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上皇さまは23日、89歳の誕生日を迎えられました。

上皇さまはことし4月、東京・港区の仮住まい先から、上皇后さまとの結婚後、30年余りを過ごした赤坂御用地のお住まいに移られました。

宮内庁や関係者によりますと、毎日、朝と夕方に上皇后さまと一緒に庭を散策し、その際、近くのビルから人々が上皇ご夫妻に向かって手を振ることがあり、上皇さまは手を振って応えるなど交流を楽しみにされている様子だということです。

新しいお住まいでは趣味のチェロの練習を再開し、月に2回ほど講師を招いて演奏を楽しまれていて、上皇后さまが同席して耳を傾けられることもあるということです。

また、週に2回、皇居の生物学研究所に通うなどライフワークであるハゼ類の研究にも取り組まれています。

ことし7月には心不全の診断を受けましたが、薬の服用などの治療を続けて改善しつつあり、9月に手術を受けられた白内障緑内障の経過も良好だということです。

上皇后さまとともに毎日、随筆や小学校の時の国語の教科書を音読して読み返したり、職員と歓談したりして静かに穏やかな日々を規則正しく過ごされているということです。

23日は、お住まいで、感染対策を徹底して簡素な形で誕生日の祝賀行事が行われ、上皇さまは、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻から祝賀を受けられます。

宮内庁が発表した、上皇さまの近況です。

上皇陛下は、ことし、89歳のお誕生日をお迎えになります。

令和2年3月の仙洞仮御所(港区高輪)のご移居を経て、本年4月、旧赤坂御所である仙洞御所にご入居になり、ご準備も含めた足かけ3年に及ぶ皇居からのご転居を終え、平成5年12月まで33年余お住まいになった思い出の地にお戻りになりました。

この一年もまた、新型コロナウイルスの感染拡大が続き、東京大学医学部附属病院および皇居内の宮内庁病院、生物学研究所を除き、今年6月に沖縄復帰50年記念特別展「琉球」、「沖縄復帰50周年記念特別展・公文書でたどる沖縄の日本復帰」、12月に学習院大学史料館で開催された特別展「ある皇族の100年―三笠宮崇仁親王とその時代―」をご覧になったほか、外へのお出ましはありませんでした。

陛下は、これまでと同様に、上皇后さまとご一緒に、静かに穏やかな日々を規則正しくお過ごしです。

毎日、ご起床後に上皇后さまとお庭をご散策になり、お戻り後にお食堂の水槽で飼われているチチブハゼに餌をお与えになります。

7時のTVニュースをご覧になりながら朝食をおとりになり、その後はゆっくりと新聞に目を通され、上皇后さまと本を音読なさいます。

東宮時代からこれまでにモンテーニュの「随想録」、パスカルの「パンセ」、堀辰雄の「大和路・信濃路」、寺田寅彦の随筆などをご一緒に読んでこられましたが、最近は、お二方が共に小学生五年時に学ばれた国語の教科書を読み返していらっしゃいます。

9時には上皇后さまとご一緒に、当直の侍従から当日の上皇上皇后両陛下のご日程、皇室全体のご動静について説明をお受けになります。

また、国内外で発生している出来事についても話題となさり、説明をお受けになっています。

毎週、月曜日と金曜日の午前午後は皇居生物学研究所で、水曜日午前は仙洞御所で、生物学研究所職員とハゼ科魚類の分類に関する研究を進めておられ、国内外の論文を確認されたり、標本を顕微鏡でご覧になったり、2か月に一回開催される魚類分類研究会のオンライン会合に可能なかぎりご参加になっています。

ご研究がない日の午前は、日本や世界各地の歴史、文化、自然等を紹介するテレビ番組の録画を上皇后さまや侍従とご覧になります。

夕方には、上皇后さまがお付き添いになり、赤坂御用地内を30分程ご散策になっています。

隣接する迎賓館は、かつて東宮仮御所があった場所で、陛下は昭和12年3月から沼津にご疎開になる昭和19年5月までお住まいでしたが、10月の迎賓館休館日に一度、その辺りもご散策になりました。

ご散策からお戻り後は、上皇后さまとご一緒に、お供した職員としばらくご歓談になります。

最近では、ワールドカップサッカー日本代表の活躍が話題となっていました。

その他、午後には、読書をなさったり、大相撲の時期にはテレビ中継もお楽しみでした。

ごタ餐後の一時は、侍従が上がり、1953年の初めての英国ご訪問を始め、これまでの国内外のご訪問について、当時の記録集を見ながらお話を伺う時間になっています。

ご体調については、今年6月ごろから、体重がやや増加し、血液検査のBNP値が上昇したため、胸部レントゲン検査をお受けいただいたところ、心拡大、胸水貯留など心不全の所見がみられたことから、7月24日、東京大学医学部附属病院において心臓MRI検査をお受けになった結果、三尖弁閉鎖不全による右心不全と診断されました。

その後の経過については、6月末からの薬の服用、水分の摂取制限、ご運動を控えめにするといった内科的治療をお続けいただいた結果、現在、右心不全の所見は改善されつつあります。

また、9月19日には左眼の白内障手術を、9月25日には右眼の白内障および緑内障の手術を、いずれも同じく東京大学医学部附属病院においてお受けになり、無事にお済ませになりました。

術後の経過は良好であります。

宮中祭祀(さいし)が行われる間、陛下は上皇后さまと共に、今も静かにお慎みになっていらっしゃいます。

ことしも新嘗祭(にいなめさい)に際し、両陛下は天皇陛下の出御(しゅつぎょ)に合わせてお慎みの時を過ごされ、暁の儀が終了する深夜までお慎みになりました。

沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日終戦記念日ならびに阪神・淡路大震災および東日本大震災の発生日には、上皇后さまと共に、テレビ中継に合わせて黙とうをなさっています。

戦争を振り返るお話の中で、東京都小金井市でお過ごしになった頃の思い出もありました。

陛下は、空襲で校舎を焼失した学習院中等科が同市で授業を再開したことから、学習院中等科1年生でいらした昭和21年5月から高等科1年生になられた昭和24年12月まで、現在「江戸東京たてもの園」となっている敷地に、当時の葉山御用邸の供奉員宿舎を移築して建てられた東宮御仮寓所にお住まいになって、授業をお受けになり、卓球やテニスを少しずつお始めになりました。

周囲に麦畑が広がっていた光景など、今でも当時を懐かしく思い起こされ、側近にお話しくださいます。

かつて、その頃のお話を陛下からお聞きになった上皇后さまは、昭和49年、「麦の穂」と題して、「思ひゑがく小金井の里 麦の穂揺れ 少年の日の君立ち給ふ」と御歌をお詠みになっています。

9月には英国女王エリザベス2世陛下が崩御され、深いお悲しみのうちに、女王陛下の戴冠式(たいかんしき)ご参列以来69年間に及ぶご交流を思い起こされ、これまでのご親交に感謝なさりつつご冥福をお祈りになっていらっしゃいました。
とりわけ、昭和51年6月の英国ご訪問の際に、上皇后さまと共に女王陛下と乗馬を楽しまれ、ウィンザー城からアスコット競馬場まで足を伸ばされたこと、平成10年5月に先の大戦による反日感情がいまだ影を落としていた英国をご訪問になった折のこと、平成24年2月の冠動脈バイパスご手術3か月後に女王エリザベス2世陛下ご即位60周年祝賀行事にご参列になったことなどは印象深く記億されており、お話しくださることがありました。

ご研究については、現在、生物学研究所職員と二つの課題に取り組まれています。

一つは、生息域が重複するチチブとヌマチチブについて、それぞれの鰾の形状やひれの動きと遊泳行動の関係を明らかにするとともに、同一水系内で住み分けている両種の生息環境の違いを確認するためのご研究です。

これまでの標本や水槽遊泳を対象とする形質的観察に加え、他の研究者のCTスキャン骨格解析の結果も取り入れられるなど、研究手法を広げられています。

二つ目は、日本産クモハゼ属の分類学的研究です。

陛下は1980年の共著者との論文(「日本で採集されたクモハゼ属Bathygobius6種について」魚類学雑誌27巻3号)で、クモハゼ属を分類するための特徴的な体形質を抽出され、その6種を分類されましたが、その後に新たに4種のクモハゼ属が日本に分布していることが確認されました。

このため、現在、この4種を含め、当時発表された体形質上の分類指標がなお有効であるかを確認するための研究をなさっています。

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