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日銀は3日、短観=企業短期経済観測調査を発表し、大企業の製造業の景気判断を示す指数はプラス1ポイントと前回を6ポイント下回り、5期連続で悪化しました。

日銀の短観は、国内の企業およそ9200社に3か月ごとに景気の現状などを尋ねる調査で、景気が「良い」と答えた企業の割合から「悪い」と答えた企業の割合を差し引いた指数で景気を判断します。

今回の調査はことし2月27日から3月31日にかけて行われ、大企業の製造業の指数はプラス1ポイントと、前回・12月の調査を6ポイント下回り、5期連続で悪化しました。

海外経済の減速への懸念や半導体の需要の落ち込みで、「電気機械」や「鉄鋼」などの業種が悪化したほか、原材料価格の高止まりによる仕入れコストの増加で、「紙・パルプ」や「非鉄金属」なども悪化しました。

一方、大企業の非製造業の景気判断は、プラス20ポイントと、前回を1ポイント上回り、4期連続で改善し、コロナ禍前の2019年12月の水準と並びました。

新型コロナの影響の緩和や外国人観光客の増加によって、「小売」やレジャー施設などの「対個人サービス」が改善しました。

3か月後の見通しについては、大企業の製造業では自動車の生産が回復するほか、「繊維」や「紙・パルプ」、それに「非鉄金属」など、幅広い業種で原材料価格の高騰の影響が一服するとの見方が出ていることから、2ポイントの改善となっています。

一方、大企業の非製造業では、「建設」や「不動産」などで原材料価格の高騰への懸念があるほか人手不足が続くとの見方もあって、5ポイントの悪化が見込まれています。

#日銀(短観)

 元首相の安倍晋三が撃たれた2022年の夏も終わろうとしていた。

 財務省の有力OB二人と日銀副総裁の雨宮正佳が都内の鮨屋でネタをつまみながら杯を交わしていた。アルコールがダメな雨宮も旧知の顔ぶれを相手に、よもやま話に花を咲かせた。

 佳境に入り黒田東彦(はるひこ)・日銀総裁の後任人事に話が及んだ。このとき、後継の最有力候補といわれていた雨宮は二人にこういう趣旨の話をした。

――新総裁は、黒田体制の10年だけでなく1998年の新日銀法施行以降の「非伝統的」と呼ばれた金融政策全般を対象に点検・検証するべきだ。しかし、自分はそれを主宰する任にはふさわしくない。なぜならその大半に関与しているからだ――。

 確かに、雨宮は2000年代以降の量的緩和開始、異次元緩和実施、長短金利を操作するイールドカーブ・コントロール(YCC)導入など非伝統的金融政策に深く関わった。その張本人が問題点を含めた検証を行ったら正当性が確保できないという言い分には一理あった。

 もう一つ、雨宮が強調したポイントがあった。それは「学者の起用に道を開く」ということだ。副総裁就任後、各国の中央銀行総裁が集まる会合に代理出席する機会も多くなった雨宮は、トップたちが部下の助けも借りずに難解なテーマを自分たちの言葉で議論している現場を目の当たりにしてきた。

 彼らの多くは経済学の博士号を取得している。ノーベル経済学賞を受賞したベン・バーナンキ(元米連邦準備制度理事会FRB=議長)、ジャネット・イエレン(前FRB議長)、スタンレー・フィッシャー(元イスラエル中銀総裁)、ラグラム・ラジャン(元インド中銀総裁)らは世界的に名の通った学者でもある。中国や韓国でも中銀のトップは学者が務めている。

 しかも、中央銀行の国際的な連携は、リーマンショックを契機に、事務当局者同士が下で詰めて上に上げていくというやり方から、トップが電話で協議するというやり方に変わっている。問題は日本がそのコミュニティーに入っていけるかだ。経済・金融理論に対する深い知識や語学力など、日銀総裁には従来と異なる資質も求められる。

「優秀な学者が中央銀行トップになるという国際標準を、日本でも実現するべきではないか」

 雨宮はこう言っていた。

 関係者によると、雨宮から固辞の理由を聞かされていた首相の岸田文雄は、深く共鳴するところがあったようで、総裁の条件を問われた国会質疑で「主要国中央銀行トップとの緊密な連携、質の高い発信力、受信力が格段に重要になっている」と説明している。雨宮の主張にそっくりだ。

 そして、大本命の雨宮の辞意が固いとみた岸田官邸は、かねてから目をつけていた植田への傾斜を強めていく。最終的に正副総裁三人の人選が固まったのは年末から年始にかけてだったといわれる。

 財務省・日銀出身者の交代ルールが崩れたことに加えて、今回の総裁人事にはもう一つ特徴があった。それは2代続けてのポリティカル・アポインティー(政治任用)化だ。

 後述する98年の新日銀法施行以前も、以降も、総裁選びは所管官庁である財務省(以前は大蔵省)と日銀が官邸とあうんの呼吸で詰めていくのが流儀だった。この二つの組織が交代ルールを参考にしながら有力として推す候補者に決着できるよう根回しも万全だった。

12年12月の総選挙に勝利し政権に復帰した安倍は「大胆な金融政策」を柱とする経済政策、「アベノミクス」を掲げていた。そのため、13年4月に迫っていた日銀総裁人事は政権の行方を占う上でも間違いの許されない非常に重要な政治イベントになっていた。

 前任の白川方明が日銀出身だったため、交代ルールに従えば自分たちの番だったこともあり、財務省は08年の総裁レースで国会承認の獲得に失敗した次官OBの武藤敏郎を強く推していた。しかし、安倍は彼らの意向を無視。財務省本流とは異なり「デフレは貨幣的現象なので金融政策だけで対処できる」とリフレ派的な主張を繰り返した黒田を最有力候補として位置付け、総裁就任を要請した。

 この行為は政治家による内閣人事権を行使した「一本釣り」ともいえる。しかも、リフレであれ何であれ、特定の金融政策を実施するために総裁が決められるのは初めてだった。

 安倍はさらに、日銀と財務省が予定調和的に決めていた副総裁や審議委員の人事も政治的に利用。黒田の補佐役として「リフレ派の教祖」と言われた学習院大学教授の岩田規久男を副総裁に抜てきしただけではなく、その後も若田部昌澄、原田泰、片岡剛士らリフレ派の面々を副総裁や審議委員に起用することで日銀をコントロールしようと試みた。

「内閣人事権の活用と政策を結び付けろ」と提唱していたのは21年11月に86歳で亡くなった中原伸之だ。東燃の社長を務め日銀の審議委員も経験した中原は財界応援団を組織し安倍をサポートしていたが、第2次政権以前から何度も「金融政策を変更したいなら、内閣や国会は審議委員の人選で考えればいい」という持論を安倍に伝えていたのだという。

ただ、安倍が「リフレ政策の実現」という特定の方向性を求めて黒田を指名したのとは異なり、岸田が何か政策的な意図を持っているのかははっきりとしない。

 政治任用だった黒田を除き、総裁を務めた大蔵省出身者は全員が事務次官経験者だ。このポストは昔、「大蔵次官にとっての天下り先ナンバーワン」と言われたように事務次官経験者の中でも最も格が高いという位置付けだった。

 次官に上り詰める財務官僚は主計局長からの昇格が大半を占める。主計局長になるには、多くの場合、局内で課長や主計官のポストを歴任する。財政を担当するセクションは政治との折衝に忙殺される。

 しかし、大物といわれる次官OBだとしても、そのような経歴が日銀総裁にふさわしいかは別問題というのが岸田や雨宮の考え方のようだ。特にグローバル化の進展に合わせ中銀トップの間での情報交換が密になればなるほど、そのコミュニティーに入っていく重要性は増す。雨宮は周辺にこう漏らしたことがある。

事務次官をなさった方は皆それなりの人なんだけど、その方が総裁というのは少し違うんじゃないか」

#日銀(雨宮副総裁・総裁候補)