【速報 JUST IN 】韓国最高裁 長崎県で盗難の仏像 対馬市の寺の所有権認める判決https://t.co/KIA9ogygyq #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) October 26, 2023
2012年に長崎県の寺から盗まれその後韓国で見つかった仏像をめぐり、韓国の寺が「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として所有権を主張し引き渡しを求めている裁判で、韓国の最高裁判所は原告側の訴えを退け、仏像の所有権は長崎県の寺にあると認める判決を言い渡しました。
7年半にわたった裁判は判決が確定することになります。
目次
「観音寺 1973年の時点で所有権を取得」韓国最高裁《これまでの経緯》
「観音寺 1973年の時点で所有権を取得」韓国最高裁
2012年に長崎県対馬市の観音寺から盗まれその後韓国で見つかった、県の有形文化財に指定されている仏像「観世音菩薩坐像」をめぐっては、韓国中部にあるプソク(浮石)寺が「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として所有権を主張し、仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めて2016年4月に韓国で裁判を起こしました。1審の地方裁判所は、プソク寺への仏像の引き渡しを命じましたが、2審の高等裁判所はことし2月、観音寺が20年以上公然と仏像を所有してきたとして、1審とは逆に、引き渡しは認められないとする判決を言い渡し、原告側がこれを不服として上告していました。
韓国の最高裁判所は26日「日本の民法上、観音寺が法人格を得てから20年たった1973年の時点で、仏像の所有権を取得したと認められる」として、原告側の訴えを退け、仏像の所有権は観音寺にあると認める判決を言い渡しました。
7年半にわたった裁判は判決が確定することになり、これを受けて日本政府は、韓国政府に対して日本側への仏像の早期返還を求めていく方針です。
《これまでの経緯》
2012年10月 仏像盗まれる
事件が発生したのは11年前の2012年10月。対馬市の神社や寺から国の重要文化財の「銅造如来立像」と、県の指定有形文化財の「観世音菩薩坐像」が盗まれているのが発覚しました。
警察は窃盗事件として捜査していましたが、翌年、意外な場所で発見されます。
韓国の警察は仏像を盗んだとして韓国人の窃盗団を検挙。
容疑者たちの供述に基づいて2つの仏像が回収されたのです。
仏像を証拠品として保管する韓国政府は、当初、本物と確認されれば、国際条約に基づいて日本側に返還するとしていました。
しかし、2体の仏像のうち、観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」について、韓国中部にあるプソク寺の関係者が「仏像はもともと倭寇に略奪されたものだ」として仏像の所有権を主張。
日本側に返還しないよう求め、韓国の裁判所は、仏像が日本に渡った経緯が明らかになるまでは日本に返還できないとする仮処分を出しました。
対馬市や観音寺は、仏像は朝鮮半島との交流の中で、仏教の普及に伴ってもたらされたものだなどと主張。
日本政府も、韓国政府に対して返還を求めてきましたが、返還のめどは立たず、対馬市では、30年以上続けられてきた日韓友好のイベントが一時、中止になるなど、影響が広がりました。
2015年 「銅造如来立像」対馬市に返還
そうした中2015年、2つの仏像のうち「銅造如来立像」については、韓国の検察が、「日本の神社が正当な管理者であることを認める」として、対馬市に返還されました。2016年 プソク寺「観世音菩薩坐像」の引き渡し求める訴え
しかし、一方の「観世音菩薩坐像」については、プソク寺側が「仏像は中世の高麗時代に自分たちの寺でつくられ、日本の倭寇に略奪されたものだ」として仏像の引き渡しを求める訴えを起こしました。2017年 韓国の地裁 韓国の寺への引き渡し命じる判決
翌年1月、1審の地方裁判所は「仏像は過去、正常ではない形で対馬に渡ったとみられる」などとして、韓国の寺への引き渡しを命じる判決を言い渡します。これに対して韓国政府は判決を不服として控訴。
2022年6月 韓国の高裁審理に観音寺の住職が初めて参加
高等裁判所での審理には去年6月、観音寺の田中節竜住職が初めて参加し、「観音寺は平穏かつ公然と仏像を占有してきており、日本の民法でも韓国の民法でも所有権はわれわれにある」と訴えました。2023年2月 韓国の高裁 “所有権は観音寺” プソク寺側は上告
そして、ことし2月、高等裁判所は観音寺は20年以上公然と仏像を所有してきたもので所有権は観音寺にあると認定し、1審とは逆に寺側の訴えを退け、引き渡しの要求を認めないとする判決を言い渡しました。これに対してプソク寺側は「所有権がないという高裁の認定は受け入れられない」として、最高裁判所に上告し審理が続いていました。
《関係者の反応は》
観音寺 檀家の総代長「必ず戻ってきてほしい 強く願っていた」
仏像が盗まれた観音寺の檀家の総代長を務める村瀬辰馬さんは当時を振り返り「仏像がなくなっていたことがわかったときはそもそも美術品として価値があると考えていなかったのでまさかという気持ちでした」と話していました。村瀬さんは仏像について、地元の人々にとって心の支えだったとして「島外に出て就職したり結婚したりした人も、帰ってきたら拝みに来るような存在でした。盗まれたことで、悲しみに暮れて泣く人もいました」と話していました。
そして「11年という長い間に諦めた時もありました。自分たちのご本尊様なので、必ず戻ってきてほしいと強く願っていました」と話していました。
観音寺の住職「早期返還してもらうよう求める」
判決を受けて、仏像が盗まれた長崎県対馬市にある観音寺の住職を務める田中節竜さんは「差し戻しになるかもしれないと思っていたので安どした。地域の人には1つの区切りがついたこと、そして、これからも返還に向けて進んでいくことを報告したい。最終的には仏像が対馬に戻ってきて地域の人が安心するのを見るのが一番の願いだ。日韓の間にもいろいろな事情があると思うが、対馬のことを一番に考えて早期返還してもらうよう求めていきたい」と話していました。村井官房副長官「早期返還を韓国政府に働きかける」
村井官房副長官は午前の記者会見で「裁判の過程では仏像を盗難された観音寺が補助参加人として『仏像の所有者だ』と主張してきており、こうした主張に沿った判決だと考えている。政府としては仏像が観音寺に早期に返還されるよう、韓国政府に働きかけるとともに観音寺を含む関係者と連絡を取りつつ適切に対応していきたい」と述べました。対馬市長「一日も早い返還へ 必要な諸手続進める」
判決を受けて、対馬市の比田勝市長は「長期化した本裁判の結果が、待ち望んでいた正当な判決であったことに、大変うれしく思っており、関係者の皆様も心から安どしていることでしょう。今後は、一日も早く所有者のもとに仏像が戻ってくるよう、関係機関と調整し必要な諸手続を進めてまいりたいと考えています」とのコメントを発表しました。プソク寺「野蛮な判決」
韓国最高裁の判決を受けて、原告のプソク寺側は記者団に対し「武力的かつ不法な略奪を合法化した野蛮な判決だ。仏像を守るために倒れていった祖先たちの子孫である私たちが、このような判決を認めることができるだろうか」と話していました。対馬市民「ほっとした」「うれしい」
今回の判決について、対馬市内に住む60代の女性は「判決を聞いてほっとしました。盗まれたものが戻ってくるのは当たり前のことだと思います」と話していました。また、市内に住む80代の男性は「仏像は対馬だけではなく日本の宝なのでこのような結果になってよかったです。今後、仏像が返還されるのが早ければ早いほどいいと思います」と話していました。
また、市内に住む70代の女性は「過去にいろいろな事情があったかもしれませんが、対馬の寺が守ってきたものなので、島民としてはうれしいです。国によって考え方が違うかもしれませんが決着がついてよかったと思います」と話していました。
#日韓(対馬観音寺「観世音菩薩坐像」返還訴訟・韓国最高裁「日本の民法上、観音寺が法人格を得てから20年たった1973年の時点で、仏像の所有権を取得したと認められる」)
#朝鮮半島