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 それは10月29日、京都4区に立候補した田中英之氏の応援に高市氏が駆け付けた際の出来事だった。田中氏が文部科学副大臣であることを念頭に、次のように語った。

〈いわゆる政務官とはまた違って、大臣と副大臣天皇陛下の認証を受けます。そういうことになりますと、万が一にも、この京都4区・田中英之が当選しないということになると、大変お忙しい天皇陛下にもう一度別の方を認証して頂かなくてはならない悲惨な事態が発生します〉

 さらに、演説の最後には、こんなダメ押しも。

天皇陛下にもご迷惑がかかります。なんとか、勝たしてやって下さい〉

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陸上自衛隊 鶫真衣陸士長(当時一等陸士) 「いつも何度でも」(千と千尋の神隠しより)

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【コロナに負けるな!】第3弾 中部方面音楽隊「威風堂々(鶫真衣)」いまこそ音楽の力で心をひとつに

自民党の世耕参議院幹事長は記者会見で、今回の衆議院選挙について「自民・公明両党で多くの議席をいただいたが、大阪で大敗するなど、さまざまな課題もある。全く油断できる数字ではない」と指摘しました。

そのうえで「『勝ってかぶとの緒を締めろ』の精神で、来年の参議院選挙に向けて頑張らなければならない。衆議院選挙の結果を客観的に分析し生かしていく。来年の選挙は、今回と同じく自公で過半数が目標になるのではないか」と述べました。

一方、世耕氏は、山崎拓元副総裁が選挙期間中に、立憲民主党の候補者の応援演説を行ったことについて「明確な反党行為で、何らかの処分は免れないだろう。党紀委員会で話し合われることだ」と述べました。

立憲民主党は10月31日に投票が行われた衆議院選挙で、小選挙区比例代表合わせて定員の過半数を超える240人の候補者を擁立するとともに、多くの選挙区で共産党などと候補を一本化して臨みましたが、選挙前の109議席を下回り96議席にとどまりました。

枝野氏は2日の党の役員会で「政権選択の構えを作ることはできたが、選挙の結果は平野代表代行や辻元副代表をはじめ有為な仲間がたくさん戻ってくることができず、また現有議席を下回るという大変残念な結果となった。ひとえに私の力不足だ」と述べました。

そのうえで「私どもとして次のステップを踏み出していくことが立憲民主党の役割、責任だと思っている。そうした状況を踏まえるなら、新しい代表のもと新しい体制を構え来年の参議院選挙、そして次の政権選択選挙に向かっていかなければならないと決断をした」述べ、代表を辞任する意向を表明しました。

そして枝野氏は総理大臣の指名選挙を行うために来週10日に召集される特別国会の閉会日に辞任しその後、党員などが参加する形で代表選挙を行う考えを示しました。

これを受けて立憲民主党は、今後の国会日程も見極めながら年内に実施できるよう準備を進めていく方針です。

立憲民主党の枝野代表は衆議院埼玉5区選出の当選10回で、57歳。
平成5年の衆議院選挙に当時の日本新党から立候補して初当選しました。
民主党政権では官房長官経済産業大臣、それに党の幹事長などの要職を歴任しました。

4年前に所属していた民進党が東京都の小池知事が立ち上げた希望の党への合流をめぐり分裂した際、政策や理念が異なるとして旧立憲民主党を結党して代表に就任し、直後の衆議院選挙で野党第1党に躍進しました。

枝野氏は去年9月には政権に対じするためさらなる大きな野党勢力を作りたいとして旧国民民主党などとの合流にこぎ着けて、今の立憲民主党を結成し引き続き代表を務めてきました。

今回の衆議院選挙では定数の過半数を超える240人の候補者を擁立するとともに、野党連携を主導し共産党などとの間で全体の7割を超える選挙区で野党候補の一本化を図り、政権交代を目指しました。
しかし党の選挙前の109議席を下回る96議席にとどまり、党内では責任を問う声があがっていました。

立憲民主党の福山幹事長はNHKの取材に対し「衆議院選挙は政権選択選挙という形で臨んだが、残念ながら現有議席が守れず多くの仲間を国会に戻すことができなかった。そのことは枝野代表も私も執行部の責任として重く受け止めている。枝野代表はまずはその責任をしっかり取り、けじめをつけるという思いで決断したのだと思う」と述べました。

また福山幹事長は記者団に対し、代表選挙の日程について「特別国会の最終日に党の両院議員総会で枝野代表の辞職が認められれば、その日から60日以内に新しい代表を選出しなければならないので年内に代表選挙を行いたい。具体的な日程は臨時国会の日程をにらみながら確定したい」と述べました。

一方で自身の進退について「枝野代表の辞職後は幹事長を中心に党務を行う。私は枝野代表を支えてきた者として力不足も含めて腹を決めているので、新代表が決まれば幹事長職を辞する」と述べました。

去年9月に当時の立憲民主党と国民民主党などの合流新党の結党に合わせて行われた代表選挙で枝野代表と争った泉政務調査会長は、記者団の取材に対し「旧立憲民主党の結党から非常に小さい野党第1党を育て上げ、政権選択選挙まで持ち込んだことについてご苦労が多かったと思う。そういう中でのご決断で重く受け止めた」と述べました。
一方、次の代表選挙に立候補する考えがあるか問われたのに対し「枝野代表の辞意を伺ったばかりなので、今は何も考えていない」と述べるにとどめました。

立憲民主党の安住国会対策委員長は記者団に対し「選挙で政権を目指したが、結果として政権に届かず現有勢力を超えられなかったということで代表としての責任を取ったということだ。今の執行部は退陣ということに当然なるので、次の人にはこの教訓を生かしてほしい。自公政権と対じしてどうやって政権を取れるのか。今回の足りなかった部分を補えるような新しい体制になってくれればいいと思う」と述べました。

共産党の小池書記局長は記者団に対し「今回の衆議院選挙ではさまざまな困難を乗り越えて協力を積み上げてきただけに、大変残念に思っている。野党共闘による一定の成果があったことは間違いないので、どなたが代表になろうとこれまで積み上げてきた合意をもとにさらに発展させていきたい」と述べました。

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#政界再編・二大政党制