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新人8人の争いとなった千葉県知事選挙は、元千葉市長の熊谷俊人氏が過去最多の140万票余りを獲得して自民党が推薦した候補らに圧勝しました。

千葉県知事選挙の結果です。

熊谷俊人、無所属・新。当選。140万9496票。

▽関政幸、無所属・新。38万4723票。

▽金光理恵、無所属・新。12万2932票。

▽皆川真一郎、無所属・新。2万256票。

▽平塚正幸、諸派・新。1万9372票。

加藤健一郎、無所属・新。1万5986票。

▽河合悠祐、諸派・新。1万5166票。

▽後藤輝樹、諸派・新。1万2150票。

千葉県知事選挙では過去最多となる140万票余りを獲得した元千葉市長の熊谷氏が、自民党が推薦した関氏らに圧勝し、初めての当選を果たしました。

熊谷氏は43歳。

千葉市議会議員などを経て、平成21年に31歳で千葉市長に就任し当時としては、全国で最も若い市長となりました。

そして今回、3期目の途中に辞職して立候補しました。

特定の政党の推薦は受けず、「県民党」を掲げ、与野党双方から支援を受けて選挙戦を展開し、新型コロナウイルスのワクチン接種を速やかに進めることや県の危機管理体制の強化などを訴えました。

熊谷氏は「コロナ禍での県政のかじ取りの責任を重く受け止めている。緊急事態宣言が解除される中、オール千葉でコロナ対策に取り組み、乗り越えていきたい」と述べました。

投票率は38.99%で、前回を7.81ポイント上回りました。

全国知事会によりますと、43歳の熊谷氏は、40歳の北海道の鈴木知事に次いで全国で2番目に若い知事になるということです。

前の市長の辞職に伴い新人3人が争った千葉市長選挙は千葉市の元副市長、神谷俊一氏が初めての当選を果たしました。

千葉市長選挙の結果です。

▽神谷俊一 無所属・新。当選。20万6550票。

▽小川智之 無所属・新。9万5621票。

▽大野隆 無所属・新。4万3703票。

元副市長の神谷氏が、20万を超える過去最多の得票で自民党の元市議会議員の小川氏らをやぶり、初めての当選を果たしました。

神谷氏は47歳。

平成8年に当時の自治省に入り、平成25年から5年間、副市長などを務め、前の市長で、県知事選挙で当選した熊谷俊人氏を支えました。

神谷氏は政党の推薦は受けずに、与野党双方から支援を受けて選挙戦を進め、熊谷氏の後継者として市政を発展させるとアピールしました。

神谷氏は「新型コロナウイルスへの対策は一刻の猶予もない。熊谷市政と市議会議員の皆さんが築き上げてきた、改革の気風を受け継いで前に進めていきたい」と述べました。

今回の投票率は45.03%で、前回、4年前を15.96ポイント上回りました。

今回の萩市長選挙は、2期目を目指す現職の藤道健二氏と、元山口県議会議員で新人の田中文夫氏の2人の争いとなりました。

選挙戦で、藤道氏は、次の衆議院選挙で山口3区での立候補を模索する自民党林芳正参議院議員の支援を受けました。

一方、山口3区選出で同じ自民党の河村元官房長官は、弟でもある田中氏を支援し、選挙戦は、山口3区をめぐる代理戦の様相を呈しました。

そして、21日投票が行われ、河村氏が支援した田中氏が500票差で藤道氏をやぶって初当選を果たし、河村氏が地盤を守った形になりました。

河村氏は「次の衆議院選挙は自民党が政権を維持する大事な選挙で私も負けられない。林氏には林氏の考えがあると思うが、国政選挙は党の方針にしたがってやる選挙だ」と述べました。

林氏は、山口3区からの立候補について「いろんな後援者からいろんな声をいただいているので、それをしっかり受け止めて精進を重ねていければと思っている」と述べるにとどめました。

森友学園に関する決裁文書の改ざんに関与させられ自殺した近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(当時54歳)が、改ざんの経緯を詳細にまとめて職場に残したとされるファイルについて、妻の雅子さんは先月、国などを訴えた裁判で証拠として提出することを国に命じるよう大阪地方裁判所に申し立てました。

国側は、この申し立てに対する主張をことし5月までにまとめて回答するとしていましたが、裁判所は遅すぎるとして22日、進捗(しんちょく)を確認するための協議が非公開で行われました。

原告側によりますと、この中で裁判官はファイルについて、「証拠調べの必要がないとは考えていない」としたうえで、国に対して提出命令を出さなくても任意で開示するよう促したということです。

一方、国側は「ファイルは探索中」として存在するかどうか明らかにせず、申し立てに対する主張は、5月6日までに書面で出すと改めて答えたということです。

原告側の生越照幸弁護士は、「裁判所の踏み込んだ対応には、いい意味で驚いたので、次の国側の対応を注視したい」と話していました。

飲食店の運営会社グローバルダイニングは22日東京地方裁判所に訴えを起こし、東京 千代田区で長谷川耕造社長が会見を開きました。

訴えによりますと、グローバルダイニングは、今月18日に都から都内の26店舗について、「午後8時以降も営業を続け、感染リスクを高めている。ほかの飲食店の営業を誘発するおそれがある」として、営業時間を短縮するよう命令を受けました。

これについて、特別措置法は営業の自由や法の下の平等を保障した憲法に違反し、営業時間の短縮命令は違法だとして、都に賠償を求めています。

会見で長谷川社長は「店ではクラスターも起きず、営業を短縮しなくても社会やお客様に危害を加えることはないと確信していた。懲罰を与えることは許されない」と述べました。

また、弁護団倉持麟太郎弁護士は「緊急事態宣言が必要だったのかも検証されていない。司法の場で争うことを通して、薄弱な法的根拠で、政治による決定がなされ、しわ寄せを受けている人の声なき声を伝えていきたい」と述べました。

一方、東京都は「訴状が届いておらず、コメントは差し控える」としています。

22日夜、総理大臣官邸で開かれた経済財政諮問会議で、菅総理大臣は「緊急事態宣言の解除後であっても、引き続き緊張感をもって対策を実施し、リバウンドを防いでいく。そして雇用と事業を支え、経済を回復させていく」と述べました。

そのうえで、東京から地方への人の流れを加速させるとして、政府のファンドを通じて大企業の人材を地方の中小企業に派遣するため、金融機関や商社などから早期に1万人規模の人材をリストアップし、地方の活性化につなげていく考えを示しました。

会議では今後の経済運営についても意見が交わされ、菅総理大臣は「非正規労働者の処遇改善といった構造的な課題にも答えを出すため、最低賃金をより早期に全国平均で時給1000円とすることを目指す」と強調しました。

また大学改革をめぐり、世界レベルの研究基盤を構築する10兆円規模の大学ファンドの設計を具体化するとともに、2025年度までに共同研究への民間企業の拠出額をおよそ7割増やすなど民間資金を活用する考えを示しました。

事件の総括から見えてきたのは、「成り上がりが嫌いな国民性」と「異物の存在を許さない日本の空気」だった。

私がずっと疑問に思っていたのは、「昭和は総括されたのか」ということ。銀行が抱えた大量の不良債権などを、税金を投入して処理をして、単に数字のつじつま合わせをしただけ。昭和に起きた本質的な問題の解決を、平成は先送りにしただけだったのではないか。

戦後の昭和(1945年~)はそれまで「政治の国」だった日本を、「経済の国」にしようと試みた時代でした。また底流に日米関係があって、ときどき、噴火口からものすごい問題がマグマみたいに飛び出してくる。その一つがロッキードでした。

事件の当時、私は中学生でしたが、大人気だった田中角栄総理が叩き落される様をみて、日本の政治はダメだと思った。小説は、新しい価値観を社会に与えて、民主主義の政治に大きな影響も与えることができる。ロッキード事件は私が小説家になる原点の一つだったんです。

また、田中角栄という魅力的な人物を自分なりに見つめてみたかった。ロッキード事件が起きた70年代は、昭和が最も熱かった時代です。当事者ではない人間がもう一度あの事件を振り返ることで見えてくる昭和の実像があるのではないか。そう思って取り組みました。

大西さんが『起業の天才!』(東洋経済新報社刊)で描かれた江副浩正も、リクルート事件で逮捕された起業家でした。昭和最後の疑獄ですね。ロッキード事件リクルート事件は、歴史の線でつながっていて、昭和を知るうえで欠かせない事件だったと思います。

大西 私もロッキード事件は思い入れのある事件です。当時、私は小学生でしたが、大学はおろか高校も行ってないのに、“たたき上げ”で一国の宰相になった角栄を、マジでカッコイイと思ってました。メディアも国民も、誰もが角栄を持ち上げていて、角栄になりたいと幼心に思ったんです。ところが、ある日を境に凄まじいバッシングを浴びるようになり、「今太閤」と言われていた角栄が「極悪人」に落とされる。これはいったい何なんだと思いましたね。

昔の子どもは、「大人になったら何になりたいの?」と聞かれて男の子だったら「野球選手」とか「博士」とかに交じって「総理大臣になりたい」という答えも多かった。新聞記者を経て、フリーのジャーナリストになったいま思うのですが、政治家が評価されなくなったのはロッキード事件からですよね。急にみんなが「政治家なんてさ」と言うようになった。その後、リクルート事件が起きると江副が逮捕され、彼に対する猛烈なバッシングが巻き起こった。すると今度は「起業家ってうさん臭いよね」という雰囲気が充満しました。

政治家もダメ、起業家もダメとなったらいったい、日本に何が残ったんだと。いまだに学生に人気の銀行マンだけが本当に世のため、人のための職業なのかと。

つまり僕はヒステリックに魔女狩りをして、その人の功績までも灰燼に帰してしまう日本の「世論」に危うさを感じてきたのです。

真山 私は「今太閤」という言葉に違和感を持ったんです。戦国時代の武将の中では織田信長が好きで、破壊的革新者にあこがれていました。その点、豊臣秀吉は百姓の子から天下人になった成り上がりの象徴。そんな捉え方をしていたから「太閤」という言葉を聞いたとき、みんなは田中角栄を内心では小バカにしていると思ったんです。この人は、必ず持ち上げられて落とされる。だからロッキード事件が起きた時、ほら見たことかと。

日本人は「たたき上げ」は好きだけど「成り上がり」は嫌いです。昨日までは「たたき上げ」と思われていた人が、調子に乗っているとみられた瞬間に「成り上がり」と言われるようになる。角栄が総理になって呼ばれた「今太閤」という言葉は、成り上がりという意味を含むレッテルの一つだったと思います。

私は小説家ですから、ファクト・ファインディングではなくてメンタルを探ることから入るんです。角栄が「何を」したのかではなくて、「なぜ」そのようなことをしたのか――今回のノンフィクション作品でも、それを大事にしました。でもメンタルが分かると、小説家の癖でその人が次にどのような行動をとるのかまで想像できてしまう。それでは客観性が無くなってしまいます。執筆中は角栄に憑依してしまわないように、敢えて自分自身で遠ざけようとしていました。

大西 起業家としては天才だと思います。でもアダルトチルドレンで、サイコな病理を抱えているような人でした。正直に言うと、友達にはなりたくない。

真山 言い切りますねえ(笑)

大西 天才的起業家と言うのはアマゾンのジェフ・ベゾスが「火星人」と呼ばれているように奇人・変人が多い。わき目もふらず、周囲との軋轢も気にせずに自分の夢をかなえようと行動している。こうして江副は求人情報誌を皮切りにバブル期の不動産投資、そして今のAWSAmazonのサービス)にも通ずるクラウドコンピューティングの構想にたどり着いていきます。彼の天才的な先見性は半端ない行動力の賜物でしょう。

江副は、目の前の仕事に夢中になると周りが見えなくなる。安倍晋太郎安倍晋三の父・外務大臣自民党幹事長など要職を歴任)との食事の約束をすっぽかしたこともあるし、また政治家や官僚、財界のキーマンたちにリクルートコスモス社の未公開株をバラまくようなならず者でした。

その生い立ちは、戦争で苦労した人たちと共通して悲惨な過去を抱えていました。3人の母親がいて、生母の記憶はほとんどありません。また戦後、継母との暮らしは父の愛人が同居していて、やがて継母は家を飛び出してしまいます。貧しいくらしの中で、栄養失調と診断されたこともあり、江副はこれが「私をハングリーな人間にしたと思う」と語っていますが、親からの愛情は足りなかったでしょうね。

両親のもとを離れて、父方の実家に預けられた江副は祖父から「名前が新聞に載るような人間になれ。少々悪いことでも構わん。ただし、刑務所に行くようなことは絶対にしてはならん」と言われて育ったと自伝で書いています。

違法でないなら、グレーなことでも何でもやってきた。それが江副の真骨頂でした。こうした「ならず者」は、アップルの創業者のスティーブ・ジョブズをはじめ世界の起業家の中にはたくさんいます。でもなぜか日本人は「ならず者」が嫌いなんですよね。

大西 江副のそばにはいたくないけど、角栄とは語り合ってみたかった。面白かっただろうな。

真山 私も心からそう思いました。人の痛いところに手が届き、自分のないものを持っている人に取り入るのがうまい。秀吉に似ていてまさに太閤なのですが、その才覚が結局は災いしたと思います。彼は雲の上の世界を知らずに育ち、雲の上に出たとたんに舞い上がった。生まれたときから“銀の匙”を咥えてきた人たちは、生まれながらの殿様なので「よきにはらかえ」と言える。でも角栄はそれができませんでした。だから自分で、何でもやってしまう。

リーダーシップを学んでこなかったことが角栄の弱点でした。それは、江副とは異なります。江副は人を使うことで会社を大きくしたリーダーでしたが、角栄は自分で何でもやろうとした。リーダーではなく親分なんです。惜しむらくは角栄に、優秀な側近がいなかったことです。

大西 その性分がロッキード事件へとつながっていくのですね。ロッキード事件はさまざまな視点で語られてきましたが、実態は角栄が、自ら足を踏み外したのか、はたまたハメられたのか。成り上がりでお調子者の角栄に対して、その背後には、エスタブリッシュメント出身の吉田茂佐藤栄作池田勇人中曽根康弘という一枚上手のやつらがいた。

真山 角栄はやはりエリートばかりの政治家の中で異物だったのです。土建業の社長から政治家に転身し、カネの力学や経済のことはよくわかる。一方、官僚タイプの政治家にしたら、カネにまつわる交渉事は汚れ仕事でやりたくないし、そもそもやり方が分からない。だから吉田も佐藤も池田もみんな、角栄を欲しがった。それを彼も利用して、党内でどんどん存在感を増して総理になりました。

ところが、角栄は総理になってもカネ周りの仕事を自分でやってしまう。本当は側近に「人に任せましょう、それが本物の総理ですよ」とささやける人や、代わりにやってくれる人がいればよかった。後藤田正晴警察庁長官退任後、政界に転出。中曽根政権の官房長官)がもう少し早く角栄についていれば、違ったでしょうね。

越山会の女王」と呼ばれた、角栄の金庫番で公私にわたるパートナーの佐藤昭(あき。のちに改名して昭子)が女性だったことも影響したでしょう。彼女が男だったら間違いなく、小泉純一郎の秘書だった飯島勲さんのようにふるまえた。佐藤は自分でも「私が男だったなら」と言っていますし、『決定版 田中角栄日記』にこうも書いています。

〈田中は自分を頼ってくる者に対しては面と向かってダメとは言えない。いつも私に向かって愚痴をこぼす。「それなら自分で言えばいいじゃないの」と何回言ったことか。その性格的な弱さが、命とりだったと今にして思う〉

角栄が若くして総理になったのは、才覚でもあるし、幸運でもあったでしょう。でもそこで運を使い果たしたかのように、ロッキード事件に吸い寄せられていく。その後は、本当に気の毒でした。

大西 愛された角栄とは対照的に、江副さんは日本的な経営者や一般のサラリーマンから嫌われた人です。江副が打ち立てた情報誌のビジネスモデルは、朝日、読売、電通が築いた秩序をぶち壊すものでした。

また、江副は、学生時代のアルバイトからそのまま起業した。会社勤めの経験がないためメンターとなる先輩経営者がいなかった。そこで江副が教科書にしたのは、高校時代に出会ったアダム・スミス国富論であり、経営学者のピーター・ドラッカーの本です。とくにドラッカーの、ナチスの台頭を許した戦前の経済人たちへの警句を、戦争のために苦労を強いられた世代の江副は真剣に捉えたでしょう。「成果をあげる責任あるマネジメントこそ、全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」という教えに忠実に行動してきました。

逆に、建前は市場経済、実態は社会主義だった戦後の日本型資本主義を、江副は理解できなかった。経済学者のシュンペーターがいうイノベーター、つまり既存の枠組みの破壊者である江副は、日本の秩序を壊しかねないという嫌悪感を、経団連の経営者たちや既存の企業に属する人々に抱かせることになったわけですが、江副自身は、こうした日本の財界や社会の反応に無頓着だったと思いますね。

既存のエスタブリッシュや、日本の秩序にとっての異物である角栄と江副。ロッキードリクルートの疑獄は、異物の存在を許さない日本の空気の中で引き起こされたのかもしれません。

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