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新しい中国大使として着任した金杉憲治氏が北京で記者会見し、両国間の対話を進めるための環境づくりに努力するとしたうえで、日本人の相次ぐ拘束や日本産水産物の輸入停止措置などの懸案をめぐり解決に向けて中国側に働きかけていく考えを示しました。

中国に着任した金杉憲治大使は昭和58年に外務省に入り、アジア大洋州局長やインドネシア大使などを歴任し、中国語を専門とするいわゆるチャイナスクール」の出身ではありません。

19日、北京の日本大使館で開かれた記者会見で、金杉大使は経済担当の外務審議官などとして日中関係を4年近く担当していたと説明し、両国の間で「対話や協議が進んでいく環境を整備できるように努力していきたい」と述べました。

そのうえで、ことし3月に北京で大手製薬会社の日本人男性が拘束されるなど、日本人の拘束事案が相次いでいることについて「日本人の安全・安心の確保と日系企業の権益の保全のため、拘束された日本人の早期解放を中国側に働きかけていきたい」と強調しました。

東京電力福島第一原子力発電所にたまる処理水の放出をめぐり、中国が日本産水産物の輸入停止措置を続けていることについては「科学的な知見に基づいて一致できる方向性を見つけていこうという立場から粘り強く話をしていくことが大事だ」と述べ、中国に対して早期の撤廃を継続して呼びかけていく考えを示しました。

#日中(金杉憲治大使「(福島原発処理水)科学的な知見に基づいて一致できる方向性を見つけていこうという立場から粘り強く話をしていくことが大事だ」=科学主義・着任会見)

ロシア外務省は18日、ラブロフ外相がロシア国営の「第1チャンネル」に応じたインタビューを映像とともに公開しました。

この中でラブロフ外相はNATO北大西洋条約機構の加盟国を攻撃する意図はないとするプーチン大統領の最近の発言を引用しながらNATO諸国と領土をめぐる争いはない」と述べました。

その上で「全体として、われわれにはもはや日本を含むどの国とも領土をめぐる論争は存在しない。すべて終わっている」と強調しました。

ロシアはウクライナ侵攻開始後の去年3月、日本が厳しい制裁措置を講じたことに反発して北方領土問題を含む平和条約交渉を中断すると一方的に表明しました。

日本などアジア太平洋地域を担当するルデンコ外務次官も今月16日にロシアのインターファクス通信が報じたインタビューで、日本との平和条約交渉などを続けるのは難しいとの認識を示していました。

ラブロフ外相の発言は日本への強硬姿勢を改めて示した形です。

官房長官「責任転嫁の対応 極めて不当」
官房長官閣議のあとの記者会見で「日ロ間では、領土問題が解決されていないがゆえに平和条約交渉が行われてきた。現下の事態はロシアによるウクライナ侵略に起因して発生しているものであり、日本側に責任を転嫁しようとする対応は極めて不当で断じて受け入れられない」と述べました。

その上で「日ロ関係は厳しい状況にあり、現在、平和条約交渉について具体的に申し上げられる状況にないが、政府としては北方領土問題を解決して平和条約を締結するという方針を堅持していきたい」と述べました。

#日露(ラブロフ外相「NATO諸国と領土をめぐる争いはない」「全体として、われわれにはもはや日本を含むどの国とも領土をめぐる論争は存在しない。すべて終わっている」)

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#日露(ロシア外務省デンコ外務次官「岸田政権がロシアを敵視する政策を放棄しないかぎり、本格的な2国間の対話は不可能だ。われわれも最も厳しい対抗措置をとり続ける」「友好と協力に関する条約締結について日本と対話を続ける見通しはない」「両国の実務的なやりとりまでなくなっているわけでない」「空席となっているロシアの駐日大使が近く着任する」)

#中露(共同訓練・アメリカやその衛星国を不安にさせている)

#ロシア(下山伴子「プーチン大統領『ロシアは一部の国のように、一本のソーセージ*と引き換えに主権を放棄して、誰かの衛星国になりはしない』」「シオニスト帝国主義の鬼畜達が虎視眈々と獲物を狙う国際社会で、祖国を守る事ができるのはこの固い意志と希望だと思います」)

日本の戦後史を振り返ってみると、アメリカとのあいだで国家の根幹に触れるような、本当の意味での外交交渉を行ったのは、次の3人の首相たちだけだったと言えるでしょう。

そしてそのとき日本が手にした成果と、そのウラ側で結ばされたおもな密約は、それぞれ次の通りです。

吉田茂 占領の終結 指揮権密約(1952年と54年)(*1)
岸信介 親米体制の確立 事前協議密約/基地権密約/朝鮮戦争・自由出撃密約(1960年)
佐藤栄作 沖縄返還 沖縄核密約/財政密約(1969年)

これらの対米交渉は、各首相たちの指示のもと、それぞれもちろん、もっとも優秀な外務官僚たちが担当しました。

(*1)一般には「核密約」と呼ばれています

なかでも『知ってはいけない2』第一章に登場した東郷文彦(1915〜85年)は、岸の安保改定交渉を担当課長(安全保障課)として支え、佐藤の沖縄返還交渉を局長(北米局、アメリカ局)として主導し、その後は事務次官と駐米大使も歴任した、まさに「ミスター外務省」といってもいいような輝かしい経歴の持ち主です。(*2)

その意味では、岸政権のもとで生まれ、佐藤政権の沖縄返還を経て現在までつづく「日米同盟」の“奥の院”について、ただひとり全貌を知る立場にあったのは東郷だけということになります。歴史家たちに、もっとも優秀な戦後の外交官は誰かと投票させれば、おそらく彼が1位となるでしょう。

しかし皮肉なことにその東郷が、結果として密約文書についての解釈と処理を誤り、『知ってはいけない2』第一章で述べたような、現在までつづく大きな政治的混乱を生みだすきっかけをつくってしまったのです。

歴史の資料を読んでいると、突然、幕のうしろから舞台に現れ、驚くほど貴重な証言を残したあと、すぐに姿を消して立ち去っていく人に出会うことがあります。

実はそうした人たちは、自らの死期を悟った人物であることが多い。

日米密約の問題で、歴史上もっとも鮮やかな証言者となったのも、2009年に外務省の“奥の院”の実態についてきわめて率直に語り、翌年の3月には死去された元外務次官の村田良平氏でした。

なにしろ事務次官(1987〜89年)だけでなく、その後、駐米大使(1989〜92年)まで務めた、まさに外務官僚のピラミッド組織の頂点に位置する人物が、長年最大のタブーとされてきた密約問題について赤裸々に真相を語ったのですから、その影響の大きさには計り知れないものがありました。

その村田氏の証言のもっとも重要な舞台となったのが、福岡に本社のある大手ブロック紙西日本新聞が一面すべてを使って掲載した、次のような大スクープ記事(*3)だったのです。

☆ ☆

——核持ち込みに関する密約はあったのか。

「1960年の安保条約改定交渉時、核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本への立ち寄りと領海通過には、事前協議は必要ないとの密約が日米間にあった。私が外務次官に任命された後、〔その文書を〕前任者から引き継いだように記憶している。1枚紙に手書きの日本語で、その趣旨が書かれていた。それを、お仕えする外務大臣にちゃんと報告申し上げるようにということだった。外部に漏れては困る話ということだった。紙は次官室のファイルに入れ、次官を辞める際、後任に引き継いだ」

——昨年〔2008年〕9月に出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房)で密約に触れている。(*4)ためらいはなかったか。

「この際、正直に書くべきことは書いた方がいいと思い、意識的に書いた。(略)核について、へんなごまかしはやめて正直ベースの議論をやるべきだ。政府は国会答弁などにおいて、国民を欺き続けて今日に至っている。だって、本当にそういう、密約というか、了解はあったわけだから」

——90年代末、密約の存在を裏付ける公文書〔『知ってはいけない2』27ページの「討議の記録」のこと:詳しくは71ページ以下を参照〕が米国で開示されたが、日本政府は否定した。

「政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった」

(*2)加えて第二次大戦の最末期には、義父である東郷茂徳外務大臣の秘書官として、終戦工作にも立ち会っています
(*3)「米の核持ち込み「密約あった」村田元次官実名で証言」(2009年6月28日)
(*4)すでにこの回想録のなかで村田氏は「「米国が協議して来ない以上〔核兵器の〕持込みは行われていません」との政府答弁は寄港、領海通行、領空については明らかに国民に虚偽を述べたと言わざるをえない」と証言していました

#日米(矢部宏治 「『村田良平回想録』」)

けれどもこの「外務次官になると必ず渡される引き継ぎ文書」の話を知ったとき、私はむしろホッとした思いがしたのでした。

「やっぱりそうだったのか。権力の“奥の院”には、そうした密約についてのきちんとしたマニュアルがあって、これまで何十年もずっと受け継がれてきたんだな」と。

『知ってはいけない2』第一章の冒頭でお話ししたとおり、日本の高級官僚に対する信頼感がまだかなり残っていた昭和世代の私は、単純にそう思ったのです。

日本には古くから、顕教(オモテの教え)よりも密教(ウラの教え)の方が上位にあるという社会的な伝統があり、その「密教」にアクセスできるものだけが、組織において真の権力を握る。

戦後、日米間で結ばれた軍事上の密約こそは、まさしくその密教そのものであり、エリート中のエリートである外務省の幹部たちによって、これまで厳重に管理されてきたのだなと。

けれどもその後、村田元次官の証言がきっかけとなって行われた民主党政権下の密約調査で、解禁されたその「極秘文書」を見たとき、今度は大きな失望を味わうことになったのです。

というのも、村田元次官がその遺言ともいえるメッセージのなかで触れていた、歴代の外務次官が引き継ぎ、それをもとに何十年も外務大臣や首相に「ご進講」が行われていたという問題の文書とは、かなり不格好なものだったからです。(*実際の資料はぜひ本書でご覧ください)

これこそが、本章の冒頭で紹介した「ミスター外務省」東郷文彦が、いまから半世紀前の1968年1月27日、混乱をきわめた「核密約問題」に終止符を打つべく書き残した渾身の極秘文書、いわゆる「東郷メモ」だったのです。

「この文書は北米局長が預かっていたのです。北米局長室に金庫がありまして、その金庫に保管したのです。(略)外務大臣、総理が代わりますと、次官は北米局長にあの書類を持ってきてくれと言う。〔言われた〕北米局長がその書類を次官に渡して、局長が同席した場合もあるし、(略)次官が単独で大臣、総理に説明をしたこともある」

「「東郷メモ」の欄外にずらっと政治家の名前がありましょう。(略)歴代事務次官がいつ、どの大臣、総理にこの中身を説明したかがずっと欄外に書いてあるわけです」

これは村田氏の次に事務次官となり、その後、やはり駐米大使も務めた栗山尚一氏の証言です(『沖縄返還日中国交正常化・日米「密約」』岩波書店)。

たしかに東郷メモの欄外の書き込みは、東郷北米局長自身による「三木大臣 御閲読済 東」という1968年(昭和43年1月30日)の書き込みで始まり、有馬(龍夫)北米局長による「三塚大臣へ口頭にて説明済(村田次官より)」という1989年(平成元年6月15日)の書き込みで終わっています(*1)。

けれども私がこの文書を見て驚いたのは、なにより文面があまりに乱雑だということでした。文字が読みにくいうえに欄外に書き込みがあり、内容にもいくつも間違いがある(→『知ってはいけない2』275ページ)。

「これが本当に外務省一のエリート官僚が書いた最高機密文書なのか?」
「この文書を本気で後世に引き継ぐつもりがあったのか?」

と思ったのです。

(*1)その次に次官となった条約局出身の、やはり超エリート外務官僚である栗山氏が、この「東郷メモ」の要点を簡潔にまとめた「栗山メモ」(全文→277ページ)をつくり、「東郷メモ」に添付しています。「栗山メモ」には、一九八九年八月に栗山がメモの内容を中山太郎外務大臣海部俊樹首相に説明したことが書かれています。しかしその後は非自民党政権細川護煕内閣)の誕生やアメリカの核戦略の変更(「ブッシュ・イニシアティブ」→32ページ)もあり、「次官が必ず首相と外務大臣に説明する」という慣例は姿を消したようです

戦後の外務省最大のスターである東郷に対してこういう表現をすると、気分を害する人もいるかもしれません。

けれどもひとつはっきりと言えるのは、この日本を代表する外務官僚が書いた、しかも40年間も北米局の金庫に隠されていた究極の「極秘文書」をめぐる歴史のなかに、日本の外務省ひいては霞が関全体の欠点と、冷戦の終結後、なぜ日本という国がこれほどまでに進路を見失い凋落しつづけているかの原因が、凝縮されているということです。

これは複数の外務官僚の方たちから聞いた話ですが、外務省には日米安保北朝鮮問題といった重要な機密については、「次官、局長、担当課長」の三人だけが知っていればいいという伝統があるそうです。

しかしその伝統には、非常に重大な欠陥がある。当然の結果として、外務省内での情 報の共有がまったく行われていないというのです。

とくに深刻なのは、過去の歴史的事実の共有がないということ。省内の重要なポストはどれもほぼ2年で交代するため、そのポストにいるときだけは最高の情報が集まる。

しかし、ほかの時期のことはわからない。局長や次官といえどもそれは同じで、自分がそのポストにいないときの知識は、基本的に持っていないというのです。

そもそも村田元次官でさえ、引き継ぎ文書に関して「1枚紙にその趣旨が書かれていた」(→『知ってはいけない2』52ページ)と述べており、この全8ページの「東郷メモ」ではない、なにか別の「まとめのメモ」を見て首相や大臣に説明していたことがわかります。

北米局長や条約局長を経由せず、経済局長から次官になった村田氏に対し、「東郷メモ」を管理していた有馬北米局長がその内容をどこまで説明していたかさえ不明なのです。

#日米(矢部宏治 「『東郷メモ』」)

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#外交・安全保障