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天皇陛下は、17日に皇居で稲の種もみをまかれました。

皇居での稲作は、昭和天皇が農業の奨励のため始めたもので、天皇陛下上皇さまから受け継がれています。

グレーのジャンパーに紺色のズボン姿の天皇陛下は、午前11時半ごろ、皇居内にある苗代に出向かれました。

そして、苗代の前にしゃがんで、縄で仕切られた30センチ四方の区画ごとに、去年、皇居で収穫されたうるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」の種もみを、それぞれ180粒ずつまかれました。

種もみは、1週間ほどで発芽する見込みで、5月には、17日にまかれた種もみから育った苗を、天皇陛下が皇居の田んぼに植えられ、秋に収穫されるコメは、11月に皇居で行われる新嘗祭(にいなめさい)などで使われることになっています。

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#天皇家

生成AIの活用が広がるなか、特定の人物の考え方や声などを再現する技術開発が進んでいます。

日立製作所のグループ会社は、生成AIを活用して特定の著名人の考え方を再現し、さまざまな相談などに回答する技術を開発しました。

一般的な生成AIは大量の知識や情報を学習し、特定の立場や考え方には偏らない汎用的な回答を行いますが、この技術では、著名人の著書などのデータに特化して学習しています。

開発した会社の矢野和男CEOは「生成AIが悩みや相談にのれる可能性があるのではないか、そういう能力はふつうの生成AIにはなかった」と話していました。

NTTは、個人の口調や声などを効率的に再現する技術を開発しました。

生成AIに、個人のプロフィールやふだん使っていることばづかいなどを学習させることでその人特有の話し方を再現しています。

さらに、数秒程度の本人の音声データがあれば、声を合成できる技術も開発しました。

アバターと呼ばれるデジタル空間の分身などで活用したいとしています。

生成AIの開発は、大量のデータの学習を行う競争の構図となっていますが、特定の人物に特化する手法で新たなサービスにつなげようという動きも広がり始めています。

東京大学の研究グループは火山の噴火による堆積物に埋もれたイタリア南部の遺跡から、およそ2000年前のローマ時代の建物を発見したと発表しました。建物が使われていた年代や、個人用の浴場があったと考えられることなどから、研究グループはこの建物はローマ帝国の初代皇帝、アウグストゥスの別荘の可能性があるとしています。

東京大学の研究グループは、イタリア南部のカンパーニャ州にある活火山、ベスビオ山の北側にあるローマ時代の遺跡「ソンマ・ヴェスヴィアーナ」で2002年から発掘調査を続けていて、去年、西暦79年の噴火による堆積物の下から新たに大規模な建物の一部とみられる遺構を見つけました。

見つかったのは浴場に送る湯を沸かすための窯があったと見られる部屋です。

この部屋から採取した当時の木炭などから年代測定を行ったところ、西暦1世紀前半に集中していて、そのあとの時代のものはなかったことから、西暦1世紀前半以降、窯としては使われなくなったとみられるということです。

ローマ時代の歴史家の記述ではこの遺跡のある地域には西暦1世紀の前半にローマ帝国の初代皇帝、アウグストゥスの別荘があったとされていて、アウグストゥス自身は西暦14年にその別荘で死んだとされています。

今回見つかった建物には有力者の邸宅にある個人用の浴場が備えられていたと見られること、使われなくなった時期がアウグストゥスの死後と一致すること、のちの時代に建物の上に大型の神殿のようなものが再建されていることなどから研究グループはアウグストゥスの別荘の可能性があるとしています。

発掘開始時から取り組んできた研究グループの東京大学青柳正規名誉教授は「この地域ではローマ時代の大規模な別荘とみられるものはここ以外にみつかっていない。確実な証拠は今後の発掘を待ちたいが、現段階ではアウグストゥスの別荘である可能性はここが一番高いのではないか」と話しています。

今回の発掘調査 ベスビオ山の噴火被害について新たな発見
今回の発掘調査ではベスビオ山の噴火による被害についても新たな発見がありました。

火山学が専門で調査に長年参加している東京大学の藤井敏嗣名誉教授によりますと、西暦79年のベスビオ山の大規模な噴火では山の南側を中心に火山灰や「火砕サージ」と呼ばれる高温の爆風、火砕流などが押し寄せたことが過去の発掘調査で判明しています。

一方、北側のふもとでは、これまでベスビオ山の噴火の影響で建物が壊れるといった被害は見つかっておらず、山からおよそ5キロ北側のソンマ・ヴェスヴィアーナも5世紀と6世紀の噴火による火山灰などで埋まったとみられていました。

今回、調査チームはソンマ・ヴェスヴィアーナにある2世紀の遺跡の下から軽石に覆われたより古い時期の建物の一部を発見しました。

調査グループはこの建物がアウグストゥスの別荘の可能性があるとしていますが、この建物に積もった軽石の組成を分析した結果、ポンペイなどで見つかった軽石と同じものだったということです。

また、新たに見つかった建物の壁が倒れていたことや屋根瓦が原型をとどめず散らばっていたことから、西暦79年の噴火で発生した「火砕サージ」や火砕流が山の北側のふもとまで押し寄せ、建物を壊すほどの被害をもたらしていたとみられることが初めて分かりました。

堆積物の状態からまず軽石が数センチの厚さに積もり、その後「火砕サージ」とともに火山灰が10センチほど積もったあと、さらに土石流が到達し、高さ数メートルにもわたって建物を覆ったとみられるということです。

藤井名誉教授は「これまで、ソンマ・ヴェスヴィアーナでは西暦79年の噴火の影響があったとしても火山灰が数センチ程度積もるほどだと考えられていた。今回の調査で当時の噴火の影響がより大きかったことを示すことができた。日本にはなじみは薄いが、『火砕サージ』の恐ろしさも理解してほしい」と話しています。

ベスビオ山周辺の遺跡の全容把握できず 発掘調査続く
南イタリアの活火山、ベスビオ山で西暦79年に起きた大規模な噴火では、噴煙が数万メートルに達したとされ、山の南側の都市を中心に甚大な被害が出ました。

このうち最も有名なのは南におよそ10キロ離れたポンペイです。

数ミリから数センチ程度の軽石が大量に降り、そのあと火山ガスを含むおよそ数百度もの高温の爆風「火砕サージ」が押し寄せて多くの人が犠牲となりました。

火山灰が高さ数メートルにわたって積もり当時のままの姿が残されました。

街には神殿や浴場、居酒屋といった建物のほか、水道などが整備され、彩色豊かな壁画や炭化したパンがローマ社会の暮らしを今に伝えています。

一方、火口から西におよそ5キロのエルコラーノではポンペイよりもさらに高温の火砕流が街を襲い、人々の命を一瞬で奪いました。

これらの被害の多くは主にベスビオ山の南側を中心に広がっていることが知られていますが、今回の調査で山の北側の都市でも火砕流などによって建物が破壊されたり埋まったりしていたことが新たに分かりました。

ベスビオ山周辺の遺跡の全容はまだ把握できておらず、ポンペイやソンマ・ヴェスヴィアーナでは今でも発掘調査が続けられています。