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「都内霞が関ビルの34階にある旧華族の親睦団体『霞会館』で4月13日、島津家の私的な会合が催されました。当日は上皇ご夫妻や秋篠宮ご夫妻もお忍びで出席されたのですが、その場に佳子さまも同行されたのです」

 とは、皇室ジャーナリスト。島津家は鎌倉時代に発祥し、代々薩摩の地を領有、明治になると公爵に叙せられた名門華族であり、さっそく“お見合い”“婚活”などと報じられたのだった。

「この会合は『錦江会』と呼ばれるもので、コロナ禍前までは定期的に催されてきました。島津家は皇室とも縁が深く、昭和天皇の后である香淳皇后の母親は本家の第29代当主・忠義の娘にあたります。また上皇さまの妹である貴子さんは、分家の佐土原島津家に連なる久永氏と1960年に結婚しています」(同)

 とのことで、

上皇さまや美智子さまのご臨席はこれまでも度々ありましたが、佳子さまは初めてのお出まし。主催者である島津家の側から『よろしければいかがでしょうか』と、皇室に願い出がなされたと聞きました」(当日の出席者)

 が、一方で、さる宮内庁関係者はこう明かすのだ。

「実は、上皇后さまのたっての思し召しもあり、佳子さまのご参加が実現をみたというのです」

 この関係者が続けて、

「佳子さまは、ご成年の前から一貫して『皇室から出ていきたい』と、強い願望を抱いてこられました。そのお気持ちは、姉の眞子さんが小室圭さんとの結婚で世間からバッシングを受けたことでいっそう高まり、さらには姉に寄り添おうとなさらないご両親への反発と相まってピークに達しました」

 眞子さんに倣(なら)って“30歳までに脱出”を模索される佳子さま。それでも最近は、姉の結婚を客観的に捉えておられるご様子だといい、

「佳子さまは大学を卒業された際の文書回答で『姉の一個人としての希望がかなう形に』と、眞子さんの結婚にエールを送られていました。ですが、皇室の正式な儀式を経ずに出ていったことで、眞子さんは陛下のお心まで煩わせてしまった。いまだに国民から批判的な目で見られている姉の結婚をご覧になるにつけ、ご自身の思いは貫くとしても、“せめて世間からは認められる結婚にしなければ”といったお考えが、佳子さまには少しずつ芽生え始めておられるように拝察いたします」(同)

 そんな中での「錦江会」ご出席だったわけだが、

「思案に暮れる佳子さまのお姿を案じられた上皇后さまが『世の中にはこういう選択肢もあるのですよ』と、状況を冷静にご覧になるよう手を差し伸べられたのだといわれています」(同)

 もとより上皇后さまは、

「初孫である眞子さんの内親王としての仕事ぶりを絶賛されており、さらなる飛躍を期待なさっていました。それが一転、あのように不本意極まりない形で皇室離脱を余儀なくされたことで、大いに落胆なさっていた。上皇后さまは、佳子さまには絶対に同じ轍を踏んでほしくないと強く願われているのです」(同)

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