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直感で選択したプレーに実は理論的な根拠があるとわかると、それを内面化し、次に同じ状況に遭遇したときに同じ(またはより良い)判断ができるようになるわけです。こうした一連のプロセスを監督は「言語化」と呼んでいるのだと私は理解しています。

法学部や法科大学院の授業で、学生と問答をしていると、学生が考慮すべき要素や結論の方向性は見えているのに、それを自分の言葉で説明できないという局面によく出くわします。

たぶんこの学生は、「××という条文があって、○○という事実があると、処分をすることが許されない」ということは、直感的にはわかっていたはずです。そして、「××」と「○○」だけでは、言葉の上では論理がつながっておらず、理由づけになっていないこともわかっていたはずです。しかし、両者をつなぐ中間項である「△△」が見つからなかった(あるいは言葉で表現できなかった)。つまり、自分の思考を言語化できていなかったわけです。

この教科書では、言語化に対してふたつのアプローチをとっています。ひとつは、私自身の思考や推論の過程を言語化することであり、これが大部分を占めています。

もうひとつは、言語化の方法を言語化して学生に提示することです。

法律論における理由づけのプロセスは、抽象的な概念を具体化し、具体的・個別的な事情を抽象化して、両者をつなげるプロセスであることが多い

本書では、この中間項を「中間的基準」と呼び、条文から中間的基準を導出する作業を「解釈」と定義して、条文を解釈し中間的基準を導き出し事実に適用する過程を図式化して示すとともに、解釈の方法を例解しました(以上につき、本書第7章「法の解釈・適用と行政裁量」、特に7.2.2)。

#興津征雄「言語化

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「選手が自ら考えてやる野球」には自由度もあり、それが機能すれば、選手は自分の意志で主体的に野球に取り組むことができる。

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#レジェンドの目撃者「松尾雄治

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