会を前に、31日夜も「このまま次のステップに進むべきではない」などと声明を出していました。

AP通信ミャンマーの最大都市ヤンゴンの現在の様子だとする映像を、現地時間の1日午前7時すぎから中継で伝えています。

映像は建物の一室から窓越しに街を見下ろすように撮影されていて、バスや乗用車、それに歩行者が行き交う様子がわかります。

AP通信は現地の映像は、アウン・サン・スー・チー氏が拘束された後のものだとしていますが、映像からは大きな混乱は確認できません。

ミャンマーの与党NLD=国民民主連盟の報道官は1日、ロイター通信に対してアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか、与党の幹部が相次いで拘束されたと明らかにしました。

AFP通信も同じ報道官の話として、スー・チー氏は首都ネピドーで拘束され、「軍に連れ去られたと聞いている」と伝えています。

ミャンマー軍は1日午前、国営テレビを通じて、非常事態宣言を出したと発表しました。

理由について、去年11月に行われた総選挙での不正や不備を調査するためだとして、1日から予定されていた総選挙後初めてとなる議会の開会を延期することを明らかにしました。

そして、副大統領で軍出身のミン・スエ氏が臨時の大統領を務めるとしています。

さらに、この大統領権限を超える立場で、ミャンマー軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官が国を統治すると表明し、軍が政権を掌握したことを明らかにしました。

最大都市のヤンゴン市内ではインターネットがつながりにくい状態になっています。

ミャンマーでは去年11月、5年に1度の総選挙が行われ、NLDが改選議席の8割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らしました。

この総選挙をめぐってミャンマー軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど多くの不備や不正があったと訴え、政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っていました。

軍は1日から予定されていた議会の開会を前に、昨夜も「このまま次のステップに進むべきではない」などと声明を出していました。

ヤンゴンに駐在する日系企業の永橋仁人さんはNHKの取材に対し「会社からは自宅に待機するよう指示されている。外を見るかぎり人通りや車の通行量はいつもより少なくなっている。アウン・サン・スー・チー氏の自宅の周辺に軍の兵士が大勢待機している様子が見えると、会社のスタッフから連絡があった。インターネットは時々つながるようになったが、電話はつながらない」と話しています。

また、ヤンゴン外資系企業で働くミャンマー人の女性はNHKのオンラインでの取材に対し「通信手段はすでに遮断されていて一部の無線通信以外はつながらず、私も両親や友達と全く連絡がとれない。たくさんの人が銀行のATMに行って現金を引き出そうとしているところだが、インターネットがつながらないためか、引き出せない状態になっているようだ」と話しています。

アウン・サン・スー・チー氏は、建国の父として国民から尊敬されているアウン・サン将軍の長女として生まれ、1985年から翌年まで京都大学東南アジア研究所の研究員として来日し、ミャンマー独立運動などの歴史について研究しました。

帰国後は民主化運動のリーダーとして活動しますが、1989年、当時の軍事政権によって自宅に軟禁され、政治活動を禁止されます。

1991年には、たび重なる弾圧にも屈せず、非暴力によって民主化を求め続けたとしてノーベル平和賞を受賞しました。

延べ15年にわたる自宅軟禁から解放されたスー・チー氏はNLD=国民民主連盟を率いて2015年の総選挙に臨み、およそ8割にあたる390議席を獲得して圧勝し、軍主導の政治を終わらせ歴史的な政権交代を果たしました。

スー・チー氏は国家顧問として事実上政権を主導してきました。NLDは去年11月の総選挙で前回を上回る議席を獲得して圧勝し、さまざまな少数民族政党に協力を呼びかけるなど、政権2期目に向け足場固めを進めていました。

ミャンマー情勢について、国際社会からは懸念や批判の声が上がっています。

アメリカ、ホワイトハウスのサキ報道官は声明を発表し「ミャンマー軍が民主化への移行を損なう措置をとったという情報を警戒している」としたうえで、バイデン大統領が、安全保障問題を担当するサリバン大統領補佐官から説明を受けたことを明らかにしました。

そのうえで「アメリカは、最近の選挙結果を変えようとするいかなる試みにも反対する。こうした措置が取り消されなければわれわれはその責任者に対して行動を起こす」とし、状況によって何らかの措置をとる可能性に言及しました。

またブリンケン国務長官も声明で「ミャンマー軍に対し、拘束されたすべての人の解放と去年11月の選挙で示された民意を尊重するよう求める」としています。

さらに国連のグテーレス事務総長も「アウン・サン・スー・チー国家顧問とウィン・ミン大統領などが議会の開会直前に拘束されたことを強く非難する。軍の指導層に対して、ミャンマー国民の意志を尊重しいかなる立場の違いも平和的な対話を通じて解決されるべきだという民主主義の規範を順守するよう求める」とする声明を出しました。

そして、オーストラリアのモリソン首相も会見で「われわれは長年にわたって民主化への移行を支援してきた」と述べ、ミャンマー情勢に懸念を示しました。

また、国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは「拘束された人々が国際法を犯していないかぎり、直ちに解放されなくてはならない。拘束は、軍当局がいかなる反対意見も許さないというぞっとするメッセージだ」とする声明を発表し、軍を批判しました。

ミャンマーの与党・NLD=国民民主連盟によりますと、アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか与党の幹部がミャンマー軍に1日、相次いで拘束されました。

スー・チー氏は現在、自宅で拘束されているということです。

ミャンマー軍は1日午前、国営テレビを通じて、非常事態宣言を出したと発表しました。期間は、1年間だとしています。

理由について、軍は去年11月に行われた総選挙での不正や不備を調査するためだとし、1日から予定されていた総選挙後初めてとなる議会の開会を延期すると表明しました。

そして、ミャンマー軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官が大統領権限を移譲され、国を統治するとし、軍が政権を掌握したとしています。

そのうえで軍の統治のもとで、総選挙を改めて実施するとしています。

これに対してNLDは、スー・チー氏が拘束される前に、あらかじめ用意したものだとする声明を1日、発表しました。

この中でスー・チー氏は「人々の支持により選ばれた議会や政府が憲法を無視する軍によって破壊されてしまった」としています。

そのうえで「軍事クーデターは国民が新型コロナウイルスの感染拡大に直面しているときに、この国を軍事独裁政権下に再び戻すものだ。クーデターに反対する姿勢を力強く示すべきだ」と国民に呼びかけました。

ミャンマーでは去年11月、5年に1度の総選挙が行われ、NLDが改選議席の8割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らしました。

この総選挙をめぐって、ミャンマー軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど多くの不備や不正があったと主張し、政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っており、軍とNLDの間の緊張が高まっていました。

アウン・サン・スー・チー氏は、建国の父として国民から尊敬されているアウン・サン将軍の長女として生まれ、1985年から翌年まで京都大学東南アジア研究所の研究員として来日し、ミャンマー独立運動などの歴史について研究しました。

帰国後は民主化運動のリーダーとして活動しますが、1989年、当時の軍事政権によって自宅に軟禁され、政治活動を禁止されます。

1991年には、たび重なる弾圧にも屈せず非暴力によって民主化を求め続けたとしてノーベル平和賞を受賞しました。

延べ15年にわたる自宅軟禁から解放されたスー・チー氏はNLD=国民民主連盟を率いて2015年の総選挙に臨み、およそ8割にあたる390議席を獲得して圧勝し、軍主導の政治からの歴史的な転換を実現しました。その後、スー・チー氏は国家顧問として事実上、政権を主導し、民主化の推進と民族の融和を図りました。

去年11月に行われた総選挙ではスー・チー氏が率いるNLDが前回5年前を上回る議席を獲得して圧勝し、民主化に向けてさまざまな少数民族政党に協力を呼びかけるなどさらなる民主化の実現に向けて政権2期目の足場固めを進めていました。

一方、軍との関係を巡っては、NLDは、去年2月、憲法の規定で軍人に割り当てられている議会の4分の1の議席を段階的に減らすことなどを盛り込んだ憲法改正案を議会に提出したのに対し軍人議員らの反対により否決されるなど、一定の緊張状態にありました。

また、少数派のイスラム教徒のロヒンギャの人たちへの政府の対応を巡っては、迫害を容認しているとして、1991年に受賞したノーベル平和賞を取り消すべきだという声も上がるなど、国際的な批判が高まっていました。

ミャンマーは1948年にイギリスの植民地統治からの独立を果たしましたが、1962年に起きたクーデターのあと軍が政治の実権を握り続けてきました。

1988年に民主化運動が活発化すると、スー・チー氏がNLD=国民民主連盟を結成し運動をけん引しましたが、スー・チー氏は当時の軍事政権によって自宅軟禁されます。

民主化を求める声はその後も収まらず、1990年の総選挙でNLDが80%の議席を獲得して圧勝しましたが、軍は結果を無視して政権移譲を拒否。これに対し、欧米諸国が厳しい経済制裁で圧力を強めました。

軍事政権は2010年に総選挙を行いましたが、スー・チー氏が自宅軟禁された状態では自由な選挙ができないとしてNLDはボイコットし、軍の支援を受ける政党が選挙戦を制しました。

その後スー・チー氏は自宅軟禁を解かれ、2012年の補欠選挙で初当選すると、2015年の総選挙ではNLDが議会の過半数議席を獲得し、半世紀以上にわたって続いてきた軍主導の政治に終止符を打ちました。

NLDは去年行われた総選挙でも前回を上回る改選議席の8割以上を獲得して圧勝し、党の勢力を強めてきました。

一方、NLDは去年、軍人に割り当てられている議席を減らす憲法の改正案を議会に提出しましたが、軍人議員らの反対により否決され、軍との対立は深まっていました。

また、イスラム教徒の少数派ロヒンギャに対する迫害の問題が国際社会などから厳しい批判を受けているほか、国内各地では軍と少数民族武装勢力との間で戦闘が続いていて、スー・チー氏が掲げている民族間の融和も果たせておらず、民主化には多くの課題も残っています。

ミャンマーをめぐっては、軍事政権による民主化運動の弾圧やアウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁などを理由に欧米諸国が経済制裁を実施しましたが、2012年にアウン・サン・スー・チー氏が補欠選挙で勝利したあと、制裁は段階的に解除され、2016年にはアメリカが全面的に経済制裁を解除しました。

しかし、イスラム教徒の少数派ロヒンギャに対する迫害の問題への対応をめぐって国際社会から非難されるようになるとアメリカは再び制裁を強め、ミャンマー軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官を含む軍の幹部4人に対しアメリカへの渡航を禁じるなどの制裁を科していました。

ベトナムで5年に1度開かれる共産党大会はベトナムの最高意思決定機関で、全国から1600人近い代表が参加し、今月25日から、首都ハノイで開かれていて、党や国の政策方針と今後5年の新たな指導部のメンバーの選出に向けて協議が進められてきました。

国営メディアなどによりますと、31日、新たな最高指導部のメンバー18人が選出され、このうち、党のトップである書記長についてすでに2期を務めているグエン・フー・チョン書記長が改めて選出されたということです。

チョン氏は1944年生まれの76歳。

共産党機関紙の編集長などを務めたあと、ハノイ共産党委員会書記や国会議長を経て、2011年から書記長を務めています。

ベトナム共産党の規約では書記長の任期を連続2期までと定めていますが、チョン書記長は、国内で広がってきた汚職の防止対策や新型コロナウイルスの対応で指導力を発揮したとされ、異例の3期目に入ることになります。

共産党大会は1日に閉会する予定です。

ベトナムで5年に1度開かれる共産党大会はベトナムの最高意思決定機関で、1月25日から2月1日まで首都ハノイで開かれ、党や国の政策方針の協議や新たな指導部のメンバーの選出を行いました。

1日の閉会式では、新たに選出された最高指導部のメンバー18人が紹介され、その後、党のトップである書記長に改めて選出されたチョン書記長が記者会見しました。

この中でチョン書記長は、根絶できていない国内の汚職などを念頭に「今後5年は、より複雑な状況や予測不能なリスクに直面すると懸念している。引退を申し出たが投票の結果、選出された。最善を尽くしたいが私の職務がうまくいくかどうかは、党と人々が団結できるかにかかっている」と述べ、国民に団結を呼びかけました。

ベトナム共産党の規約では、書記長の任期を連続2期までと定めていますが、チョン書記長は汚職の防止対策や新型コロナウイルスの対応で指導力を発揮したとされ、異例の3期目に入ることになります。

このほか、党大会では今後5年の経済成長率について、それぞれの年で6.5%から7%を目指すという目標も示されました。

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