上皇さま88歳 米寿に 健やかで穏やかな日々 #nhk_news https://t.co/mnYrHAOTTb
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年12月22日
上皇さまは、23日、88歳・米寿の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと、上皇さまは、新型コロナウイルスの感染拡大によって、この1年、魚類の研究などで皇居を訪れる以外は外出を控え、東京・港区の仮住まい先で上皇后さまと静かに過ごされました。
体調に大きな問題はなく、毎日定時に起床・就寝して朝夕には庭を散策するなど、健やかで穏やかな日々を送られています。
側近からは国内外の感染状況や自然災害について説明を聴き、社会と人々に思いをはせながら、日々の出来事について話をされているということです。
上皇さまは、即位の前とあとにそれぞれ各都道府県を2巡し、外国訪問は合わせて42回、延べ115か国にのぼったほか、即位後、被災地を58回訪れ、55の離島を訪ねられました。
上皇后さまと当時のことや人々との出会いを思い起こし、今日に至る長い道のりを振り返られているということです。
同時に、今も変わりなく苦労や困難を抱えた人々を案じ、それを支える人々の活動に思いを寄せ、人々の幸せと社会の安寧を願われているということです。
上皇さまは、また、今月、成年を迎えた天皇皇后両陛下の長女の愛子さまが立派に成長されたことを喜び、10月に結婚した秋篠宮ご夫妻の長女の小室眞子さんについては、幸せを願いつつ静かに見守られているということです。
上皇さまの誕生日の祝賀行事は、去年はすべて取りやめられましたが、感染状況が比較的落ち着いているため、ことしは感染防止に留意しながら行われることになっています。
上皇陛下は、今年88歳の米寿をお迎えになります。
新型コロナウイルスの感染拡大により、この1年は皇居にある宮内庁病院と生物学研究所以外へのお出ましを控えられ、仮御所で上皇后さまと静かにお過ごしになりました。
幸いご体調に大きな問題はなく、お健やかに穏やかな日々を送られています。
陛下の毎日のご生活はとても規則正しく、定時にご起床、ご就寝になり、お食事をなさいます。
ご起床後は上皇后さまとお庭をご散策になり、朝食をお済ませの後は、上皇后さまと寺田寅彦の「柿の種」を音読なさり、新聞をご覧になります。
その後、上皇后さまとご一緒に、侍従等から国内外の新型コロナウイルスの感染状況、自然災害の発生状況等について説明をお聴きになり、社会と人々の様子に思いを致されながら、国内外で起こる日々の出来事についてお話になっています。
午後は、月曜日と金曜日は生物学研究所からのお戻り後になりますが、上皇后さまと暫くおくつろぎの後、夕方のご散策にお出ましになります。
ご散策の途中では、それぞれの職場前でお迎えする上皇職や皇宮警察の職員と挨拶を交わされ、時には、道路を隔てたマンションの人々とも挨拶を交わされます。
午後の合間には、側近から報告等をお受けになるほか、献上のあった各種の資料や本にもよく目を通していらっしゃいます。
先日は、御即位20年の折に、陛下のお考えから那須御用邸の一部を環境省に移管して整備された「那須平成の森」開園10周年の記念誌を丁寧にご覧になり、お喜びのご様子でした。
ご夕餐後は、上皇后さまのお勧めで、侍従とお話になることを日課となさっており、アルバムなどをご覧になりながら、昭和28年に昭和天皇のご名代として、英国エリザベス女王陛下戴冠式にご出席になった折のアメリカ、カナダ、ヨーロッパ14か国ご訪問等についてお話になっていらっしゃいます。
陛下は、上皇后さまとご一緒に、ご即位前とご即位後にそれぞれ全国を2巡(平成5年の香川県行幸啓のみ陛下お一方)され、ご即位後は復興状況のご視察を含め被災地を58回ご訪問になり、55の離島をお訪ねになりました。
外国には、ご即位前に22回延べ68か国(うち14回45か国は外国元首の日本公式訪問に対する昭和天皇のご名代としての答礼)、ご即位後に20回延べ47か国、併せて42回延べ115か国をご訪問になっています。
また、宮殿や御所等でも様々な機会に数多くの人々とお会いになって来られました。
それゆえ、日々報じられるニュースの中には、両陛下がお訪ねになった場所やお会いになった人々に関するものも多く、両陛下は、そうした記事に接するたびに、当時のことや人々との出会いを思い起こされ、時に案じ、時に喜ばれながら、往時から今日に至る長い道のりを振り返っていらっしゃいます。
とりわけ今年は、上皇后さまのお誕生日に際しても紹介した通り、57年ぶりに東京でオリンピック、パラリンピックが開催され、後にオランダ国女王陛下となられるベアトリクス王女殿下とご一緒にご覧になった神永昭夫選手とアントン・ヘーシンク選手の柔道無差別級試合、現在のノルウェー・ハラルド5世国王陛下がまだ皇太子で選手として参加されたヨット競技等、当時いくつもの競技をご覧になったことを懐かしそうに思い出していらっしゃいました。
また、今日のパラリンピックとは隔世の感のある素朴で質素な昭和39年の東京パラリンピックと、これを契機として、陛下のご提案で翌年から始められた全国身体障害者スポーツ大会の歴史を振り返られ、障害者スポーツの発展をお喜びになっていらっしゃいました。
陛下は、平成元年9月30日、札幌市で開催された第25回全国身体障害者スポーツ大会開会式のお言葉の中で、第1回岐阜県から昭和62年の第23回沖縄県まで毎回見守られた大会の発展を感慨深く振り返られ、25年の歳月が各地に障害者のスポーツに対する理解を育て、障害を持つ多くの人々がスポーツを通じて新たな人生を見いだしてきた意義に触れられ、大会を育ててきた関係者の尽力に感謝なさり、国民の間に障害者のスポーツに対する理解が更に増進することを願われています。
宮中祭祀については、ご在位中はもとより今も引き続き一番大切にお考えで、祭祀が行われる間、両陛下はいつも静かにお慎みになっていらっしゃいます。
今年も新嘗祭に際し、両陛下は天皇陛下の出御に合わせてお慎みの時を過ごされ、暁の儀が終了する深夜までお慎みをお続けになりました。
沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には、今もテレビ中継に合わせて、上皇后さまと共に黙祷をなさっています。
生物学研究所でのご研究は、昨年5月末から再開され、今年5月には、共著者と共に「日本から得られたオキナワハゼ属Callogobius(ハゼ科)の2新種の記載」(原題:Description of two new species of Callogobius(Gobiidae)found in japan)と題する論文を発表され、ご論文は日本魚類学会の英文誌(lchthyologicaI Research)オンライン版に掲載されました。
陛下はこれまで日本魚類学会会員として同学会誌に29編の論文を、その他の学術雑誌等に魚類に関する英文論文4編を、また、魚類以外でも国立科学博物館研究報告として「皇居におけるタヌキの食性」に関する論文2編(共著)を発表されており、今回の論文は36編目となります。
現在、生物学研究所職員と日本の河川に生息するチチブ類3種(チチブ、ヌマチチブ、ナガノゴリ)についてのご研究、とりわけ分布域が重複するチチブとヌマチチブの鱒の機能と遊泳行動の関係を明らかにするための実験観察をお続けになっていらっしゃるほか、日本産クモハゼ属の分類学的再検討についてのご研究もお始めになっています。
なお、陛下は、魚類学のご研究業績により、昭和55年に50名限定のロンドン・リンネ協会外国会員の一人に選ばれていらっしゃるほか、平成10年には、英国王立協会(ロイヤル・ソサエティ)から、科学の進歩に顕著な貢献のあった元首に贈られるチャールズ二世メダルの世界初の受賞者となっていらっしゃいます。
ご譲位により、公的なご活動からは離れられましたが、日々のご生活の中で、今も変わりなく、苦労や困難の中にある人々を案じ、それを支える人々の活動に思いを致され、人々の幸せと社会の安寧を願っていらっしゃいます。
ご高齢となり、時折お歳相応にお忘れになったり、ご記憶が不確かになられることはおありですが、いつも一緒にいらっしゃる上皇后さまにお尋ねになり、事実を確かめられては、「そうだったね」と笑顔で得心されるご様子をよく拝見します。
ご年齢が近いこともあり、お互いを優しく気遣われ、支え合われながら、穏やかな日々をお過ごしです。
先日、愛子内親王殿下がご成年を迎えられましたが、立派に成長なさったことをお喜びのご様子でした。
また、結婚された小室眞子さまについては、お幸せを願われつつ、静かにお見守りになっていらっしゃいます。
上皇さまが米寿を迎えられるにあたって、宮内庁は、上皇后さまとともに歩まれた平成の30年間の象徴天皇としての活動を紹介する映像を制作し、公開しました。
映像は1時間にまとめられ、平成の時代に相次いだ大きな自然災害では、上皇ご夫妻が被災地をたびたび訪問された様子が紹介されています。
平成3年に起きた長崎県の雲仙普賢岳の噴火災害では、避難所の床にひざをついて被災者に話しかけられる姿が映されています。
当時、その姿に驚きの声もあがったものの、被災者の思いに寄り添おうとされる上皇ご夫妻にとってはごく自然なことだったと説明されています。
平成23年3月の東日本大震災では、7週連続で避難生活を送る被災者を見舞い、7都県を訪問されたことが紹介されています。
また、上皇さまが戦争の惨禍を忘れずに平和のために生かすことの大切さを繰り返し語ってきたことも伝えています。
激しい地上戦で20万人以上が犠牲になった沖縄県には、上皇后さまとともに11回訪問。
戦没者を慰霊し、遺族と面会される様子が映されています。
戦後60年にあたる平成17年、慰霊のために訪れたサイパンの映像では、多くの日本人が身を投げた断崖「バンザイ・クリフ」で上皇ご夫妻が深々と黙とうをささげられています。
さらに退位されたあとの様子も紹介されています。
去年3月に引っ越した、東京 港区の仮住まい先ではお二人でほほえみながら花が咲く庭を散策されています。
この映像は政府インターネットテレビで23日から公開されています。
「上皇陛下 米寿をお迎えになって~平成の歩み~」
政府インターネットテレビ
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上皇さま 88歳米寿に 両陛下が祝賀 推古天皇以降で最高齢に #nhk_news https://t.co/X51OZgH6BZ
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年12月23日
上皇さまの誕生日の祝賀行事は、去年は新型コロナウイルスの影響で見送られましたが、ことしは感染防止に留意しながら出席者を絞った形で行われました。
午前11時前、天皇皇后両陛下が上皇ご夫妻の仮住まい先である、東京 港区の仙洞仮御所を訪問し、お祝いのことばを述べられたということです。
仙洞仮御所の前にはおよそ90人が集まり、両陛下は車の窓を開けて、笑顔で応えられていました。
秋篠宮さまもお祝いのために訪問されました。
上皇さまは、確かな記録が残るとされる飛鳥時代の推古天皇以降の天皇の中では、最高齢になられます。
宮内庁によりますと、体調に大きな問題はなく、毎日定時に起床 就寝して朝夕には上皇后さまとともに庭を散策するなど、健やかで穏やかな日々を送られています。
1933年12月23日、上皇陛下が生まれました。
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昭和天皇の子は4人続けて女子であったため、皇位継承者の誕生に国中が湧き上がったといいます。
魚類学者としても知られており、ハゼの研究者として論文も執筆、退位後の2020年にもオキナワハゼ属の新種を発見するなど活躍されています。 pic.twitter.com/KWafpgbvBY
なぜ雅子皇后と紀子妃への評価が10年で逆転したのか “皇室特権”への批判と公私教育の差異https://t.co/WGOIiCLIIO#皇室 #雅子さま #紀子さま #週刊新潮 #デイリー新潮
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黒田清子さんのティアラ借用は愛子さまのご提案だった…成年を前にご両親へ宛てた“お手紙の内容”《皇后雅子さまは手紙やカードの数々を箱に保管》
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#1 #愛子さま #雅子さま #文藝春秋 #文春オンラインhttps://t.co/tR67ZG1MpE
「やさしい学校の先生」になりたかった愛子さまの将来の夢は…雅子さまの外務省キャリアウーマン時代の写真をご覧になった愛子さまの“ご感想”
— 文春オンライン (@bunshun_online) 2021年12月22日
#2 #愛子さま #雅子さま #文藝春秋 #文春オンラインhttps://t.co/uU8zM3sPt0
「皇族の結婚とは何が理想なのか」愛子さま20歳が眞子さんの結婚までの過程をご覧になって考えられたこと〈本当に幸せだったのだろうか〉
— 文春オンライン (@bunshun_online) 2021年12月22日
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皇居 年末年始のライトアップ始まる 1月3日まで #nhk_news https://t.co/XVmxGzMtEu
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#天皇家
1956年12月23日、石橋湛山内閣が発足しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2021年12月22日
しかし、発足から1か月後に石橋が脳梗塞で倒れ職務不能となり、そのまま2月に総辞職しました。
在任期間は65日で、東久邇宮内閣、第3次桂内閣、羽田内閣に次ぐ4番目の短さです。
石橋は戦前から「小日本主義」を唱え、国土拡大政策を批判していました。 pic.twitter.com/jUs2PhYV6i