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ミャンマーの非常事態宣言は、1年前のクーデターに伴い、発令され、軍による統治を正当化し、民主派の抵抗を抑えこむ根拠とされてきました。

最初の宣言が、1月31日で期限を迎えたことから、ミャンマー軍は、宣言をさらに半年間延長すると、夜、国営テレビを通じて発表しました。

ミャンマー憲法の規定では、「非常事態宣言」はその後も半年間延長し、2年まで続けることができます。

軍は来年(2023年)8月には選挙を実施するとしていて、宣言の延長によって、自分たちに有利なように選挙を行う準備を進めるほか、選挙の後も実権を握り続けるための足場固めを進めるねらいがあるとみられます。

一方、市民の間では、クーデターに対する反発が今も根強く、最大都市のヤンゴンでは、民主派の抵抗勢力によるとみられる、軍や警察の施設への攻撃が散発的におきています。

また2月1日は、クーデターの発生から1年になるのにあわせて、軍の統治を拒む市民が、一斉に仕事を休んで外出も控える「沈黙のストライキ」を全土で行う構えで、参加した市民には法的措置をとると警告する軍との間で緊張が高まっています。

国家顧問として民主的な政権を率いていたアウン・サン・スー・チー氏は、クーデターが発生した去年(2021年)2月1日、軍に拘束されました。

当初は首都ネピドーの公邸に軟禁されていましたが、去年5月下旬に自身も見知らぬ場所へと身柄を移され、現在の軟禁場所は不明です。

拘束後、無線機を違法に輸入した罪や社会不安を引き起こしたとする罪、それに国家機密法違反や汚職罪などさまざまな罪に問われ、その数はこれまでに少なくとも17件に上っています。

裁判は、ネピドーの地元政府施設の中に特別に設けられた法廷で行われ、一般の傍聴は許されず、報道関係者も近づくことができません。

弁護士にもかん口令が敷かれ、審理は固く閉ざされた密室で続いています。

スー・チー氏には、これまで5件の罪について有罪判決が言い渡され、合わせて禁錮6年の刑期が科されました。

軍の統制下で行われている一連の裁判では今後も厳しい判決が続き、さらに刑期が積み重なっていくことが予想されます。

仮に、すべて有罪判決を受けた場合、刑期は最大で100年を超え、現在76歳のスー・チー氏が再び自由の身となることは到底、不可能な年数になります。

軍は、スー・チー氏が再び政治の舞台に戻ることができないよう、長期にわたって拘束を続ける姿勢を示しています。

ミャンマーでは、クーデター後の政情不安を背景に、通貨安が続いているほか、外国からの投資も冷え込み、経済の低迷が深刻になっています。

クーデターから1年がたち、最大都市ヤンゴンでは、飲食店や小売店は日中、営業を行い、多くの買い物客もみられるようになっています。

ただ、自国通貨・チャットは、政情不安を背景に売られる動きが続いていて、中央銀行が公表する最新の参照レートでは、1ドル=1778チャットとクーデター前と比べて30%余り下落しています。

中央銀行が市場介入を繰り返し、チャットを買い支えているものの、ガソリンをはじめとする輸入品の高値が続き、市民生活の負担は増しています。また、経済成長をもたらしてきた外国からの投資は、クーデター後に冷え込んでいます。

ミャンマー投資企業管理局によりますと、おととし(2020年)10月から去年(2021年)9月までの1年間の外国からの投資は37億ドル余りで、前の年の同じ期間と比べて22%減少しました。

経済の低迷に加え、アメリカなどがミャンマー軍幹部や軍と関わりが深い企業に制裁を科しているため、今後も投資の回復を見込むのは難しい状態です。

ミャンマーの経済成長率について世界銀行は、去年9月末までの1年間はマイナス18%と大きく落ち込んだうえ、ことし(2022年)9月末までの1年間はプラス1%の成長率にとどまると予想しています。

経済は非常に弱く、クーデターやコロナ拡大の影響がなかったと想定した場合と比べて、経済規模は3割程度、縮小していると指摘しています。

ASEAN東南アジア諸国連合は、ミャンマー軍と民主派勢力の仲介にあたろうとしてきましたが、具体的な行動を起こすことができていません。

ASEANは去年(2021年)4月、首脳級会議を開き、ミャンマー軍のトップのミン・アウン・フライン司令官も出席する中で、暴力の即時停止や軍と民主派勢力の対話を仲介する特使の派遣など5つの項目で合意したと発表しました。

そして8月には、当時の議長国、ブルネイのエルワン第2外相が特使に任命されましたが、軍が非協力的な姿勢を続けたためミャンマーへの訪問は実現しませんでした。

さらに、ミャンマー国内では、軍による市民への弾圧が続くなど5項目の履行が全く進まないことから、ASEANは去年10月、首脳会議にミャンマー軍の司令官の出席を認めない、異例の対応に踏み切りました。

一方、ことし(2022年)議長国を務めるカンボジアのフン・セン首相は1月、ミャンマーを訪問して司令官と会談するなど、事態の打開を目指し、積極的な動きをみせています。

しかし、インドネシアシンガポールなど複数の加盟国が、ミャンマー軍に対しては厳しい姿勢を続けるべきだとして反発し、先月予定していた外相会議を延期せざるをえない事態になりました。

その後、カンボジアは、インドネシアブルネイの3か国で5項目の履行を監視する体制を提案するなど、調整を続けています。

ASEANでは、かたくなな姿勢を崩さないミャンマー軍への対応をめぐって、加盟国の間で意見の違いも出ていて、具体的な行動を起こすことができないままとなっています。

ミャンマーでは去年(2021年)2月1日、軍がクーデターを起こし、アウン・サン・スー・チー氏ら民主派の政治指導者を次々と拘束したほか、非常事態宣言を出して全権を掌握しました。

軍は、クーデターに反対する抗議活動を弾圧し、現地の人権団体によりますと、31日までに1503人が犠牲になり、拘束された人も1万1838人に上ります。

2月1日はクーデターの発生から1年になるのにあわせて、軍の統治を拒む市民は「沈黙のストライキ」を全土で行うようSNSを通じて呼びかけあっています。

「沈黙のストライキ」は、一斉に仕事を休んで外出も控え、商店なども休業することで軍への抗議の意思を示すものです。

これに対して軍は、ストライキに参加したり呼びかけたりした市民に法的措置をとると警告していて、国営テレビによりますと警告に従わなかったとして、すでに男女30人以上を拘束したということです。

「沈黙のストライキ」は、去年(2021年)12月にも行われ、街から人影が消えましたが、その様子を取材していた、フリーランスのカメラマンが治安当局に拘束され、その後、死亡したことから、現地では緊張が高まっています。

去年(2021年)2月、ミャンマーで軍事クーデターが起きたあとの1年を振り返ります。

●2021年2月
1日、ミャンマー軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束し、クーデターによって全権を掌握しました。

●3月
27日、最大都市ヤンゴンなどで抗議デモを行った市民たちに治安部隊が発砲し、地元メディアによりますと1日で少なくとも114人が死亡しました。

●4月
9日、中部のバゴーで軍や警察の治安部隊が抗議デモの鎮圧に重火器を使用し、現地の人権団体によりますと1日で82人が死亡しました。
16日、民主派勢力は軍に対抗するため、NUG=国民統一政府という独自の政府の発足を発表しました。

●5月
5日、国民統一政府は、軍の弾圧から市民を守る目的を掲げ、PDF=国民防衛隊という名の部隊を結成したと発表しました。
一方、ミャンマー軍は、9日、国民防衛隊などをテロ組織に指定しました。
28日、日本で行われたサッカーワールドカップアジア2次予選の日本対ミャンマーの試合前、国歌斉唱の際にゴールキーパーのピエ・リアン・アウン選手が3本の指を立て、軍に対する抗議の意思を示しました。

●6月
16日、ピエ・リアン・アウン選手は関西空港で帰国を拒否し、チームから離脱しました。
18日、国連総会は軍の暴力を非難するとともに、ミャンマーへの武器流入の阻止を呼びかける決議案を賛成多数で採択しました。
これに対してミャンマー軍は19日「すべての内容を拒否する」という声明を発表しました。

●7月
24日、新型コロナの感染が急拡大し、現地に住む日本人のうち、70代の男性の死亡が初めて確認されました。

●8月
1日、ミャンマー軍がクーデター後に設置した最高意思決定機関「国家統治評議会」は、軍のトップのミン・アウン・フライン司令官を「暫定首相」とする暫定政府を発足させたと発表しました。
司令官はテレビ演説で、2023年8月までに総選挙を行う方針を示しました。
6日、クーデターへの抗議を国際社会に呼びかけていたチョー・モー・トゥン国連大使を殺害する計画を立てたとして、2人のミャンマー人がアメリカ・ニューヨークで逮捕されました。
軍の弾圧による死者が18日までに1000人を超えました。

●9月
7日、国民統一政府は、インターネット上で「自衛のための戦闘を開始する」と宣言し、市民や少数民族武装勢力に、武器を取って蜂起するよう呼びかけました。

●10月
15日、ASEAN東南アジア諸国連合は、下旬に開かれる首脳会議に、クーデターで実権を握ったミャンマー軍のトップを招かないことを発表しました。

●11月
12日、ミャンマーの裁判所は、現地の有力英字誌のジャーナリストでアメリカ人のダニー・フェンスター氏に対して虚偽の情報を広めたなどとして禁錮11年の有罪判決を言い渡しました。
フェンスター氏は15日に解放され、帰国しました。

●12月
5日、最大都市ヤンゴンで起きた若者たちの抗議デモに、軍の車両が突っ込み、治安部隊が発砲したと伝えられました。
6日、拘束されているアウン・サン・スー・チー氏に対して裁判所は、社会不安を引き起こしたとする罪などで、禁錮刑の有罪判決を初めて言い渡しました。
15日、軍への抗議活動を撮影し拘束されたフリーランスのカメラマン、ソー・ナイン氏が拘束中に死亡したと地元メディアが報じました。クーデター以降、初めて、ジャーナリストの犠牲者が出ました。

●2022年1月
7日、ASEAN東南アジア諸国連合の議長国、カンボジアのフン・セン首相がミャンマーで軍のトップと会談しました。

ミャンマー情勢をめぐり国連は、暴力の停止を繰り返し呼びかけているものの、事態の打開につながるような具体的な措置は打ち出せていません。

国連総会は去年(2021年)6月、軍の暴力を非難し、近隣諸国などからミャンマーへの武器流入の阻止などを呼びかける決議を採択しました。

ただ、決議に法的な拘束力はなく、採決で中国やロシア、それにASEAN東南アジア諸国連合のタイやブルネイなどが棄権し、加盟国の間の意見の隔たりも浮き彫りになりました。

安全保障理事会も繰り返し会合を開きましたが、軍への制裁などを求める欧米と、圧力に反対する中国やロシアが対立し、拘束力のある決議の採択には至っていません。

クーデターから1年を前に、国連のグテーレス事務総長は30日、声明を発表し「この1年で暴力が激化し、人道危機が深刻化した。貧困に苦しむ人も急増している」と危機感を示しました。

ミャンマー政治に詳しい京都大学東南アジア地域研究研究所の中西嘉宏准教授は、ミャンマーで過去に起きた1988年や2007年の大規模な抗議活動と、今回のクーデターの後の状況を比較し、「これまでとは全く違う。今回は軍にとっては想定を超えた抵抗で、それが今に至るまで抑え込めないというのが現状だ」と指摘しています。

そのうえで、今後の見通しについて、「民主派勢力が武装闘争にかじを切ったことで、スー・チー氏が率いていたころの非暴力の民主化運動からは質的に変化している。今後も、そうした急進的な考え方はしばらく維持され、軍を認めず革命を目指す態度を貫くと見られる。軍と民主派勢力が短期的に折り合う可能性は極めて低いが、軍事的には軍が優位で、全土が混乱になるような、いわゆる内戦のイメージというのは今のところ現実のものになりそうにない」と分析しています。

また、多くの衝突は地方の村落や国境付近で起きているとして、「市民の抵抗が激しかったヤンゴンマンダレーなどの主要な都市部では、今は比較的、平穏な状態となっていて、軍としては秩序が維持できているという自信があるように見える。想定を超える抵抗にてこずっていることは確かだが、当初の目的だったスー・チー氏率いる政党の幹部を排除したうえで、統治を進めていくという考えに変わりはない」という見方を示しています。

そして、日本の関わりについては、「日本政府がミャンマーの政府や軍も含めて関係性を築き、信頼を得てきたということは間違いない。とはいえ、軍は日本を含めた国際社会のメッセージに耳を貸す状態ではない」と指摘しました。

さらに、「今回の政変の最も大きな被害者は一般の市民だ。これだけ人が亡くなり、人道危機や難民、経済も停滞する中で、軍が多くの地域を実効支配をしている現状を直視せざるをえないタイミングが来ている。国際社会が何も支援ができない状態から脱しなければならず、これは、軍の統治を認めるかどうかという政治判断とは別の問題だ」として、軍の統治を認めることはできないとしながらも、現地の人たちの支援に向けた積極的な働きかけが必要だという考えを示しました。

アメリカ政府は31日、ミャンマーアウン・サン・スー・チー氏など民主的な指導者を政治的な動機に基づいて訴追したなどとして、司法関係者ら7人と、軍との関係が深い2つの団体に対し、資金凍結などの制裁を科したと発表しました。

ブリンケン国務長官は声明で、「クーデター以降、ミャンマーの人たちは軍の統治を拒絶し、民主主義への回帰を求め続けている。アメリカは友好国と連携し、軍に対し、暴力を停止し、不当に拘束されているすべての人たちを解放するよう圧力をかけ続ける」と強調しています。

イギリス政府は31日、アメリカやカナダと連携してミャンマーの司法関係者ら3人にイギリスへの渡航禁止や、資金凍結などの制裁を科したと発表しました。

「クーデターを正当化するために根拠もなく選挙の不正を主張し、市民への弾圧に加担した」などとしています。

また、このうち2人は、「アウン・サン・スー・チー氏など民主的に選ばれた指導者が罪をねつ造され、有罪判決を言い渡された責任もある」としています。

トラス外相は声明で、「軍事政権はミャンマーの人たちを恐怖に陥れ、服従させようとしている」と強いことばで非難したうえで、「イギリスは、自由、民主主義、法の支配の権利を常に擁護し、同じ志を持つ国々とともに、抑圧的で残忍な政権の責任を追及する」としています。

ミャンマーで軍のクーデターが起きる前に、民主派政権によって任命されたチョー・モー・トゥン国連大使は、クーデターの後も職にとどまり軍による統治と市民への弾圧に抗議を続けています。

クーデターから1年となるのに合わせて、チョー・モー・トゥン大使は、ニューヨークでNHKの単独インタビューに応じ、現地では軍と武装した抵抗勢力との戦闘が拡大し、軍が村を焼き払うなど、弾圧が激しさを増していると、強い危機感を示しました。

そして、混乱が長期化する中、世界のほかの地域でも人道危機が相次ぎ、ミャンマー情勢への国際的な関心が低下していると指摘し、「ミャンマーの人々の苦しみにどうか目を向けてほしい。軍による残虐行為を止めるため、どうか行動を起こしてほしい」と述べ、改めて支援と協力を求めました。

そのうえで、「国際社会、とりわけ国連の安全保障理事会などが、具体的な措置をとらなければ、軍による人道に対する罪の犠牲者がさらに増えるおそれがある」と述べ、これ以上の市民の犠牲を防ぐため、国際社会の行動が求められていると訴えました。

また日本については、ミャンマーと歴史的に関係が深く、クーデター以前は公表されている国の中で最も多くの支援を行っていたことなども踏まえ、「日本の政府と国民に強力な支援を呼びかけたい。日本はミャンマーとの強いきずなを使って希望をもたらしてくれると信じている」と述べ、事態の打開に向けた日本の貢献に期待を示しました。

ミャンマーでは去年2月1日、軍がクーデターを起こしてアウン・サン・スー・チー氏ら民主派の政治指導者を次々と拘束し、クーデターに反対する市民の抗議活動を弾圧しました。

1日、クーデターの発生から1年になるのに合わせて、軍の統治を拒む市民は、一斉に仕事を休んで外出を控え、商店なども休業することで軍への抗議の意思を示す「沈黙のストライキ」を全土で行っています。

最大都市ヤンゴンではいつもは混雑する中心部の大通りも車や人の通りがふだんに比べてとても少ない状態になっています。

この「沈黙のストライキ」は去年12月にも行われましたが、その様子を取材していたフリーランスのカメラマンが拘束され、その後死亡しています。

軍は、ストライキに参加した市民に法的措置をとると警告していて、現地の日本大使館は不測の事態に巻き込まれないよう、注意を呼びかけるなど緊張が高まっています。

最大都市のヤンゴンでは「沈黙のストライキ」が開始される前の早朝に軍に対する抵抗を呼びかけるデモ行進も行われました。

午前5時ごろ、中心部に近い地区で軍の取締りを避けるために若者たちがひそかに集まり、前触れなく通りに出て短い時間、行進し軍に対する抵抗を続けるよう、呼びかけました。

若者たちは、たいまつをかかげながら「犠牲を払ってでも民主主義を取り戻せ」などと叫び声を上げていました。

軍の統治を拒む市民が呼びかけた「沈黙のストライキ」について、軍は参加したり呼びかけたりした市民に法的措置をとると警告しています。

1月31日の夜、ミャンマー中部のバゴー管区で撮影された映像では軍の装甲車や警察の車両が街の中を走り、拡声機を通じて、抗議活動に参加しないように呼びかけている様子が確認できます。

国営テレビによりますと、警告に従わなかったとして1月25日から31日までに全土で男女30人以上が拘束されたということです。

ちょうど1年前にクーデターを実行したミャンマー軍のミン・アウン・フライン司令官は国民に向けたテレビ演説を行い、1日、国営テレビで放送されました。

この中で、司令官は「1年前、われわれは、民主主義国家として先例のない困難に直面しかねない事態となり、非常事態を宣言した」と述べ、おととし11月の総選挙で大規模な不正が行われたため、軍が全権を掌握せざるを得なかったと改めて主張しました。

そのうえで、来年8月にも選挙を実施するとしていることについて「国が平和で安定している状況で選挙が行われる場合のみ、人々は自由に票を投じることができる。国民は、政府の安定と平和のための努力に協力してほしい」と述べて、国民に軍への協力を呼びかけました。

一方、司令官は「地元と外国のテロリスト、それに、その支持者が、民主主義ではなく、国の破壊を望んでいる」とも述べて、軍に抵抗を続ける民主派勢力を「テロリスト」と呼んで力で抑え込む姿勢を鮮明にし、強くけん制しました。

日本政府は、ミャンマーに対しODA=政府開発援助としてインフラや人材育成などの分野で支援を行っていて、クーデター前の2019年度には公表している先進国の中で最も多いおよそ1900億円を計上しました。

外務省によりますとミャンマーへのODAは年度別で
▽2019年度が1905億円
▽2018年度が295億円
▽2017年度が1397億円
▽2016年度が1612億円
▽2015年度が1521億円などとなっています。

ただ、去年2月のクーデターの後、日本政府はすでに締結している無償資金協力などについては継続する一方で、新規での供与を見送っているということです。

クーデター後の支援について、外務省は「新規の案件については、ミャンマー国軍が主導する体制との間で、新たに決定した案件はなく、今後についても現時点で早急に判断すべき案件はない」としています。

ミャンマーで軍がクーデターを起こしてから1日で1年になるのに合わせ、林外務大臣が談話を発表しました。

談話では「国際社会のたび重なる呼びかけにもかかわらず、暴力によって多くの死者が発生している状況を強く非難する。この1年間に暴力により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表し、平和と安定を回復するため、暴力の自制と平和的解決を求める」としています。

そのうえで「日本は引き続きASEAN諸国を含む国際社会と緊密に連携し、事態の改善に向けて最大限努力し、困難に直面しているミャンマーの人々に寄り添うべく、人道支援を積極的に実施していく。支援が必要な人に届くよう、ミャンマー国軍に対し安全で阻害されない人道アクセスを認めるよう改めて求める」としています。

松野官房長官は、閣議のあとの記者会見で「今なお事態の改善に向けた動きが見られないことに懸念を表明する。ミャンマー国軍に対し、暴力の即時停止と拘束された関係者の解放、民主的な政治体制の早期回復について、具体的な行動を取るよう強く求める。国際社会のたび重なる呼びかけにもかかわらず暴力により多くの死者が発生している状況を強く非難する」と述べました。

そのうえで「日本としては、ミャンマーの平和と安定を回復するため、引き続き暴力の自制と平和的解決を求めASEAN東南アジア諸国連合を含む国際社会と緊密に連携し、事態の改善に向けて最大限の努力をしていく」と述べました。

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