多くの偉人が手記を残している理由,私がしばしば日記を書くことやObsidianを推している理由などがご理解いただけるかと。表題の「ノート」は紙の綴じられたノートに限られず,デジタルを含みます。
— 野田隼人 Atty. NODA Hayato J.D. (@nodahayato) August 9, 2021
すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術 (星海社新書) https://t.co/deMF2jz2Tr
「表題の『ノート』は紙の綴じられたノートに限られず,デジタルを含みます。」これが私にとって買う前に一番知りたかった情報だったりしました。勢いで買ったわけだけど。過去にまあまあ売れた紙のノート前提の本があったせいですね。https://t.co/jTS92DuQHp
— 野田隼人 Atty. NODA Hayato J.D. (@nodahayato) August 9, 2021
この12時間で15冊ほど買っていただいた。
— 野田隼人 Atty. NODA Hayato J.D. (@nodahayato) August 9, 2021
この本を読んでノートの意味について言語して置くことは大切だと思う。技法よりも思考の補助具としての意味について,とくに。この年になるまでほとんどノートなしにあらゆるものが処理できたためにノートの使い方を学んでこなかったツケを払っている感じ。 https://t.co/yT3jGJ7jUI
ノートを書いて,仕事なり研究なり生活の改善なりに役立てていられる人にはいらないかもしれない。
— 野田隼人 Atty. NODA Hayato J.D. (@nodahayato) August 9, 2021
つまり、人間が人間であるために必要な「考える」という行為をするために大切なのは、記憶力ではなく、記憶をつなぎ合わせる「構想力」だということだ。
問いは「問いのプール」に入れておくといつか答えが見つかる。
なぜ答えが見つかるのかというと、プールの中で情報同士が、まるで脳の中のニューロンが突起を伸ばしシナプスで結合するように、自然と結びついていくからだ。
私にとって日記は、「問いのプール」への入り口になっている。
日記に文章化することによって、物事を言葉として認識し、潜在意識の中に刻み込むことになるからだ。
無限のキャパシティをもち、時間も空間も超越した「問いのプール」。
そんな「問いのプール」は誰もがもっている。
そしてそれらは、とても奥深いところでつながっているのだ。
日記を書くことで「自己内対話」がどんどん深まる。
それをさらに深めていくと、最後には自己を突き抜け、他者のプールともつながる無限のプールへと到達することができる。
日記はその奥深いところへ通じる入り口なのだ。
多くの人は、問いの答えは自分の外にあると思っている。
本を読んだり勉強したりするのも、そこに答えがあるのではないかと思うからだ。
しかし、それは違う。
本当の答えというのは、自分の中にあるのだ。
そんなことは日記を読み返していなくてもわかるはずだと、思うかもしれない。
だが実際にその場になってみると、自分の感情をコントロールするのは案外難しいのだ。
その証拠に、なぜあれほどの人が、と思うような人が実にばかばかしい行為を犯し、道を踏み外してしまうことがあとを絶たないではないか。
彼らだって、日記を通して自己ときっちり対話する習慣を身につけていれば、そんなことにならなかったはずだ。
人間は弱いものなのだ。
だが、弱いことを知って対処さえしていれば、恐れることは何もない。
こうしたことを何度も繰り返し、「問い」はまるで老舗のうなぎ屋のタレのように熟成されていく。
熟成された「問い」は、思いもよらないものと結びつき、「答え」へとつながっていく。
人生の戰いを長くなせし勇士の筆のつねとして、一語、一句、一節の中にも、眞理が豐かに包藏せられてゐるのである。いたずらに冗長なるは、戰いの經驗すくなき未熟者の筆である。老雄の筆は簡頚(かんけい)にして力と生命とに富む。
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