https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

78年前の終戦時、海外にいた元日本兵や民間人はおよそ660万人とされていて、戦後もシベリアや東南アジアなどに抑留され多くの人が亡くなったほか、生き残った人たちも日本に引き揚げるまで10年以上の時間がかかりました。

新たに見つかったのは、1946年から48年にかけてバチカンで記録された、日本人の引き揚げに関するおよそ40点の外交文書などで、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、バチカンで公開された資料を調査して確認しました。

このうち、旧ソビエトによって57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された「シベリア抑留」をめぐっては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、アメリカ側に働きかけたことなどが記録されています。

1948年8月には、シベリアからの引き揚げが年内に実現するよう、日本の家族団体がバチカン国務長官に協力を求める手紙を送っていたのに対し、返書には、早期に実現するよう努力すると記されています。

また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領東インド、今のインドネシアにあった日本人の収容所をめぐり、オランダ政府に対して環境の改善を求めたことが記されていました。

その年の12月に日本の家族団体がバチカンの駐日大使に送っていた手紙には、東南アジアからの引き揚げがほぼ完了したとして、バチカンによる支援に対し、謝意がつづられています。

松本教授は「バチカンが日本人の引き揚げを援助していたことはこれまで知られておらず、新しい発見だ。日本側からすると中立国のバチカンキリスト教人道主義の側面から頼ったのではないか」と指摘しています。

そのうえでバチカン側のねらいについては「海外に抑留された日本人は特にシベリアではソ連側に洗脳されてしまう危険性があった。バチカンは戦前から一貫して反共産主義で、人道的理由もあったものの、実は共産化を防ぐという政治的な意図もあったのではないか」と話しています。

#海外抑留(日本への引き揚げ・バチカン

d1021.hatenadiary.jp

NHKスペシャル
発見 昭和天皇御進講メモ
戦時下 知られざる外交戦

終戦に至る舞台裏で繰り広げられたバチカン和平工作とは。
発見された新資料から世界戦争の中の知られざる外交戦を見つめる。

自民党松川るい女性局長は、7月に女性局がフランスで行った研修中にパリのエッフェル塔の前でポーズを取って撮影した写真をSNSに投稿し、その後、削除しました。

そして「SNS上の発信に不適切なものがあったと思っており、誤解を与えたことを反省している」などと陳謝しました。

松川氏は、党の小渕組織運動本部長から注意を受けたということですが、野党などからは批判が相次いでいました。

複数の自民党幹部によりますと、こうした事態を受けて松川氏は女性局長を辞任する意向を固め、近く辞任する方向となりました。

#松川るい自民党女性局フランス研修・「女性局長」辞任意向)

d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp

#松川るい(傲慢マドンナ伝説)
#松川るい自民党女性局フランス研修)

d1021.hatenadiary.jp

#外交・安全保障