https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

https://lh3.googleusercontent.com/tcyQR88-x_PW_WOWOpPomaLZAkWRv8SAhvgYJeZ0iXpVsNXH6QOCls_fjgchPOCR2d84C1vPDUYEvo0=w1920-h1080

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今村麻莉愛のトーク | 755

幽体離脱ができるもんなら、フレコンにいきたい(T_T)💦 あ、でも券がないと入れないやん👻👻👻👻

まりあも最近、自由自在に透明人間になれる能力ないかななんて、授業中に思ったりしてる笑笑

坂本愛玲菜(HKT48)のトーク | 755

#えれたす
✏︎『昨日より今日、今日より明日。前回より今回、今回より次回。』
https://plus.google.com/113611364612257749997/posts/N8oerhuMwUF?iem=4&gpawv=1&hl=ja-JP

https://stat.7gogo.jp/appimg_images/20170828/21/2e/yf/j/o19201440p.jpg

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916638

上智福岡中学校・高等学校 - Wikipedia

Magis - 今の自分に満足せず、常により高い自己の発展を求めよ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916637
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916640
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141030#1414665479

【石川さゆり特別公演】に坂口理子の出演が決定! | ニュース | HKT48 OFFICIAL WEB SITE

【朗報】HKT48坂口理子、関西弁の芝居に挑戦 『石川さゆり特別公演』出演へ 【HKT48】 : HKTまとめもん【HKT48のまとめ】

公演とかでエセ関西弁を使いまくってたのが見つかったのかなーw

https://pbs.twimg.com/media/DIWzK9OUEAEJey4.jpg


松井のために用意されたものだからな…
みんないい迷惑だよ

キャバすけ
恋工場
プロレス


全部失敗
ヲタもメンバーも誰も歓迎してないという異常事態

やすすが王道プロデュースに飽きて
奇をてらった博打しかしなくなったのが痛い


神志那さんは自分で滑り台作って勢い良く滑ってた気がする

しゃべらなくても持つ人はなかなかいないのに、ボケて自滅してる。

神志那結衣(HKT48)のトーク | 755

皆さんおはようございます!
showroom配信の準備をしていましたが、今朝は配信を辞めておきます。
すみません。


全国の皆さん気をつけて下さい😣

さすがの判断ですね

大人の判断💡

賢明な判断だと思います。
同意します!!

福沢諭吉、戦火でも講義 - 「明治」という国家

福沢諭吉と上野戦争: ケペル先生のブログ

CiNii 論文 -  東洋式人間学について : ある東洋思想家の思想から考える

 人の問題は必然的に教育関係と結びつかざるを得ない。雑駁な知識をつめ込まれた人が企業で信頼を受け、力を発揮できるだろうか。現代風の系統的な学校教育を受けていない明治の元老や軍人達は、いずれも人物に風格があり、国の運営を誤らなかったのに対し、昭和の政治家や軍人は帝国大学や陸軍大学を出、先進国への留学ないし駐在をした人々で、知識の量は大きかったが国の運営を誤った。人物も倭小だった。少年期より国語、数学、理科、外国語とつめ込まれ、青年期には専門知識の海の中を泳いだのが彼等だ。わずか40年間で、外国人から「明治期の人物と昭和前期の人物は同じ民族、同じ人種とは思えない」といわれるほど、国の指導者層が劣悪化した原因の一つは教育方法にあると考えざるを得ない。

 私が安岡に関心を持つのは、①彼がいわゆる財界主流といわれる系列の人々に深い影響を与えたことであり、②彼の説くところが、現代の大学教育に欠けていると思われる点の反省資料になるのではないか、と思うからである。

 東洋では古来、学問とは次のようなことだとされてきた。
 「それ、学は通の為には非ざるなり。窮して困しまず、憂へて意衰へざるが為なり。禍福終始を知りて惑はざるが為なり」筍子。通とは、立身出世いうほどの意味である。
 日本でも明治以前は人格の培養と錬成が学問の目的であった。
 明治以降、日本では高等教育機関は、分析的、分業的、専門的知識の伝習の場となった。
 専門化、末梢化すればする程、それは人間としてのあるべき姿の根本から遠いものとなる恐れがある。分析的、概説的知識のみでは薄っぺらな人間味のない技術者や知識人を作ってしまう。

 「学問、知識などというものは、単なる論理的概念に止っている間は駄目でありまして、これを肉体化する、身につけることが大事であります。
いわゆる体現、体得であります…。浅薄、雑駁な知識、技術の学問であってはならぬ、体現、体得を重んじた知行合一の学問でなくてはならぬ」
 「論理や概念の遊戯からは人間はできない」
 「本当の学問をやった人一いわゆる悟道し、道を修めた哲人は骨の髄まで学問になっている。これに対して西洋の思想家、学者は知識や教養は豊かで洗練されていても、人物が本当に磨かれて、学問と同じように人間が出来ている人は非常に少ない」

 卒業にあたっては法学部長の上杉慎吉教授より、自分の講座の跡を継ぐよう奨められた。安岡は「学究の道よりも、実践によって人を育てるのが私に与えられた使命」だとして丁重に断っている。
 また、当時の宮内大臣牧野伸顕大久保利通の第二子。吉田茂元首相の岳父)の知遇を得、摂政宮(後の昭和天皇)の御教育掛の話もあった。この話は、東宮女官長島津春子(島津斉彬の孫娘)の「明治の御世のように、薩摩や長州といった後楯がなければ、今の宮中では何もできない、お断りなさいませ」という助言に従っている。

 財界の長老といわれた、郷誠之助(三菱)、小倉正恒(住友)、結城豊太郎(安田)、団琢磨(三井)、池田成彬(三井)、馬場鋲一(大蔵大臣)、中島久万吉(日本工業倶楽部理事長)らが30代の半ばの安岡を囲む会を持った。新聞で、白面痩身の昭和の由比正雪と書かれた。
 由比正雪といえば、東洋哲学史研究の先覚者であり、東大時代安岡の師でもあった井上哲次郎が安岡を、「私の見る第一人者はかの青年(安岡)である。唯、社会時流遂に救い難きにいたっては、彼は現代の由比正雪になるかも知れんと思い、時流がそこまで堕ちないようにと祈っている。勿論、彼は成果の見られない慶安の変のような愚挙はやらないだろうが」とある会合で語っている。
 安岡は当時、影響力の大きかった北一輝大川周明といった人物から一高時代より知遇を得ていた。ちなみに、北一輝夫人は、「安岡さんはお父さん(北一輝)の若い頃にそっくりだ」といったという。
 この頃安岡に会った今村均陸軍大佐(後大将)は次のように書いている。
 「物々しい風采の人かと想像していたところ、銘仙のかすりの着物に黒い袴をつけ、頭は軍人のような丸刈り。顔はいくらか青白いが、めがねを通して見る眼の光はいかにもしっかりしていていながら、やさしい光を帯び、まずは書生っぽ、という容姿。」

 大平は、「安岡先生と話していると心が洗われる気持がします。確信が湧いて心が決まるのです」とも、「大学時代には田辺元教授の哲学に没頭し、世に出てからは安岡先生の書を読んで、自分という人間ができたように思います」とも語っている。

 岸と安岡は対照的存在ともいえた。年令は2歳岸が上である。ともに政治家を目指して一高に入り東大を卒業した。秀才の多い両校の中でも二人は特別の存在であった。岸が明治維新の原動力となった長州出身で、維新時に活躍した曾祖父佐藤信寛を深く尊敬していたのに対し、安岡は楠木正行の戦死した古戦場四条畷の地で中学時代を過し、楠木正行とともに討ち死にした堀田正泰が遠祖であることを誇りにしていた。後述するように安岡の生家は堀田家で一高時代に安岡家の養嗣子となっている。
 両者は共に東大法学部の上杉慎吉門下で、二人とも卒業時には助手として学校に残ることを上杉から奨められている。

 岸の「統制と秩序」の考えは国家経済統制への道となったのに対し、安岡の理想は、国家の選良の人格陶冶と見識の養成による政治であり、そのための選良の育成であった。
 古今の聖賢に学び、着実に人物を作ってゆく、という考えである。

 安岡は生涯、実行・遂行責任者、言葉を替えればラインの長になることはなかった。文部省は入省6ケ月で辞めた。文部大臣就任への要請が何度もあったが断わった。摂政宮の御教育掛も断わっている。戦前の金鶏学院、日本農士学校、国維会、といった所でも院長、校長、代表、理事長、幹事といった前面に立つ役職にはつかず、顧問等の肩書きで背後に控えた。そうして精神的指導者の立場をとり、機関誌で盛んに自分の目的や理想を発表した。
 恩師の奨めにもかかわらず、大学教授への道も断った。ある組織に縛られることを嫌ったのである。学問を好んだが、学問の世界に閉じこもることはできなかった。

 一学問はしているつもりだ。殊に和漢先哲の学については、随分勉強している。でも世間でいういわゆる学者にはどうしてもなりたくない。少なくとも学問で飯を食っている人間とは断じて違う。

 安岡の学問や思想は幼少の頃に形づくられている。幼少の頃と中学時代に受けた影響は、彼の一高や東大時代よりもずっと大きい。一高や東大での教授連には落胆し、専ら図書館と下宿での勉強に明け暮れた。

 高校(旧制一高)や大学(東京帝大)では洋行帰りの新進教授が講壇に立っていた。講義を聞くと確かに時代感覚があり魅力もある。しかし、どうすることもできぬ不満、疑惑を感じる。重量感がない、気障というか、ちょこまかの感がまぬがれぬ。かえって中学時代に接した、頑固な人、時代遅れと思っていた先生に、どこか真実に迫るもの、人間としての重量感、品位といったものを感じた。
 それは明治20年代の中期から大正期にかけて東大で哲学を講じたフォン・ ケーベル博士の感想と不思議なほど一致している。ケーベル博士とは、夏目漱石が「文科大学へ行って、此処で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人迄は、数ある日本の教授の名前を口にする前に、まづフォン・ケーベルと答へるだらう」と書いた人だ。
 ケーベルは、颯爽たる西洋帰りの日本人教授の西洋の学問の講義を片腹痛く思って、「この声高き、自負する、外に向える、忽忙なる、品位なき、欺瞞的なる、群衆の間および国外において認められ人として媚を呈する日本人」と酷評した。彼等は「自惚」と「欺瞞」の見本であった。
 しかし、一方でケーベルは旧藩時代に教育を受けた大学総長の浜尾新、漢学の根本通明、古代日本文学を講じていた物集高見の三人に対しては、「単純な、謙虚な、落着きのある、物静かな、思慮ある、高貴な性質」を見出した。浜尾以外はドイツ語はもちろん、英語も解せないからケーベルはこの二人と会話はできなかった。しかし、「これらの老紳士を見、また彼等の近くにあることは、私にきわめて愉快であった。けだし、それは本物の人間に接している、即ち誠実なる、高雅なる、立派に仕上のできた、健全なる人格にしてまたその本職に堪能なる士一教養ある、彼等一流の教育を受けたる、否、学問ある、そうしてあらゆる虚飾や、あらゆる自負を超脱させる………に接しているという感じがしたからである」)。

 一高や東大の洋行帰りの先生方は、西洋の法学や政治学の上っ面の知識を効率よく習ってきた人であった。安岡が幼少時より学んだ東洋の学問や禅の生き方は、あくまで「我いかに生くべきか」が中心であり、雑多な知識を学ぶことではない。

 東洋哲学の特色は、理屈で考えたり、理屈で答えない。体で考えて体で自得する。これを鍛え抜いて生かしたのが禅である。インスタント知識ではだめだ、というのである。
 白隠禅師は若い頃、信州飯山の正受老人に、「お前の議論はみな本を読んで知ったものばかりだ。そんなものは何の値打ちもない。お前の本当に自得した見性一自分の本性、本質を点検したところのものは何か。お前の本当のものを出せ」と一喝されている。

 安岡は次のようにもいう。
 「生活上の問題に一喜一憂し易く、特にすぐ悲観したり、興奮しやすい、というのは病的で事を成すに足りない。こういう人は環境に支配される力が強いのであるから、自己の主体性がない。自身の中に豊かな大和的内容がない」。
 「感情を害し易いということは徳を喪い易いということで、春のない荒涼たる人生となる」。
 「少々才能があっても、すぐへこたれたり、自分のことだけを大切に考えるような人間には長続きする大きな仕事はできない。仕事ができなければ人生を喜び楽しむことはできない。人生を楽しむためには、人間ができなければならない。このためには人間の在るべき姿を求め、その目標に向って修養・努力しなければならない」。

日本占領軍最高司令官だったマッカーサーは当時の吉田茂首相に次のようにいったという。「自分は青年士官時代観戦武官として日露戦争に従軍し、大山、児玉、乃木といった将軍に接した。彼等はいずれも人物に風格があった。40年後再び自分は日本の将軍と会う機会を持つこととなった。しかし、明治の将軍と比べ同じ民族、同じ人種とは思えなかった。一体どういうことだ」(前述の参考文献のところの3)参照)明治の将軍が学んだ学問と昭和の将軍が学んだ学問の差としか考えようがないのである。

 理解力、記憶力、判断力、推理力によって得られる機械的知識から、経験と思索反省を重ねた、体験の中からにじみ出る、直観的、人格的智慧にならねばならない。ドイツ流にいうと、Arbeitswissen(労働知)からBildungswissen(形成知)へ、更にErloezungswissen(解脱知)ないしHeilswissen(聖知)に到らねばならない。また、物を観察したり、記述したりするところの論理的、概念的な頭の働きによって得られるものは「聞見の知」であり、これでは物の皮相しか知ることができない。
 これが進んで、単なる事理よりも、もっと深い具体的把握、すなわち深い智的直観に到らねばならない。

 「人間はもう3、4歳から霊性に目ざめて、20前後まで本質的に変化する。それからはあまり進歩しない。それから先は鍛錬陶冶が加わるが、本質的変化はあまりない。大体人間の型が決ってしまう。だから20歳くらいまでは専ら人間の根本に関する学問と知性の基本的陶冶をさせるべき時である。いろいろ枝葉を延ばしたり、或いは鍛錬を加えるということは後でもできる。とにかくそれまでに人間の徳性を延ばせるだけ延ばしておく。
これは教育の原理であり、秘訣である。だからその間にあまり知識、技芸の枝葉末節なものを沢山与えたり、徒らに抽象的な教育、或いは無暗に感傷的な教育をするということはよくない」
 江戸時代の武士の教育がこれであったともいう。武士の世界では人間を練る武道と聖賢の学問以外はやらさない。だから、17、8歳で堂々たる国士的風格ができる。
 感傷的教育云々が出たが、安岡は感情の振幅が大きいことや、すぐ悲観的になること、といった精神的もろさの不可と、精神のぶ厚さを作ることの重要性を常に説いている。
 また、人間の附属的要素にしかすぎぬ、知識教育に関して、知識を雑駁に詰め込むことの不可を説く。英語、歴史、算術、理科と先生が入れ替り、立ち替って、薄っぺらなことをいいかげんにつぎ込む、近代の学校、学問の一番悪いところは、この雑駁にある、とする。雑学をやり雑駁な勉強をすればせっかくの人間の知能、頭脳から心情まで破壊してしまう。
 荻生徂徠は父の上総での調居時代、14歳から25歳までの11年間、「大学諺理」という一冊の本のみ耽読したことを安岡は雑駁な読書と対比して書いている。
 知識に関しては、「独身時代や学生時代というものは、とにかく知識だとか理解に興味を持つが、そういうものは突きつめていうと別に大したことではない、そういうものは現実には何の力にもならぬ」
 安岡は繰り返していう。「知能」や「技能」はあくまでも第二義的なものである。「徳」が本幹であって、「知能」や「技能」は枝葉であり、付属的なものである。

 また、知というものは、細分化し、専門化し、末梢化していくにつれ、生命の本源から遠ざかる。末梢化すれば常に、根源的なもの、本来のものに還らなければならぬ。
 理論、理屈というものに関しても、これは何か為にするところがあればいくらでも見立てることができる。昔から、「口は調法」、「かれも一理、これも一理」、「泥棒にも三分の理」などといわれてきた。要するに理論は平行線であって、どこまで行ってもそれだけでは片付かない。いわんや人間生活に関する思想とか評論というようなものになると正に彼も一理、これも一理でなかなか結着するものではない。胸に一物があると理論、理屈というものはどうでもくっつけることができるものだ。

 「国家(間)の最も明確な相違は、人材(エリート)の差に外ならない。
人材は徳を体とし、才を用とする。……いかにして聖人、君子、即ち人材を養うかが教学であり、この人材を知り、これを用い、これに任すのが政治である。衆人を導いて道徳文明に高めてゆくのが政治の使命である。政は正であり、政治は政教である」
 「賢者が隠れているということは換言すれば、指導者がいないということでありますから、必ず国民生活が乱脈になる。近代イタリー建設の傑人マディニが、巧みに道破いたしておりますように、政治は元来、
Progress of all, through all, under the leading of the best and wisest
でなければならぬ。誠に名言です」

安岡は人格や道徳によらない、制度による福祉に疑問を投げかけ、「福祉国家は全部だめ。スエーデンもイギリスも」といっている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170827#1503830385
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170817#1502966124
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170805#1501929446


戦争体験を持つ司馬さんは、「なぜ日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問から、その原因を歴史のなかに探りました。

 たとえば一般的な小説では、主人公の性格が明るいか暗いかとはっきり書くより、明るい面もあれば暗い面もあるというように、人間の抱える矛盾を描くことが重要視されます。しかし、司馬さんの場合は、信長という人物の内面を描くより、信長という存在が与えた社会的影響を明らかにするほうが大事でした。

司馬さん自身が、敵味方の戦力の差や軍艦の性能を比較して論じるのではなく、「精神力で突撃せよ」という非合理的な精神論で戦車に乗せられ、九死に一生を得たわけです。


であればこそ、即物合理主義を訴える必要と、それを重んじる哲学を抱くに至ったのです。その体現者として、司馬さんは大村益次郎に出会いました。
 非合理的な組織と化した日本陸軍をつくった非常に合理的な人物との邂逅−−それが『花神』という傑作を生み出した原動力だと私は思います。

#司馬史観#合理主義#科学主義

https://pbs.twimg.com/media/DIXsv_LUIAEswj0.jpg

秋吉優花 (HKT48) あきよしゆかのトーク | 755

今家族で旅行に来てるんだけど、旅行先で優花ちゃん見かけたよ^_^

ええええええええ???!!
声かけてよ!笑笑
逆に恥ずかしい笑

秋吉優花 (HKT48) あきよしゆかのトーク | 755

声かけようかな?って思ったけど、優花ちゃんせっかくのオフやけん‼︎ あれかなって… それに始めての生優花ちゃんで…どう声かけようかわからなかったけん… もしまた見かけたら声かけるね。

優男すぎて涙が出そうです。

https://instagram.foko1-1.fna.fbcdn.net/t51.2885-15/e35/21149526_1912180142374793_3541073636448272384_n.jpg

#スマホ財布ショルダー

後藤萌咲(AKB48)トーク | 755

SHOWROOM
ありがとうございました!!!

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〈ある時ハッと気がついたら松ちゃんが別人に変わっていました。金髪で筋肉ムキムキのマッチョマンになっていました。あれぇ、何かおかしいなぁ、見かけも変わったけど考え方も人柄も変わってしまったのではないだろうか〉


 後輩芸人たちからも「松本さん、昔言うてはったことと反対のことばっかりしてはるんですけど」という話も聞くようになったという。田中氏は続けてこのように綴っている。


〈確かに松ちゃんは昔から「芸人が体を鍛えてどないするねん」とか「映画は撮らない」とか「できちゃった婚はしない」とかいろんなことを言っていましたが、今は全部その反対です。〉


 ただ田中氏自身は、松本がたったひとつ「お笑いへの決意」さえ捨てなければ、体を鍛えても、映画を撮っても、家族をもっても、それでも別にかまわないと思っていたという。しかし、そのたったひとつのことも失われてしまう。


〈それが、それが、今は何がどうなっているのですか?『ワイドナショー』って何ですかそれ。「コメンテーター」って何のつもりですか。いったい何事が起こったのですか。天才のやることとはどうしても思えない〉

〈誰かが不正アクセスをして「松本人志」を乗っ取った。そして「松本人志」になりすまして好き勝手なことをしている。彼の莫大な数の信者に日々、悪巧みを刷り込んでいる。そして不正アクセスをして「松本人志」を乗っ取ったヤツは「あべちゃん菌」に感染したヤツに違いない〉

#お笑い


北朝鮮のミサイル発射についてはJアラートで緊急情報が伝えられましたが、ネット上では「格安SIMなのでJアラートなりませんでした」「うちのは非対応だった」といった投稿が相次ぎました。


総務省によりますと、Jアラートで発信した緊急情報は自治体の防災行政無線や登録制のメールなどのほか、大手携帯電話会社によるエリアメールや緊急速報メールでスマートフォンや携帯電話に自動的に配信される仕組みになっています。


しかし、割安な料金でサービスを提供している格安スマホなど、一部の機種については緊急情報を受信できない場合があるということです。


楽天によりますと、楽天モバイルが販売する18のスマートフォンの端末はいずれもJアラートは受信できないということです。
楽天では「Jアラートを受信できるために、防災情報のアプリをインストールしてほしい」と呼びかけているほか、総務省もJアラートの情報を受信できる専用アプリの活用や、自治体のメールサービスに登録するなど対応してほしいと呼びかけています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916638

ブルボンの封印 (宝塚歌劇) - Wikipedia

この作品は藤本ひとみの同名小説を原作とするが、原作者の承諾を得て物語の内容、および登場人物の設定を変えて上演された。雪組トップスターだった一路真輝が主人公ジェームズとフランス国王ルイ14世の二役を演じた。

ブルボンの封印 上 / 藤本ひとみ【著】 <電子版> - 紀伊國屋書店ウェブストア

ブルボンの封印 上 (集英社文庫) | 藤本ひとみ | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916640(デュマの『ダルタニャン物語』では、イエズス会の管区長となるためには、世界を揺るがすほどの秘密を持っていなければならないとされ、フランス王ルイ14世に瓜二つの双子の弟がいるという重大な秘密を握っていた三銃士のひとりアラミスが管区長となる。管区長アラミスは、その秘密を用いてフランス王を双子の弟と取り換え、自らの傀儡にしようとするのである。)

アウグスティヌス - Wikipedia

キリスト教に回心する前は、一時期(373年-382年)、善悪二元論マニ教を信奉していたが、キケロの『ホルテンシウス』を読み哲学に関心をもち、マニ教と距離をおくようになる。その後ネオプラトニズム(新プラトン主義)を知り、ますますマニ教に幻滅を感じた。

神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。

アウグスティヌスにあっては、絶対的で永遠なる「神の国」が歴史的に超越しているのに対して、「地の国」とその政治秩序はあくまで時間的で、非本質的な限定的なものに過ぎない。したがって政治秩序は相対化されるのであるが、アウグスティヌスがいわゆるニヒリズムや政治的相対主義に陥らないのは、政治秩序の彼岸に絶対的な神の摂理が存在し、現実世界に共通善を実現するための視座がそこに存在するからである。だからこそ基本的に「神の国」とは異質な「地の国」の混入した「現実の」教会は、それでもなお魂の救済を司る霊的権威として、「地の国」において「神の国」を代表するのである。

アウグスティヌスは、国家を卑しい存在とし、堕落した人間の支配欲に基づくもので、その存在理由はあくまで神の摂理への奉仕で、それはカトリック教会への従属によって得られる。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも影響を与えた。

アウグスティヌスによれば、人間の自由意志はいわば悪の分銅によって傾けられた天秤のようなもので、悪へと向かう深刻な偏りが存するのである。

アウグスティヌスの思想的影響は西欧のキリスト教西方教会)にとどまらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではない。


アウグスティヌス自身はプラトン・新プラトン主義(プロティノスなど)・ストア思想(ことにキケロ)に影響を受けていた。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいたが、アウグスティヌスにおいて新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要な業績である。またラテン教父の間にあったストア派ことにそれとともにマニ教のでもある禁欲主義への共感を促進したことも、キリスト教倫理思想への影響が大きい。


アウグスティヌスの思想として特に後世に大きな影響を与えたのは人間の意志あるいは自由意志に関するものである。

近代に入ってアウグスティヌス思想から影響を受けた神学者の代表として、ジャン・カルヴァンコルネリウスヤンセンをあげることができる。カルヴァン宗教改革運動の指導者の一人としてあまりに有名だが、ヤンセンはあくまでカトリック教会内にとどまった。しかし、ヤンセンの影響はジャンセニスムとしてカトリック教会内に大論争を巻き起こすことになる。ほかにもアウグスティヌスの時間意識(神は「永遠の現在」の中にあり、時間というのは被造物世界に固有のものであるというもの)も西洋思想の一部となったし、義戦(正戦論)という問題も扱っている。

アウグスティヌスカトリック教会において「最大の教師」とも呼ばれ重要視される。ただし原罪と人間性の脆さ・弱さに関する教理、および恩寵の必須であることを巡っては、しばしば極端に走ったとも指摘される。ルター、ツヴィングリ、カルヴァンなどにより、アウグスティヌスに残存していた誤謬が、誤って利用されたとすらカトリック教会では理解され、アウグスティヌスの論説を全的堕落論の基礎の一つとして扱うルター派カルヴァン派といったプロテスタントとは、アウグスティヌスに対する捉え方に態様の違い・温度差がある。

全的堕落 - Wikipedia

すべての人間が罪によって全的に堕落しているという聖書の教理の前提であり、プロテスタント、特にカルヴァン主義神学の根幹となる教理である。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916638
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170828#1503916640

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170702#1498991654
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170630#1498819142


ちなみに、この講座と並行して、自作のオリジナル論証集を作っていました。基本的には工藤講師の論証を書き写し、多少表現を変えたりするぐらいなのですが、一つ工夫を加えていて、キーワードを赤字にしておいて、赤シートで隠して暗記できるようにしていました。大学受験でおなじみの古典的方法ですが、これが意外と効きました。


また、この論証集は、単に論証を覚えるためのものではなく、以下のとおり問題を解く過程で出てきた論点や気づいた点を論証化したり欄外にメモしたりすることで、知識の一元化を図る教材にもなっていきました。
実際、本試験の直前に見直したのは、このオリジナル論証集でした。

なお、私は、答練の他に、自主ゼミで公法系・民事系・刑事系の過去問を書くゼミを各法系週1(すなわち、3法系で週3)でやっていましたので、これを加えると、最大で週に11通書いていたことになります。加えて、学者系演習書なんかも答案構成レベルですが解いていましたので、正直、受験生として問題を解いた数は今でも日本で1位か2位だと思っています(他方、読んだ基本書の数(1.25冊)では圧倒的最下位です)。それだけ解いてもまだ上に3人もいるので、天才は凄いなあと思います。

以上長々と書き連ねてきましたが、まとめると、①3倍速インプット講座(現総合講義100)で基本的知識をインプットし、②論文インプット完成講座(現重要問題習得講座)で典型論点の処理の仕方を学び、③オリジナル論証集で論証を暗記し、④答練・ゼミ・模試を通じて答案の書き方を身に付けていったということになります。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170827#1503830385
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170827#1503830387

#勉強法


政府は文部科学省天下り問題を受けて、すべての府省庁を対象に調査を行った結果、職員による再就職のあっせんなど違法性が疑われる事案が27件見つかり、天下りをチェックする政府の第三者機関「再就職等監視委員会」で調査が続けられています。
こうした中、政府は再発防止に向け、国家公務員の幹部人事などを管理する内閣人事局などの体制を強化する方針を固めました。具体的には内閣人事局に再就職先などを専門的に調査する担当部署を新たに設置し、外部の弁護士を含め15人程度を配置するほか、「再就職等監視委員会」のもとに置かれている常勤の監察官を現在の1人から2人に増やすことにしていて、政府は29日の閣議で、関係する政令の改正を決定することにしています。
さらに政府は管理職を経験した国家公務員が退職後2年以内に再就職する際に届け出を義務づける事項について、再就職先などに加え、再就職先のあっせんに関わったOBなども新たに加える方向で検討を進めています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170824#1503571100

#政界再編#二大政党制

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170817#1502966124


アメリカでは、3年前、中西部ミズーリ州で白人の警察官が黒人の少年を射殺した事件に抗議するデモが起き、警察が装甲車などを投入して鎮圧を図ったことに対して「過剰な装備だ」として批判が高まりました。


これを受けて、おととし、当時のオバマ大統領は、それまで一般的だった、軍が使用していた装備を警察に供与できる政策を見直し、装甲車や大口径の銃などの重装備については供与を禁止する政策を発表しました。


しかし、トランプ政権のセッションズ司法長官は、28日、テネシー州で警察官を前に演説し、前政権の政策は「行きすぎだ」と非難したうえで、警察官の命を守るとともにテロ事件などに対応するため、警察は軍が使用していた装備を必要としていると主張しました。


そして、警察がアメリカ軍から装甲車などの重装備を取得できるよう、トランプ大統領大統領令に署名して、前政権の政策を覆すと発表しました。


これについて、警察は歓迎する一方で、人権団体は警察の強権化が進み、抗議デモによる表現の自由などが脅かされるおそれがあると懸念する声明を発表しました。

#ロン・ポール


国連のグテーレス事務総長は28日、就任以来初めてイスラエルを訪問し、ネタニヤフ首相と会談して内戦が続くシリア情勢について協議しました。


イスラエルと国境を接するシリア南西部では先月から停戦が発効し、大規模な戦闘は収まっているものの、イスラエルはこの地域で敵対するイランが勢力を拡大しているとして警戒を強めています。


会談でネタニヤフ首相は「イランはシリア国内に精密誘導システムを導入した最新型のミサイルを生産する施設も建設している」と述べ、イスラエルの安全が脅かされていると訴えました。


これに対しグテーレス事務総長は「イスラエルの懸念を理解し、イスラエルを攻撃しようとする考えには断固反対していく」と述べ、国連としても事態を注視する姿勢を示しました。


イスラエルはこれまでイランの支援を受けたレバノンシーア派組織と軍事衝突を繰り返してきましたが、イランがシリア国内にも勢力を広げればイスラエルとイランが国境越しに直接対じすることになり、軍事的な緊張が一段と高まる事態も予想されます。


  内閣府が24日に発表した6月の景気動向指数(改定値)では、景気の現状を示す一致指数は前月比1.3ポイント上昇し117.1となった。景気の基調判断は、拡大局面にある可能性が高いことを示す「改善している」に据え置いた。第2次安倍晋三内閣が発足した2012年12月から始まる今回の景気拡大局面は55カ月となった。


  景気拡大が9月まで継続すれば、いざなぎ景気(1965年11月−70年7月)の57カ月を上回る。当時、日本経済は前年比2桁の伸びとなる飛躍的な成長を遂げた。


  第一生命経済研究所の永浜利広主席エコノミストは、「いざなぎ越えの可能性は非常に高い」としながらも、2014年4月の消費増税後は「本質的には景気後退に入っていた」と述べた。戦後最長の「いざなみ景気」(02年2月−08年2月、73カ月)越えについては、オリンピック特需の押し上げ効果や米国の景気回復の動向次第だが、可能性はあるとした。


  一方、「若干いんちき感があると思う。本質的な意味での回復とは言えない」と指摘。供給に対して需要不足であることから「今回の景気回復はまだ水面下、不況下の景気回復だ」とし、「潜在成長率が低いから賃金も物価も上がらない」と述べた。


  6月の一般労働者の現金給与総額は前年同月比0.4%増。日本銀行は2%を目標に掲げるが、7月の生鮮食品を除く消費者物価指数は同0.5%上昇にとどまった。


  景気の山と谷は、1−2年ごとに開かれる専門家で構成された内閣府景気動向指数研究会が判断する。6月の会合では、景気の転換点を示す「山」は確認されなかったとし、14年4月の消費増税後も後退していないと判断した。

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#経済統計#リフレ#アベノミクス


 大手スーパー西友は29日、全国にある339店全店で、約500の食料品や日用品を値下げしたと発表した。全体の値下げ幅は公表していない。消費者の節約志向は依然として強く、値頃感を打ち出して需要を喚起する狙いがある。


 西友は29日までに、価格を6カ月間固定する「プライスロック」と3カ月間固定する「チャレンジプライス」に約千品目を追加した。このうち約500品目で値下げし、残る約500品目でも当面価格を据え置くことを決めた。


 例えば、詰め替え用の食器用洗剤は11.2%値下げして税抜き158円、カップスープは7.2%値下げして258円にした。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170825#1503658605