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自分にとって抑圧的な環境、不都合な状況なはずなのに、なぜかそこに適応してしまう。こうした態度を「自発的隷従」と呼ぶことがある。こうした自発的隷従のような態度について、社会心理学の見地から分析した、ジョン・ジョスト『システム正当化理論』(ちとせプレス)が刊行された。

システム正当化理論は、社会心理学の理論である。これまでの社会心理学の理論では、多くの場合、人々は自分自身が属する内集団を好み、自集団の有利を期待し、その利得に合致する方向で行動するものだとされていた。しかし、システム正当化理論は、こうした従来の理論とは反対に、自分の利得にならない行動をする人々について、うまく説明することができるのである。

現在、そうした「自分の利得にならない行動」が目立っているように見える。

人は現在の社会のあり方をそのまま受け入れ、維持する傾向がある。これをジョン・ジョストは「システム正当化」と呼んだ。今こうであることには意味があり、それが正しいことであると正当化してしまうのだ。

このシステム(≒現状)を正当化しようという動機の基盤には、「認識論的欲求」「実存的欲求」「関係的欲求」があるという。

その仕組みを理解するために、システムを認めず、正当化をしなかったらどうなるか考えてみよう。

ある種の社会では政治的な現状に異議申し立てを行い、現在の政府を批判すると弾圧を受けるような場合もある。あからさまな弾圧は存在しない民主主義の国であっても、すでに多くの人が現政権を支持する状態に生まれ育てば、それを支持しないと周囲の人たちから非難されるかもしれない。たとえもし、現在の政治が正しくなく、変えるべきであると考えて行動したとしても、その先、どうなるかはわからない。

以上の話には、先に述べた「3つの欲求」がすべて含まれている。

まずは認識論的欲求である。どうなるか見通しがわからない、認識的に不分明・不確実な状態は、認識論的欲求として「わかりやすい」「すでにあった」「今までどおりのやり方」への志向性を高めてしまう。わかりやすく言えば、「自分はこれまで生きてきた世の中が今のまま何も変わらなければ、明日も生きていけるだろう」という確実性への欲求が、現状維持、すなわち、システム正当化を志向させるのだ。

つぎに、実存的欲求について。現状を支持する限り、周囲からは何の圧力もかからないだろう。周囲と軋轢を生まなければ安全を脅かされることはない。声高に反対を表明したり、デモに参加したりすることは、職場によっては反感を買ったり、評価を下げたり、出世を妨げたりすると考える人もいるだろう。

逆に言えば、政権に対して反対の意思を示すのは、いくらかの勇気と決断力、そして、組織などから見放されても自分の力で生きていける自信がないと、チャレンジしにくいことである。日本人は概ね自己評価が低い。自己評価の低い者にとって、安全を捨てて、危険のなかに飛び込むのは、言ってみれば「映画のなかだけの出来事」であり、現実の自分が行うことは決してないのである。

特に日本ではリスクが嫌われる。リスクをとる覚悟で何かをやるのは、日本社会では「少し変わった人」である。多くの平凡な人たちは、「変わった人」になる勇気など持ってはいない。「ふつうが一番」なのである。そしてその「ふつう」とは政権党を支持することである。この「自身の安全を守りたい」という気持ちが、実存的欲求である。

「ふつう」でいないと職場や所属集団で「浮く」かもしれない。若者も「意識高いね」と皮肉られるのを嫌う。現在、「空気を読む」という傾向が若者の間で強まっていることを示す、筆者の調査データもある。そもそもとがった意見を言うこと、何かを批判することについて、日本では免疫に欠ける。

欧米のデータでさえ、この「関係的欲求」に基づき大勢の人はシステム正当化を行うというのがジョン・ジョストたちのデータだ。日本においても、同様に周囲の人たちから無難に受け入れられるようにシステムを正当化する様子が見られる。

以上がいつまでも政権党(自民党)が勝ち続ける理由だ。こうして記してみると、すでに誰もがわかっているだろう、実にシンプルな常識ではないだろうか。だが、このシステム正当化理論をおいてほかにこれをきちんと整理して、理論化した考え方がなかったのだ。

自分が属する集団を「内集団」、自分が属さない集団を「外集団」という。この関係性を重視する社会的アイデンティティ理論では、人は自身の属する内集団をひいきすることが幾度も語られてきた。しかし、この点についても、システム正当化理論は異なる角度から社会を見つめる。そしてそこにも、自身が必ずしも得をしない政策を推進する政党を支持してしまったりする現象を説明する手がかりがある。

日本ではアメリカのスラムと異なり、貧困地区が明瞭に他と区別されるように存在することは減ってきているが、たとえばスラムに住む者が全員「自分たちの集団はすばらしい集団だ」と皆が考えるとは限らない。「いずれこの集団を脱出したい」と考える者たちもいることだろう。

ジョン・ジョストはこのように、人は自分が属する集団を必ずしも好むわけではないという、それまでの社会的アイデンティティ理論とは対立する現実に着目した。スラムのなかには「いつか成功してお金持ちになる」と思っている人もいる。彼らは、リッチな人々という、現在の時点では「外集団」である存在に憧れ、それらを好ましく思うのだ。一般の庶民であった者が芸能人に憧れ、いつか有名人になってリッチになることを夢見る場合も同様である。

自身が困難な状況にあるほど、そこから脱して望ましい状態に至ろうとする人もいるだろう。その場合、彼らにとって、恵まれた集団は「目標」であって、「批判」する対象とはならない。恵まれた人々(≒社会的に力を持っている人々)を批判したところで、結局、そのあと自分自身がどうなるかは認識論的に不確実であると考えられるからだ。

もちろん、狭い集団の範囲で見れば、内集団をひいきし、外集団を貶めたほうが、安全が守られるかもしれない。しかし、より広い社会を視野に入れた場合、恵まれた人々を批判すると、実存的にも安全が脅かされ、関係的にも(より広い範囲の)周囲から煙たがられ、嫌われるおそれ、可能性があるからだ。

女性の初期の社会進出の際、男性社会に同化するように、「男並み」の働きを目指して、結婚や家庭を持つことを犠牲にしてきた先駆者がいたのと同じ仕組みが働いているのである。この本ではこうしたジェンダーの問題も取り上げている。

かつて奴隷制があった時でさえ、それに反発して立ち上がった者のほうが、声をあげなかった者たちよりも圧倒的に少数である。フランス革命など世界史的な革命は、体制をくつがえす人間の力を証明するものとして注目を浴びるが、それ以前のずっとずっと長い間、人々は奴隷制や王政への隷従に堪え忍んできたわけであり、ある意味そうした格差社会に驚くべき順応を示してきたのである。

「システム正当化理論」では、歴史上、圧倒的多数の人々が反乱よりも屈服を選び、従属状態に順応してきたことが指摘されている。インドのカーストにおいて下層にある者がそれを当然と考えていたこと、西アフリカの事例においてもカーストに類する制度が廃止された後も、「ご主人さまから呼ばれたら、当然のようにすぐ飛んでくる」といった日常のあり方が続いたことが示されている。人々は現状である日常を「当然のものとして」受け入れ、そのなかで生きているという現実がある。

そして、社会文化的側面においても、システムを正当化する人たちは、これまでの習慣を守ろうとする。それは、夫婦同姓という制度であったり、男尊女卑の伝統的性役割であったりもする。フェミニズム運動も若い女性たちから嫌われる傾向が指摘されている。いまだに玉の輿のように、「幸せな結婚」を望む女性たちは巷にあふれている。

自ら差別状態に入っていっても、差別されているという実感を持たない不利な立場の人たちもいる。差別されている事実に気づくこと自体が、自分の心を傷つけてしまうからだ。

私たち日本で暮らしている人々も、こうした現状において「隷従を続けている」との描写を否定できるだろうか。批判的精神を獲得するには、自身のなかにある認識論的、実存的、関係的不安をまず克服しなければならないのである。そうした安全感覚は、今の日本で広く与えられているであろうか。

先月8日、奈良市で演説中に安倍元総理大臣が銃で撃たれて死亡した事件で、襲撃を未然に防げなかった当時の警備について検証を進めている警察庁は、5日、現時点でまとめた問題点を明らかにしました。

それによりますと、奈良県警が作成した「警護・警備計画」について、6月に自民党の茂木幹事長が同じ場所で演説していたことなど前例を安易に踏襲し、十分な検討が行われていなかったとしています。

また、警察官の配置について、元総理大臣が演説を行った場所はガードレールで囲まれ、当初、SPを含む3人の警察官がその内側で警戒していましたが、演説直前にガードレールの外側にいた1人の警察官が内側に入り、配置が変更されたということです。

ほぼ同じころ、前方の聴衆が増えたことなどから、警戒の重点が前方に移りましたが、こうした変更が現場の警察官どうしで共有されていなかったうえ、統括役の警察官も全体状況を把握できておらず、元総理大臣の後方を警戒する要員を補強するなどの指揮を執らなかったことで、隙が生まれたとしています。

このほか、ネットなどの情報をもとに銃の製造が容易になっているという認識が十分でなかったことや、犯罪の抑止効果があるとされる制服の警察官が配置されていなかったことなども問題点として挙げています。

警察庁は、現地の警護・警備計画について事前に報告を受けるなど、要人警護への関与を強めるため、「警護要則」を見直すことも視野に、今月にも検証結果をまとめる方針です。

安倍が凶弾に倒れた7月8日。
菅は、参議院選挙の応援で沖縄に飛ぶため、羽田空港に向かう車中で一報に接した。

「胸を撃たれたという話が入ってきて、左の胸ということだったので、万一のことも考えました。現実とは思えない感じでしたね。車を停めて情報収集して、奈良に行こうと新幹線を手配しました。本人は賑やかなところが好きで、非常にさみしがり屋でしたから、そばにいて同じ空気を吸ってあげたかった。ただただ無事を祈りました」

菅が、奈良市内の病院に到着したのは、午後6時ごろ。安倍が亡くなってから、1時間が経過していた。

「移動の途中、17時3分に亡くなられたという情報がありましたが、自分の目で確かめたいという思いが強かった。検視が終わるのを2時間くらい待って、本人と対面できることになった。生前の、そのままの顔でしたね。そういう顔で眠っていました。『お世話になりました、ありがとうございます』と言いました」

日本政治に大きな影響力を持ち続けてきた安倍が亡くなった今、菅は自身の今後についてどう考えているのか。

アベノミクスとか安倍さんと考え方はほとんど一緒ですから、そこが崩れないように、後戻りできないように、しっかり見ながら政治を進めていきたいと思っています」

臨時国会会期末の5日、国会では衆参両院の本会議で、先月亡くなった安倍元総理大臣に弔詞を贈ることを決めました。

弔詞は、現職の国会議員などが死去した際に、遺族に贈られる追悼のことばです。

衆議院では、細田議長が「総理大臣の重責を担い、8年8か月にわたり国政を統理した。終始、経済の成長や行財政と教育の改革、災害からの復興に心魂を傾け、わが国の国際的地位の向上に貢献し、その功績はまことに偉大だ」と弔詞を朗読しました。

本会議場では、日本を訪問中のアメリカのペロシ下院議長が傍聴しました。

また、参議院では尾辻議長が「憲政史上最も長きにわたり総理大臣の職責を務め、わが国民主政治発展のため、力を尽くされた」と読み上げました。

一方、安倍元総理大臣に対する追悼演説は今国会では見送られ、秋の臨時国会で行われる見通しです。

先月の参議院選挙を受けて、3日召集された第209臨時国会は、5日会期末を迎え、衆参両院の本会議で閉会に向けた手続きが行われました。

そして、3日間の会期を終えて、閉会しました。

今回の臨時国会では、新しい参議院の議長や副議長の選出を行い、法案などの審議は行われませんでした。

与野党は、臨時国会のあと、安倍元総理大臣の「国葬」や新型コロナ対応などをめぐって、閉会中審査を行うことで合意していますが、野党側は、旧統一教会「世界平和統一家庭連合」と政治との関わりや、物価高騰対策などについても閉会中審査を行うよう求めていて与野党間で協議が行われる見通しです。

先月の参議院選挙で初当選したNHK党のガーシー議員は、UAEアラブ首長国連邦に滞在しているとして、参議院に海外渡航届を提出しましたが認められず、5日まで3日間の会期で開かれた臨時国会を無断欠席する形となりました。

これについて参議院議院運営委員会の福岡委員長と各党の理事は、5日午前、国会内で、NHK党の浜田政策調査会長と会談し、説明を求めました。

この中で、浜田氏は「ガーシー氏本人は『一定の民意を受けて、国会を欠席する意思を示している』と言っている。規則に違反していることは承知しているが、本人の意思を尊重したい」と述べ、次の国会以降もガーシー氏が欠席する可能性を示唆しました。

これに対し、福岡委員長は「ガーシー氏の対応は、国会法などに違反している」と指摘し、次の国会には出席するよう求めました。

参議院選挙のあと初めてとなる臨時国会は、会期末の5日、衆参両院が閉会の手続きをとり、3日間の会期を終えて閉会しました。

これを受けて、岸田総理大臣は、内閣改造自民党の役員人事を、来週10日にも行う方針を固め、複数の党幹部に伝えました。

自民党は、週明け8日に臨時の役員会と総務会を開いて、総裁である岸田総理大臣に役員人事を一任する見通しです。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が長期化し、米中の緊張が高まるなど、外交面での課題が山積し、内政でも、新型コロナや物価高騰などへの対応が求められる中で、どの程度の規模で内閣改造を行うのかが焦点となります。

また、自民党役員人事では、政権運営に深く関わってきた麻生副総裁や茂木幹事長を続投させるかがポイントになります。

さらに、安倍元総理大臣が会長を務めていた安倍派の議員の処遇のほか、旧統一教会をめぐる問題が一連の人事に影響するかどうかも注目されます。

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