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『人物・学問』
P9

 およそ煩わしく面白からぬことの多い人世において、夜の一時を独り静かに偉人の伝記や好きな書を読み耽るほど楽しいことはない。その時こそ生き返るような感じが身心に満ちてくる。その時こそ高きものへの憧れがひたすらにわが心をうつと共に、彼も人なり我も人なりというような奮発や自負心、来て見ればさほどでもなし富士の山というような高慢な心も時に起きる。しかしまた静かに己を顧みる時、そしてその人々の心境を更に深く思う時、更にその人々の事跡に思いを致す時、やはり偉いわいこの人は、という気持が私を恥じらわさずにはおかぬ。
 ある日、薩摩の若殿原が新納忠元を訪れて、いろいろ学問武道の話を聴きながら、「胆力はいかなる時に据わるのですか」と問うた。忠元は微笑みながら彼等を見渡していたが、静かに口を開いて「御身たちは古聖賢の書または偉人の伝を読んで心の底から感激し、または愉快を感じて胸の中がわくわくする時があろう。その時に胆力が据わるのだ。また戦場に出て場数を踏む中に、いつとはなしに胆力は据わってくる」と話したという。吾人の学問はあくまで実学でなければならぬ。そのためには第一に良き師を求めて日夕深くみずから留意してその言行を観、みずから学び、みずから場数を踏むようにつとめねばならぬ。そして真剣にみずからに引き較べつつその講学を聴くべきである。書を読むにもその精神・境地に深く思いを致し、その事に処する態度を会得すべきである。読んで快心のところに至った時はもちろん、わが欠点を深く突かれた時も、やがて喜びはおのずから心に湧く。そして更に新たな勇気が心身にあふれてくるのを覚える。忠元の言のようにこういう時に胆力は据わるのかも知れない。実に読書は練心でなければならぬ。