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ミャンマーでは、クーデターを起こした軍に抗議するため22日、全国で職場を放棄するようSNS上で呼びかけが広がりました。

最大都市ヤンゴンでは、多くの医療機関の医師や看護師が職場を離れたうえ、大型の商業施設や飲食店、運送会社なども休業する事態となっています。

抗議活動には、若者からお年寄りまで幅広い世代の市民が参加し、幹線道路を行進したり、主要な交差点を占拠したりして、軍に対する抗議の意思を示すとともに、声をあげて、アウン・サン・スー・チー氏の解放を求めました。

地元メディアは、抗議の動きは、ヤンゴンや第2の都市マンダレーなど少なくとも全国8つの都市で、幅広い業種に広がっていると伝え、一斉ストライキの様相を呈しています。

また参加者は、100万人に達したということで、今月1日のクーデター後の抗議として、最大の規模となっています。

ミャンマーでは、これまでの抗議活動で、今月19日には首都ネピドーで、デモに参加していて銃撃され意識不明となっていた20歳の女性が死亡しています。

さらに、地元メディアによりますと、20日にはヤンゴンマンダレーで、抗議活動などに参加していた合わせて3人の男性が、治安当局の発砲を受け死亡し、犠牲者の数は、わかっているだけで4人となっています。

これまでの対応について軍側は「暴徒への反撃だ」と正当化するとともに、市民に抗議活動に参加しないよう繰り返し求めており、さらなる衝突の懸念が高まっています。

ミャンマー政治に詳しい京都大学東南アジア地域研究研究所の中西嘉宏准教授は「今回の抗議活動は、これまでのミャンマーでの民主化運動で見られたような学生や僧侶をリーダーとしたものではなく『自発的な運動の集合』になっていることが特徴の1つだ」と述べ、市民がSNSを活用しみずから抗議活動に参加していると指摘しました。

そのうえで「市民はかつて多くの犠牲者を出した1988年や2007年の民主化運動を教訓に、軍が武力弾圧に踏み切る口実を作らせないように非暴力を徹底している。これはスー・チー氏が率いる政党NLD=国民民主連盟が当時から掲げていた方針でもある」と述べました。

また、抗議活動の参加者の死亡が相次いでいることについては「これまでのところ軍は大規模な弾圧に踏み切っていない。現場で対応している警察の判断によるものだと思う」と述べました。

一方、市民による抗議活動が続いていることについては「軍としても想定をはるかに超えているのではないか。今後どのような対応に出るかは正直わからない」と述べ、軍が市民に対し武力行使するおそれがあるとして懸念を示しました。

そして「軍はナショナリストの集団で、いまは国外の声に耳を傾ける可能性は低いが、日本は欧米諸国にない独自のパイプを持ち、比較的軍からの信頼もある。事態を悪化させないためにも市民への暴力の回避とスー・チー氏の解放を粘り強く呼びかけていくしかない」と述べました。

クーデターのあと、最大規模のストライキが全土で行われているミャンマーでは、22日も大勢の市民が抗議活動を行っています。

ミャンマー南部ダウェーからの映像では、防弾チョッキのようなものや金属製の盾を身につけて抗議活動に参加する人たちの姿も見られました。

参加者たちは腕を組み合って横一列に並んで行進したり、手をつないで長い列を作ったりして軍に対する抗議の意思を示すとともにスー・チー氏の解放などを求めていました。

「CDM」=市民による不服従運動に参加する電力・エネルギー省の30代の女性職員は、クーデターの1週間後の2月8日から出勤するのをやめました。

軍に対する抗議の声を上げ続けたいとして、同じように職場に通わなくなった同僚とSNSで連絡を取り合いながらデモに参加しています。

女性は「仕事を失ったり、最悪の場合、逮捕されたりするおそれもあります。しかし、ここでやめるわけにはいきません。恐怖を感じながら過ごすのではなく恐怖を捨てて公務員が協力して運動を続けてこそ、目的を達成できます」と話していました。

そのうえで「軍は国内外の危機から国民を守るのが仕事で、公務員は、それぞれの専門性に従って国のために奉仕する人たちです。国のための2つの組織が対立していることはとても残念なことです」と話していました。

軍に対する抗議活動の1つが政府機関や金融機関、それに民間企業での職場を放棄する動きです。

英語で市民による不服従運動を表す「Civil Disobedience Movement」の頭文字をとって「CDM」と呼ばれています。

軍が主導する政権を機能停止に追い込むことがねらいで、賛同者の多くが抗議デモに参加しているため、デモが拡大する要因にもなっています。

こうした動きは、医療従事者の呼びかけで始まり、その後、アウン・サン・スー・チー氏が率いる政党の支持者がSNS上で呼びかけ広がりをみせています。

いまでは、全国でおよそ100地区の公立の病院や診療所の医師や看護師が職場を放棄し、一時的な閉鎖に追い込まれている医療機関もあります。

電力・エネルギー省など中央の政府機関でも職員の半数以上が職場を放棄しているところもあります。

また、多くの銀行員が参加し、ほとんどの民間銀行で窓口業務が停止し、ATMを使った預金の引き出しができなくなっています。

こうした事態を受けて、軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官は国民向けのテレビ演説で「一部の公務員が、無法者たちにそそのかされ、職責を果たしていない」と非難したうえで、「職場を離れている者は、感情にとらわれることなく、国や国民の利益のために、直ちに職場に復帰することが求められる」と述べて、仕事に戻るよう指示しました。

しかし市民による職場を放棄する動きは歯止めがかからず、22日の一斉ストライキにつながっています。

1962年のクーデターのあと軍が政治の実権を握り続けたミャンマーでは、1988年、学生たちによるデモをきっかけに反政府デモが全国に広がります。

一連の民主化運動は同じ年の8月8日に全国で一斉にストライキなどが行われたことにちなんで、「8888民主化運動」とも呼ばれました。

軍はその翌月、クーデターを宣言して市民を武力で弾圧し、1000人以上とされる死傷者が出ました。

しかし、民主化を求める声はその後も収まらず、アウン・サン・スー・チー氏が民主化運動をけん引しましたが、スー・チー氏は当時の軍事政権によって自宅に軟禁されます。

1990年に民主化を求める声に押される形で実施された総選挙ではスー・チー氏が結成した政党、NLD=国民民主連盟が80%の議席を獲得して圧勝したものの軍は結果を無視して政権を譲りませんでした。

2007年には軍事政権に抗議する仏教の僧侶や市民らおよそ10万人による大規模なデモが再び武力で鎮圧され、日本人ジャーナリストの長井健司さんを含む31人が死亡しました。

こうした軍による市民への締めつけに対し欧米諸国は厳しい経済制裁で圧力を強めていきます。

その後、スー・チー氏は自宅軟禁を解かれ、2012年の補欠選挙で初当選すると、2015年、NLDが総選挙で議会の過半数議席を獲得し、半世紀以上にわたって続いてきた軍主導の政治に終止符を打ちました。

ミャンマーで抗議活動などの参加者が治安当局の発砲で死亡するなど死傷者が出ていることについて、中国外務省の汪文斌報道官は22日の記者会見で軍への非難を表明しないのか質問されたのに対しミャンマーのそれぞれの当事者には国家の発展と安定の観点から自制を保ち、憲法と法律の枠組みのもとで意見の違いを適切に処理し、政治と社会の安定を維持するよう望む」と述べて安定を呼びかける一方、軍への批判は避けました。

また中国外務省の報道官は今月18日の記者会見で、中国がミャンマー軍によるクーデターを支持しているのではないかという見方が出ていると問われ「完全にデマであり、中国とミャンマーの友好関係を破壊することが目的だ」と述べ、否定しています。

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