https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

フィリピンでは、東西冷戦のさなかの1972年9月21日、マルコス元大統領が共産主義の取り締まりを目的とした戒厳令に署名し、その後、軍や警察が、政権に批判的な政治家やジャーナリストらを拘束して拷問を加え、少なくとも2300人にのぼる市民が犠牲となりました。

首都マニラの大学では21日、戒厳令の署名から50年となるのに合わせて、当時の政府に弾圧された人たちや学生などによる集会が開かれました。

集会では、マルコス大統領が今月、父親の元大統領が署名した戒厳令について「治安を守るためには必要だった」と容認する発言をしたことに抗議し、犠牲者への謝罪を求めました。

参加した大学生の女性は「歴史をわい曲することは犠牲者への冒とくだ。私たちには、真実と歴史と未来を守る権利がある」と話していました。

フィリピンでは国民のおよそ70%が戒厳令を知らない世代となる中、マルコス大統領は、かつて独裁体制を敷いた父親をたたえる発言を繰り返していて、当時の市民への弾圧について、後世にどのように伝えていくかが課題となっています。

カンボジアでは1970年代、ポル・ポト政権下の大量虐殺や強制労働によって国民の5分の1を超える170万人以上の命が奪われたとされ、カンボジア政府と国連は16年前、当時の政権幹部らの罪を問う特別法廷を設置しました。

これまでに、5人の元最高幹部らが起訴され、このうち4人はすでに死亡し、元国家幹部会議議長のキュー・サムファン被告が(91)最後の被告となっていました。

特別法廷は2審制で22日、首都プノンペンで開かれた2審では、キュー・サムファン被告に対し、大量虐殺の罪などで最も重い終身刑を言い渡した、1審の判決が支持されました。

これによってキュー・サムファン被告の刑は確定し、特別法廷は設置から16年を経てカンボジアの「負の歴史」を問う役目を終えました。

カンボジアは、人口の3分の2が30歳未満で、ポル・ポト政権が行った虐殺や強制労働への関心が薄れるなか、負の歴史を次の世代にどう継承していくかが大きな課題となっています。

d1021.hatenadiary.jp

#東南アジア