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昭和49年から50年にかけて東京で企業が相次いで爆破された事件の容疑者の1人で、指名手配されていた「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄が25日確保されていたことが捜査関係者への取材でわかりました。警視庁が確認を急ぐとともに男から事情を聴いています。

連続企業爆破事件は昭和49年から50年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こしたもので、三菱重工三井物産、それに間組など海外に進出していた企業が次々と標的にされ、12件の爆弾事件が相次ぎました。

東アジア反日武装戦線」のメンバーの1人、桐島聡容疑者(70)は、このうち昭和50年に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。

捜査関係者によりますと、容疑者とみられる男が25日、神奈川県内の病院に入院していることが分かり、身柄を確保したということです。

警視庁が確認を急ぐとともに男から事情を聴いています。

病院関係者から「桐島聡を名乗る男」の情報
捜査関係者によりますと25日、病院の関係者から「桐島聡を名乗る男がいる」という情報が警察に寄せられたということです。

連絡を受けた警視庁の捜査員が男に事情を聞いたところ、「桐島聡」と名乗ったほか、事件当時の詳しい状況などについても話をしているということです。

男は、ことしに入ってから入院し、末期がんを患っているということで、警視庁が、DNA鑑定などを行い、本人かどうかの特定を急いでいます。

桐島容疑者と連続企業爆破事件
過激派の「東アジア反日武装戦線」は、「狼」、「大地の牙」、「さそり」の3つのグループに分かれ、桐島聡 容疑者(70)は「さそり」に所属していました。

東アジア反日武装戦線」は昭和49年から翌年にかけて連続企業爆破事件を起こし、このうち、「狼」が起こした昭和49年8月の三菱重工ビル爆破事件では、8人が死亡し、165人が重軽傷を負いました。

その後も、三井物産間組など海外に進出していた企業などが標的にされ、「東アジア反日武装戦線」が関わった爆弾事件は、爆破未遂を含めて12件相次ぎました。

このうち、桐島容疑者は、昭和50年4月に東京 銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていて、およそ半世紀にわたって逃亡を続けていました。

警察庁が重要指名手配に指定する容疑者の中では逃亡期間がもっとも長くなっていました。

“みずからが桐島容疑者” 説明を始める
捜査関係者によりますと、桐島容疑者とみられる男は神奈川県内の病院に偽名で入院していたということです。

男は末期がんを患っていて、治療が行われていましたが、25日までにみずからが桐島容疑者であるという説明を始めたということです。

警視庁は男から事情を聴くとともに、今後、DNA鑑定などを行い確認を進めるものとみられます。

“桐島容疑者 時効は停止中” 警察庁
警察庁によりますと、一連の企業爆破事件の容疑者2人が現在も国外に逃亡しているとみられることから、時効が停止中で、これにともない、桐島容疑者の時効も停止中の扱いだということです。

爆破事件の被害者遺族「捜査進展に結び付くこと願う」
桐島聡 容疑者が所属する過激派の「東アジア反日武装戦線」のほかのメンバーが昭和49年8月に起こした三菱重工ビル爆破事件で、父親を亡くした石橋明人さん(64)は「およそ半世紀もの間、逃走していた容疑者とみられる人物が見つかったことに驚いている」と話しました。

そのうえで「当時、なぜ爆破事件に至るまでの思想を持ち、どういう気持ちで活動していたのかを聞きたい。できることなら、『間違ったことをしてしまった』と自分の人生を否定して、それを明言してほしい」と話しました。

三菱重工ビル爆破事件は東京 丸の内のオフィス街で起き、昼休み中のサラリーマンら8人が死亡、165人が重軽傷を負いました。

実行犯のメンバーの一部はいまだに逃走中で、石橋さんは「時間がどれだけたっても、逃げている容疑者がいるかぎり、気持ちに幕引きはされていない。桐島容疑者からほかのメンバーの情報が出て、捜査の進展に結び付くことを願いたい」と話していました。

#法律(70年代連続企業爆破事件・「東アジア反日武装戦線」指名手配桐島聡容疑者か・身柄確保)