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東京の都心と臨海部をつなぐBRT=バス高速輸送システムについて、1日から東京オリンピックの選手村跡地のマンション群のエリアを通るルートの運行が始まり、これにより、予定されていたすべてのルートが開通しました。

東京都は、人口が増えている臨海部の交通需要に対応しようと連節バスなどを使ったBRT=バス高速輸送システムの活用を計画し、4年前から運行を始めていて、これまでに計画にある4つのルートのうち、港区虎ノ門東京テレポートを結ぶルートなど3つのルートが開通していました。

これに加え、1日、新橋から、晴海にある東京オリンピックパラリンピックの選手村を改修したマンション群、「晴海フラッグ」のエリアに乗り入れるルートの運行が始まりました。

これで、計画されていたすべてのルートが開通したこととなり、都は今後、専用レーンを活用してバスを優先的に走行させるなど、本格的な運用につなげたい考えです。

晴海フラッグの付近に住む40代の男性は、「新橋や汐留までの移動がずいぶん楽になるので、BRTに乗っておいしいお店など開拓できたらなと思います」と話していました。

6年前に東京 築地から移転した豊洲市場の隣に、新たな商業施設が1日にオープンしました。

1日にオープンしたのは、江東区豊洲市場の隣にできた商業施設「豊洲千客万来」で、市場の新鮮な食材が楽しめる飲食店や、入浴施設などが入り、江戸時代の町並みをイメージしてつくられています。

オープンの前には記念式典が開かれ、東京都の小池知事は「場内と場外が一体となって一層のにぎわいが生まれることを楽しみにしている。臨海部の新しい顔として大いに発展してほしい」と述べました。

このあと、PR役のアンバサダーを務める歌舞伎俳優の中村獅童さんが「大勢の方にお越しいただき、食を楽しんで温泉で疲れを癒やして、歌舞伎座にも来ていただけたらうれしい」とあいさつしました。

そして、午前10時にオープンすると、待っていた人たちが次々と店舗に入り、早速、買い物や食事を楽しんでいました。

施設は当初、築地から移転したあとの市場の開場にあわせてオープンする計画でしたが、運営事業者の辞退や新型コロナの影響などで、予定より遅れてのオープンとなりました。

施設の運営会社によりますと、年間260万人の来場を見込んでいるということです。

都内各地で再開発が進む中、おしゃれな街として人気を集めてきた目黒区の「自由が丘」で、長年、懸案とされてきた駅前の再開発事業が来年度、本格化することになりました。

東京 目黒区の「自由が丘」は東急東横線大井町線の駅があり、周辺には個性的な店が建ち並ぶ人気の街です。

しかし、建物の老朽化などにより、再開発した都心の街と比べて相対的に存在感が低下してきたことへの危機感から、地元の商店主らが中心となり、来年度、駅前の再開発を本格化することになりました。

計画では住居や商業施設などが入る高さ60メートルほどのビルを建てるとしています。

さらに、大きな魅力となっている街歩きがしやすくなるよう、道路を拡幅したり、鉄道の立体化を検討したりするとしています。

事業の主体は商店主たちですが、目黒区は新築工事への補助や道路整備などの費用として合わせて34億8000万円余りを新年度予算案に計上する方針です。

目黒区は「都市間の競争は激しく、今後も皆さんに選ばれる自由が丘であるよう、行政としてもしっかり支援していきたい」としています。

再開発に 街の人は
「自由が丘」の再開発について駅前で聞きました。

隣の世田谷区在住の30代の女性は「古い建物だと段差もあって、ベビーカーだとちょっと困りますね。道も狭くて怖いなと思います。開発された二子玉川は子どもと一緒でも安心なので、そちらに行くことも多いです。再開発で、よりきれいな街になってほしいです」と話していました。

自由が丘在住の20代の男性は「ケーキの店が一時的に移転しているので、寂しい気持ちもありますが、完成したら戻ってきてくれると思って楽しみにしています。武蔵小杉や渋谷とは違う、自由が丘のよさを残しつつ、どんどんよくなることを期待します」と話していました。

生まれてから周辺に住んでいるという60代の女性は「ナチュラルでおしゃれ、肩ひじ張らないで過ごせるのが自由が丘の良さだと思うので、刺激ではなく、心地よさを追求してほしいです」と話していました。

◇周辺の街の再開発が計画進めるきっかけに
自由が丘駅前の再開発は10年以上前から議論が続けられてきました。

駅前で3代にわたって精米店を営んできた「自由が丘商店街振興組合」の原武理事長は「5、60年も前に建てられたビルがほとんどで、老朽化は私たちオーナーにとって、防災上、とても心配でした。この悩みはみんな一緒だということから、再開発計画を進めることになりました」と振り返ります。

また、二子玉川や武蔵小杉など、周辺の街が次々と再開発したことも計画を進めるきっかけになったといいます。

そのうえで、「歩道が狭くて歩きづらいとか、開かない踏切があるといった街の課題が少しでも早く解消できればと思います。商業的にちょっと元気がなくなってきた街を活性化させることで、自由が丘という名前がいつまでも皆さんに知れ渡るような街であってほしい。新しく変わっていくことが未来につながっていくという期待はあります」と話していました。

「住みたい街ランキング」かつては上位の常連も
「自由が丘」は住宅情報サイトが毎年、調査している「住みたい街ランキング」の首都圏版で、かつては上位の常連でした。

ところが、去年は24位にまで落ち込んでいます。地元の商店街や区議会などからも、都心や周辺の二子玉川や武蔵小杉などで大規模な再開発が行われたことで、相対的に存在感が低下しているという意見が出ています。

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