「小室圭さん」の問題を宮内庁はなぜ解決できないのか 思い出す「藤森昭一長官」#小室圭 #眞子さま #結婚問題 #藤森昭一 #宮内庁長官 #デイリー新潮https://t.co/rV7fDlX63L
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2021年6月20日
「これまでも、宮内庁と小室さんの意思疎通を疑問視する声はありました。文書を巡るやりとりでも、その疑問が改めてクローズアップされたと思います。同じことは眞子さまとの間でも指摘できます。父親の秋篠宮さま(55)も眞子さまとのコミュニケーションに苦労しておられるようです。ならば宮内庁に眞子さまの信頼を得ているスタッフがいるかと言えば、残念ながら存在しないようです」(担当記者)
加地隆治・皇嗣職大夫が定例記者会見で行った発言も問題視された。文書で示された今後の解決策などは、「眞子さまの意向が大きかったと聞いている」と明かしてしまったのだ。
「眞子さまが公開を希望され、秋篠宮さまもご承知の上で行われた発言なのは間違いないでしょう。しかし小室家の金銭問題に眞子さまが関与したと明かしたのですから、やはり大きな間違いだったと思います。眞子さまは小室家が抱えるトラブルとは絶対に距離を置かなければなりません。宮内庁は眞子さまに問題点を指摘し、お諫めするべきだったのではないでしょうか」(同・担当記者)
かつては、こんなことはなかった──古くから皇室の内情を知る宮内庁関係者は疑問を口にする。
「故・藤森昭一さん(1926~2016)は、1988年から96年まで宮内庁長官を務め、当時は皇太子だった天皇陛下のお妃選びで中心的な役割を担いました。お妃候補としての雅子さまは、祖父が水俣病の原因企業であるチッソの社長などを務めた経歴が問題視され、リストから外されていました。ところが天皇陛下が『雅子さんではだめでしょうか』と本心を明かされると、当時の藤森長官は一転してご成婚に向けて動き出すのです」
藤森元長官は1926年12月26日、長野県松本市に生まれた。ちょうど12月25日から31日までしかない昭和元年だったため、「昭一」と名づけられた。後日、このエピソードを昭和天皇に披露すると、にっこり笑われたという。
旧制松本高校から東大法学部に進み、厚生省(現:厚生労働省)に入省。内閣の主席参事官や内閣官房副長官など、首相官邸勤務を13年間経験した。
1988年4月に宮内庁次官、6月に長官に就任した。読売新聞は同年4月、名物連載の「顔」で、皇室問題に精通した“大物”が送り込まれたと紹介。《天皇、皇后両陛下の健康問題や、浩宮さまのご結婚など重要案件を抱えた宮内庁を、いかに重視しているかがうかがえる》と解説した。
藤森元長官と焼酎を飲み明かしたという三笠宮家の長男・寛仁さま(1946~2012)は「話の分かる人だな」と吐露、昭和天皇は「なかなかよい人だ」と評されたと伝えられている。朝日新聞は記事に《天皇が人柄への好感を口にするのは珍しい》と記した(※註1)。
「藤森さんは昭和天皇の崩御、昭和から平成への改元、そして大喪の礼などを宮内庁長官として陣頭指揮を執りました。そしてお妃選びです。天皇陛下のご意志を確認されると、雅子さまへの“メッセンジャー”役を自身の人脈から元外務次官の男性に依頼。情報漏洩を防ぎながら、お二人のデートをお膳立て。その後も揺れ動く雅子さまのお気持ちなどに配慮を示し、天皇陛下を励まされました」(同・宮内庁関係者)
2004年6月、雅子さまは適応障害との診断を受け、療養に入られた。05年に藤森元長官は宮内庁参与を退任し、皇室の相談役から退いた。
この時、「女性自身」は05年3月22日号に、「雅子さま 『唯一の相談相手』突然の辞任と笑顔遠のく『孤独の春』再び…」の記事を掲載した。藤森元長官と雅子さまの信頼関係が分かる見出しだ。
藤森元長官の参事退任から、更に16年の歳月が流れた。宮内庁のスタッフと皇室の距離はますます遠くなっているのだろうか。
「本来なら、小室さんと眞子さまの問題がこれだけ複雑化、長期化してしまったのなら、しかるべき宮内庁の人間が間に入って解決しなければならないでしょう。しかし今のところ、そんな人は見当たりません。宮内庁の人材不足も深刻なのです」(同・宮内庁関係者)
一体、何が原因なのか、皇室ジャナーリストの神田秀一氏に訊いた。
「2001年の中央省庁改革が、宮内庁に大きな影響を与えたと思います。それまでの宮内庁は、かなりの独立性を認められていました。ところが01年以降、普通の省庁と変わらなくなるわけです。こうなると、どんなに優秀な方が宮内庁に入られても、なかなか自由には動けないということになってしまいました。かといって宮内庁も省庁の1つですから、組織図の中に組み込まれるのは当然でしょう」
結局のところ、眞子さまが国民の声に耳を傾けていただくことを期待するしかない──こんな声も関係者からは聞こえてくるという。
「天皇陛下は19年に即位されると、『常に国民を思い、国民に寄り添いながら』責務を果たされると仰いました。こうしたお言葉からも、皇室が国民の声を非常に重んじておられることがよく分かります。ならば、これほど国民が結婚に反対している事実を、眞子さまも厳粛に受け止められるべきではないでしょうか。結婚一時金にしても、国民の血税が原資です。独自の財源を持っているイギリス王室とは全く違います」(同・神田氏)
d1021.hatenadiary.jp
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危機的な状況にあって政治指導者は、うつろいやすい時流に染まってはならない。国家の岐路に立つ瞬間であればなおのこと、大勢に順応するのではなく、大所高所から責任ある決断力を発揮すべきである。最晩年の天皇は、ときの権力者や後世にそう言い残そうとしたのかもしれない。
「『春秋左氏伝』成公八年の条に『信以て義を行い、義以て命を為す』とある。義命とは大義名分よりはるかに重いもので、道徳の至上命令にあたるものです。自分の心に深く内省してみると、もはや戦争はやめたほうがいいという答えが返ってくるからやめるのです。
それを“時運”にすると、戦い、われに利あらず、だから、ときの成り行きのままやめるということになってしまい、まったくのご都合主義になってしまう。この姿勢はもってのほかといわなければならない」
「現代の政治には理想がないといえる。民主政治の名の下に行政も議会もなりゆきまかせになりがちです。それもこれも終戦の詔書のなかの“義命”を“時運”に変えてしまったところに責任がある。あなたも政治家として、時運派ではなく、義命派になってください」
安岡正篤先生刪修の二大眼目についてもお話申しあげました。例の『万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』と『義命ノ存スル所』の加筆の意図についてです。そのとき陛下は『わが意を得たり』といえるほどの顔色で、深く首肯されたのでした。
時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
In a time of crisis, political leaders must not be tainted by the fickle currents of the times. Even more so at the crossroads of the nation, they should exercise responsible decisiveness from a higher vantage point, rather than conforming to the masses.
「今 日本の力がないのは 秀策達 過去の棋士から 何も学んでないからだろう」
「天地の為に心を立つ。生民の為に命(命は一に道)を立つ。
往聖の為に絶学を継ぐ(往聖は一に去聖)。
万世のために太平を開く」
"For the sake of heaven and earth, let your heart stand. "For the sake of all people, take up life (life is the path).
For the sake of the Way of the Saints, I will continue my studies (Way of the Saints is the Way of the Past).
Establish peace for the sake of all generations.
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結婚というか、皇室と日本から追放でいいと思う
大岡越前でいう所の、江戸十里四方所払いに処す ってヤツだ これはあくまでも 情け
大岡越前なら、泣いて奉行に感謝して、男と抱き合って江戸から出て行くだろう
言っちゃ悪いが眞子さんのやってる事は、大昔なら、その場で顔真っ白にしたお公家さんから 汚らわしい!! と激高されて切り捨てられている事だからな
速報◆20日、オランダ訪問中の皇太子・裕仁(ひろひと)親王(20)が、アムステルダムを出発。特別列車でふたたびベルギーに向かい、大戦初期のリエージュの戦いの戦場を訪れる。午後5時30分、非公式にフランスへ戻る。 =百年前新聞社 (1921/06/20)
— 百年前新聞 (@100nen_) 2021年6月20日
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#天皇家
幕府に愛着も未練も無かった将軍・徳川慶喜 根源にあった尊皇思想https://t.co/Spgdzy5jZA
— NEWSポストセブン (@news_postseven) 2021年6月20日
大政奉還も純粋な尊皇第一主義のなせる業だった。慶喜には幕府というものに対する愛着、未練がない。#徳川慶喜 #大河ドラマ #青天を衝け #草なぎ剛 #NEWSポストセブン
速報◆20日、イギリス帝国会議において、カナダのアーサー・ミーエン首相(47)が、日英同盟の破棄案を主張する。 =百年前新聞社 (1921/06/20)
— 百年前新聞 (@100nen_) 2021年6月20日