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習近平は中国の左派、中道派、右派の三つの派閥のすべての反発を買っている。左派は、毛沢東の政策を復活させるほど十分に(習は)踏み込んでいないと不満を募らせ、中道派は習近平が経済改革路線を反故にしたことに憤慨している。右派は、習近平がわずかな政治的議論さえも封じたために、完全に沈黙せざるを得なくなっている。エリート層のなかには、習が伝統的な権力分配の構造を破壊したことに憤慨し、「彼の無謀な政策が党の将来を危うくしている」と考えている者は少なくない。いまや、天安門事件以降初めて、中国の最高指導者は政府内部の反対意見だけでなく、激しい民衆の反発と社会騒乱の現実的リスクに直面している。

中国共産党大会」は、5年に1度開かれる会議で、正式には「中国共産党全国代表大会」と言われます。

党の会議ではありますが、中国共産党の一党支配のもとにある中国では、この党大会が国そのものの方向性を定める重要会議になります。

ことしは20回目の党大会にあたり、今月16日に北京中心部の人民大会堂で始まります。

会期は慣例だと1週間ほどで、出席するのは、中国共産党の党員のうち、各地域や組織から選ばれたおよそ2300人です。

党大会では、▽党の最高指導部である「政治局常務委員」を選ぶ権限を持つおよそ200人の「中央委員」が選出されるほか、▽党の最高規則である「党規約」の改正など重要事項が決定されます。

新たに選出された「中央委員」は、党大会が閉会した翌日に「中央委員会総会」を開催し、そこで党のトップを含む新しい最高指導部の「政治局常務委員」を選出します。

一方、首相をはじめとする政府の閣僚ポストなどは党大会では決まらず、毎年春に開かれる、全人代全国人民代表大会で決められることになっています。

「政治局常務委員」は、中国共産党の最高指導部のメンバーで、現在の習近平指導部では7人います。

この7人は、1億人近い党員の権力構造の頂点にいます。

7人のなかにも序列があり、現在は総書記である習近平氏が序列1位で、国のトップである「国家主席」も兼任しています。

序列2位以下の常務委員も、通常は首相などの重要ポストを務めます。

中国共産党の最高決定機関は党大会ですが、5年に1度しか開かれないため、日常的には、「政治局常務委員」のメンバーが党の重要事項を決定しています。

メンバーの人数は、多数決で物事を決めやすいよう、奇数が慣例となっています。

「政治局常務委員」の新たなメンバーは、党大会の閉会日の翌日に、「中央委員会総会」で選ばれ、内外の記者団の前に姿を現し、総書記みずからメンバーを紹介することが慣例となっています。

習近平氏は1953年6月生まれの69歳。

父親は、かつて副首相を務めた習仲勲氏で、毛沢東と一緒に革命に参加した党幹部の子弟である「紅二代」の代表格とされています。

習氏は、文化大革命の時期に15歳で陝西省の貧しい農村に「下放」され、山の斜面に掘った横穴式の住居に寝泊まりしていたといいます。

文革が終わりに近づいたころ、北京に戻り、名門の清華大学で学びます。

卒業後、党の中央軍事委員会で勤務したあと、河北省、福建省浙江省と、およそ25年間にわたって地方でキャリアを積みました。

その後、2006年に起きた上海を舞台にした汚職事件をめぐって、当時のトップの書記が解任されたことを受けて、2007年に後任に抜てきされ、その年の党大会で、異例の2階級特進によって最高指導部の政治局常務委員となり、その後国家副主席に就任しました。

そして、2012年の党大会で胡錦涛氏の後任としてトップの総書記に選ばれるとともに、軍のトップ、中央軍事委員会の主席にも就任しました。

さらに、よくとしの2013年、全人代全国人民代表大会国家主席に選ばれ、党、国家、軍の3つのトップの座を掌握しました。

習氏は、2017年の党大会で総書記に再選され、2期目の指導部を発足させました。

また、この党大会では、党の最高規則にあたる「党規約」に「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」という習近平国家主席の名前を冠した形で、指導思想が党規約の中でも最も重要な「行動指針」として盛り込まれました。

党規約に個人の名前を冠した形で指導者の思想や理念が盛り込まれたのは、建国の父と言われる毛沢東の「毛沢東思想」と、改革開放政策を打ち出した※トウ小平の「※トウ小平理論」に続くもので、習氏への権威づけが一層進みました。

続いて、2018年の全人代全国人民代表大会では、憲法が改正されて国家主席の任期が撤廃され習氏が無期限に国家主席にとどまることが可能になりました。

さらに去年、「建国の父」、毛沢東に並ぶ権威を印象づけた「歴史決議」が採択され、習氏へのさらなる権力集中が進められてきました。

習氏は中華民族の偉大なる復興を実現させると訴えるとともに、幹部の汚職を摘発する「反腐敗」や、人民解放軍の改革などを大胆に進めてきました。

習氏は、「反腐敗」の取り組みで過去の最高指導部のメンバーや、次の世代のリーダー候補とみられてきた幹部らを次々と摘発し、かつて勤務した福建省浙江省で部下だった人など、自身に近いとされる人物を要職に登用するケースも目立っています。

また、アジアとヨーロッパを中心に陸上と海上で東西をつなぐ巨大な経済圏構想「一帯一路」を提唱し、経済をテコにした中国の影響力の拡大にも努めてきました。

習氏の夫人の彭麗媛さんは、国民的歌手で、容姿端麗なファーストレディーとして国民の人気が高いことで知られています。

※「トウ」は「登」の右側におおざと。

中国共産党1921年に、上海で第1回党大会を開いて、創立されました。当時27歳の毛沢東も参加していましたが、メンバーの一員にすぎませんでした。

日中戦争終結後、中国共産党は、国民党との内戦に勝利し、1949年に中華人民共和国を建国してから、一貫して統治を続けてきた唯一の政党です。

中国の憲法では「共産党の指導」のもとに国家が運営されることが記されていて、共産党は、政府機関や軍隊などあらゆる組織に支部を設置し、その影響力を行使しています。

中国には、共産党以外の政党も存在していますが、選挙で政権を争うことはなく、意見を述べるにとどまることから共産党の決定がすべてに優先し、一党支配が徹底されています。

中国共産党によりますと、党員は、昨年末の時点でおよそ9670万人で、人口およそ14億人を有する中国では、およそ15人に1人が党員という計算になります。

党員の中でも、現在7人いる「政治局常務委員」と呼ばれるメンバーが最高指導部で、そのうち、党のトップの総書記は習近平氏が務めています。

中国共産党は、総書記をはじめとする最高指導部のメンバーが、原則、合議や多数決で重要な決定を行う「集団指導体制」をとっています。

総書記は党のトップではありますが、政治局常務委員の会議などを招集する役目を担っていて、会議ではあくまでもメンバーの1人です。

このため、党の重要事項を単独で決定する権限はありません。

この「集団指導体制」は、「党主席」というポストに就き、絶大な権力を握った毛沢東が、中国全土を混乱に陥れた反省から個人に権力が集中するのを防ぐため導入されたと指摘されています。

1982年に開かれた党大会で、「党主席」のポストは廃止され、「総書記」をはじめとする最高指導部の合議を原則とする「集団指導体制」に移行しました。

ただ、最近では、習近平氏がこれまでの集団指導体制を転換し、かつての「党主席」のポストを復活させるのではないかという見方も出ていて、その動向が注目されています。

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#反中国#対中露戦#習近平伏魔殿体制=旧体制

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