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 2020年春に始まった秋篠宮邸の改修工事。昨秋、工事が終了した時点で宮内庁は〈22年度末までに御仮寓所(仮住まい)から宮廷へご一家で引っ越される〉と説明したにもかかわらず、実際は佳子さまのみ「分室」(旧御仮寓所)にとどまられることに。その「佳子さま別居」という実態が報じられても「プライベートなので」と、宮内庁はメディア側の質疑に取り合わなかった。その後も佳子さまのお部屋を設けなかった理由について不自然極まりない弁明をするなど、宮内庁の対応には国民の間から不信の声も上がっている。

 そんな中、別の問題が起こったと宮内庁担当記者が振り返る。

「その点をわれわれが質すと、何と大夫は『お熱などを含め個人情報だと思う』と、回答を拒んだのです」(同)

 こうしたやり取りは、先月24日に感染が確認された佳子さまの時にも繰り返されたというのだ。

 25日には宮内庁ナンバー2の池田憲治次長の定例会見が開かれたものの、

「佳子さまのご体調について質問が出ると、まるで皇嗣職と示し合わせたかのように『落ち着いておられる』と言うのです。“それでは分かりづらい。まだ症状が出ているのか”と聞いても、しばし黙り込んだのち『全体的なご様子としてです』と、要領を得ない回答に終始したのでした」(同)

 側近トップである加地大夫の発言と齟齬(そご)がないように“調整”した形跡もうかがえたというのだが、

「そもそも隠す必要のない情報をなぜ遮断するのか。秋篠宮ご夫妻のご意向が強く働いているのはもちろんですが、あまりに世間の感覚とかけ離れていると言わざるを得ません」(同)

 宮内庁関係者が明かすには、

「これまで、上皇ご夫妻のお風邪やご病気の際には、事細かなご症状の説明がありました。それはご夫妻の『国民にありのままを伝えてほしい』とのご意向をくんでのことですが、一方で秋篠宮さまは、今回の悠仁さまや佳子さまの感染や発症について“家庭内のことを大げさにしなくても”というふうに受け止められているのだと拝察いたします」

#秋篠宮家(加地隆治皇嗣職大夫「お熱などを含め個人情報だと思う」・宮内庁池田憲治次長「落ち着いておられる」)

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#天皇家

今から110年前の1913年、東北大学、当時の東北帝国大学に3人の女性が合格し、日本で初めてとなる「女性の大学生」が誕生しました。

このうちの1人で、お茶の水女子大学の名誉教授などを務め、研究者として活躍した黒田チカについて、およそ4000点の資料が東北大学に寄贈されていて、この中に黒田の恩師からの手紙、130通が残されていたことが大学の史料館の調査で分かりました。

手紙を送ったのは黒田の恩師で、今の東北大学の教授や大阪大学の総長などを歴任した真島利行です。

真島の手紙では、第二次世界大戦後に「女子教育も変革してアメリカ式になるようだ。これからますますリードしていってほしい」と黒田を鼓舞しているほか、身内に不幸があり、研究や生活に弱気になる黒田に対して「そうしたときも、自身の化学の研究にまい進しなければならない」と励ますなど、公私にわたって黒田を支えていた様子がうかがえます。

手紙のやり取りは、大学卒業後から真島の晩年に至るまで行われていて、調査を行った東北大学史料館の加藤諭准教授は、黒田が活躍できる土壌を恩師や大学が作っていたことは、現代も国内の研究者に占める女性の割合が海外に比べ低い水準にとどまる中でヒントとなる貴重な資料だと指摘しています。

加藤准教授は「調査した資料からは、これからの時代も個人の活躍とそれを支える社会、そして指導する上司や先生の存在が重要だということがよくわかる」と話していました。

資料のうち30点ほどが、10月7日から東北大学史料館で展示されます。

恩師からの励ましの手紙など 約130通
大学を卒業後、お茶の水女子大学の名誉教授を務めるなど活躍した黒田チカと、その恩師である真島利行との手紙のやり取りは、真島の晩年まで続けられていました。

手紙はおよそ130通が確認されていて、論文について質問した黒田に対して、その内容を丁寧に説明するものや、第二次世界大戦後に「女子教育も変革してアメリカ式になるようだ。これからますますリードしていってほしい」と鼓舞する内容のものも残されています。

身内に不幸があり、研究や生活に弱気になる黒田に対して「年を重ねれば誰しもそのような別れはある。そうしたときも、自身の化学の研究にまい進しなければならない」と励ます手紙も確認されました。

黒田の遺族から寄贈を受けたおよそ4000点の資料の中には、当時の大学生活を知る新聞記事を集めたものもありました。

記事では、大学で学べたことの喜びのほかにも、「東北大学の学生となった時 男学生の女子等に対する空気は決して穏やかではなかった」などとする、当時の苦労も掲載されています。

このほか、1964年に放送された、黒田を主人公にしたNHKのドラマ「たまねぎおばさん」というタイトルの台本も残されていて、黒田の役を2019年に亡くなった俳優の市原悦子さんが演じ、ドラマでは、大学生活やその後の研究者としての活躍を描いていました。

調査を行った東北大学史料館の加藤准教授は「日本で初めての女性の大学生というのは、黒田をはじめとして、本人の才能や努力の一方で、社会や指導する先生方の支えとの両輪があって活躍していたことが、残されていた手紙からよくわかりました。女性だけではなく、どなたでも若いときから晩年まで、生涯にわたって活躍していく、そのヒントを今回の資料から感じとってもらいたい」と話していました。

スウェーデンストックホルムにあるノーベル賞の選考委員会は、日本時間の4日午後7時前、ことしのノーベル化学賞の受賞者を発表しました。

受賞が決まったのは、
アメリカのマサチューセッツ工科大学のムンジ・バウェンディ教授、
アメリカのコロンビア大学のルイス・ブルース教授、
▼旧ソビエト出身のアレクセイ・エキモフ氏の3人です。

エキモフ氏とブルース教授は1980年代にそれぞれ別の方法で、同じ化合物でも1ミリの100万分の1という「ナノ」サイズの結晶になると、わずかな大きさの違いで、発する光の色が変わることを発見しました。

そして、バウェンディ教授は1990年代、発する光が強いうえ、狙ったとおりの大きさの「ナノ」サイズの結晶を安定的に製造する技術を開発しました。3人が発見するなどした「ナノ」サイズの結晶は「量子ドット」と呼ばれ、さまざまな色の光を発する特性がテレビの画面やLEDの照明などで活用されているほか、医療の現場での応用も期待されています。

選考委員会「人類に最大の恩恵」

ノーベル賞の選考委員会は3人の功績について「ナノテクノロジーの分野にとって重要な種をまいた。量子ドットは現在、テレビやLED照明などさまざまな場面で役割を果たしている」としています。

その上で「量子ドットは人類に最大の恩恵をもたらしつつある。将来的には極めて小さなセンサーや太陽電池の薄型化などにも貢献する可能性がある。われわれはその可能性を探究し始めたばかりだ」と評価しています。

バウェンディ教授「とても光栄」

ノーベル化学賞に選ばれたアメリカのマサチューセッツ工科大学のムンジ・バウェンディ教授は、ノーベル賞の選考委員会との電話でのインタビューで、「とても驚きました。眠かったですが、予期していないことで、とても光栄です」と喜びをあらわにしました。

また、記者からノーベル賞に選ばれると思っていたかと尋ねられると「多くの人がこの分野の研究に貢献してきました。研究は全員で取り組んできたもので、自分が受賞できるとは思っていませんでした」と応じました。

その上で「研究当初は社会にどんな影響をもたらすことができるかわかりませんでしたが、この分野はとても刺激的で、今後も興味深い成果が出てくることは間違いないと思います」と話していました。

受賞者リストが事前流出 地元メディア「非常に残念」
ことしのノーベル化学賞をめぐっては受賞者のリストが誤って事前に流出するという前代未聞の事態も起きました。

スウェーデンの公共放送によりますと、現地時間の4日朝、発表のおよそ4時間前にノーベル賞の選考委員会からことしのノーベル化学賞の受賞者と受賞内容が書かれたメールが届いたということです。

同じメールは現地の複数の新聞社などにも送られていたということで、各社は受賞者の名前を一斉に報じました。

発表前にロイター通信の取材に応じた選考委員の1人は「まだなにも決まっていない」などとしていましたが、その後、行われた選考委員会の会見ではメールと同じ受賞者が発表されました。

公共放送は、こうした形で受賞者の名前が事前に流出することは過去に一度もなかったとしているほか、現地の新聞社は「非常に残念で恥ずかしいことだ」などと報じています。

ことしの発表日程は

ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したスウェーデンアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて、「人類に最大の貢献をもたらした人々」に贈るとされています。

ことしの受賞者の発表は
▽2日が生理学・医学賞
▽3日が物理学賞
▽4日が化学賞
▽5日が文学賞
▽6日が平和賞
▽9日が経済学賞となっています。

日本人の受賞はこれまでアメリカ国籍を取得した人を含めて28人ですが、このうち2000年以降に受賞した20人はすべて、生理学・医学賞、物理学賞、化学賞の自然科学系の3賞で、この期間ではアメリカに次ぐ2番目の多さとなっています。

一方、文学賞は1994年の大江健三郎さん、平和賞は1974年の佐藤栄作元総理大臣以来受賞がなく、経済学賞を受賞した人はいません。

おととし、物理学賞に輝いた真鍋淑郎さん以来、2年ぶりに日本人の受賞があるのか注目されます。

化学賞 注目された日本人研究者は

化学賞はこれまで日本から8人が受賞していて、ほかにも「ノーベル賞級」とされる成果を挙げている日本の研究者が多くいます。

このうち水中の「酸化チタン」に紫外線を当てると、水が水素と酸素に分解される現象を世界で初めて発見し、有害物質の分解などに利用される「光触媒」の実用化の道を開いた東京理科大学栄誉教授の藤嶋昭さんや、藤嶋さんとともに「光触媒」の研究に取り組み、汚れや有害物質のほか、細菌やウイルスを分解する力があることを明らかにした科学技術振興機構理事長の橋本和仁さんは毎年、受賞が期待されています。

東京大学卓越教授の藤田誠さんは、分子どうしがひとりでに結びつく「自己組織化」と呼ばれる現象の研究で国内外で高く評価されているほか、京都大学特別教授の北川進さんは「多孔性金属錯体」という特定の気体を貯蔵できる材料の合成で世界的に注目されています。

このほか、ナノマシンと呼ばれる極めて小さい物質に薬を乗せてねらった場所に送り届ける技術を開発した川崎市産業振興財団の副理事長の片岡一則さんは、2023年9月にイギリスの学術情報サービス会社からノーベル化学賞受賞の有力候補にあげられていました。

#ノーベル化学賞(「量子ドット」発見)