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「キネカ大森」

カツサンド

夕食は鮎の塩焼き、野菜の天ぷら、味噌汁、豆ごはん。

丹羽宇一郎

私が育ったのは名古屋市西南部の町。祖父は我が家で本屋を営んでいました。この町で六つの小学校の全教科書を取り扱う、地域で唯一の本屋です。

私は幼い頃から、店の書棚に並んでいる本から興味ある一冊を抜き取っては、読みふけっていました。売り物なので汚さないよう気をつけながら読み、読み終えると元に戻してまた次の本を抜き取る、という繰り返しです。子供向けの伝記や文学全集から、『夫婦生活』といった大人専用の雑誌まで密かに盗み読みしていました。

父は、名古屋市の中心街に事務所をもち、通信機器の卸業をやっていました。

通信機器のいくつかの部品を他社に委託して製造してもらい、それを組み合わせて商品にして、日本電信電話公社(現・NTT)に納める仕事でした。

そういう仕事をしていたため、父は電機メーカーなど何社かの株に投資し、毎朝、自宅を出て事務所へ行く前に必ず証券取引所に立ち寄り、株価をチェックしていました。

中学二年のとき、父は私に「こうやって株価をグラフにしてくれ」と言い、そのやり方を教えてくれました。新聞の株式欄の数字を毎日チェックして、父が投資している株価の上がり下がりを示す罫線をつくり、週に一回、それらをまとめて一つのグラフにするよう言いつけられたのです。

父が私に頼んだのは、いつも本ばかり読んでいて兄より暇そうに見えたからでしょう。弟や妹たちは、まだ外で走りまわって遊んでいるような歳でした。

この作業を続けるうちに私は、なぜ株価が上がったり下がったりするのか、その背景に興味をもち、株の値動きに影響する企業動向や政治・経済のマクロな動きを報じる新聞記事の見出しを、ノートにメモするようになりました。

父のおかげで新聞をよく読むようになり、経済にも関心がでてきたわけです。その結果、通っていた中学の先生も知らないようなことまで知るようになりました。

高校に入るまでの約二年間、それらの作業を続けました。

のちに伊藤忠に入社して、この経験が血肉となり身体にしみこんでいたと感じました。

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#食事#おやつ