これによって日本政治はどうなるのか、あらゆる可能性を踏まえて推移を見極めたい。
9月14日というのは民主党代表選が行われた日だ。報道によれば、検察審査会の関係者は代表選の結果が出る前に議決されたとしているようだ。一方で、終日、協議が行われたという説もあるようで、本当に審査会の決定に代表選結果が反映されなかったのかどうか、そこをはっきりさせるべきだ。
だが、議決内容が検察当局に知らされていたとすれば、検察は行政機関だから、法務省を通じて政府中枢に伝えられていた可能性は否定できない。
そう考えると、菅首相が再選後の内閣改造で、小沢氏系の閣僚を追い出し、完全な「脱小沢」シフトに踏み切った背景も見えてくる。
かつての自民党政治を見てきた感覚からすると、人事での妥協が党内結束には欠かせない。それを、「脱小沢」貫徹路線をとったのだから、菅首相もずいぶん思い切ったことをやったものだと感じてきた。
検察審査会の議決内容を承知していたのだとすれば、そうした疑念は一掃される。菅首相は、小沢氏が強制起訴によって、その政治行動を完璧に制約されると踏んだのではないか。
そんな疑惑が浮上するのは、このところ、司法・検察の独立と政治サイドの思惑がなんとも複雑に絡み合い、理解に苦しむことが多いためだ。
改めて振り返っておかなくてはならないが、当初、検察当局は、東北地方の大型公共事業を小沢氏が差配していたという「ゼネコン疑惑」の大きな構図を描いた。
だからゼネコン各社の家宅捜索も行ったのだが、「天の声」は立証できなかった。そこで、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の4億円土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件に焦点が絞られていった。
よくも悪くも「小沢政局」は続く
となれば、小沢氏は公判開始前に動き始めるかもしれない。先の代表選を「最後のご奉公」として政治生活の総決算と位置付けた小沢氏だが、最終戦争の次になお「再最終戦争」があるのかどうか。そこは小沢氏の気力いかんだ。
主要メディアはこぞって小沢氏の離党や議員辞職を求め、「小沢政治からの決別」を主張する。
それはそれで結構なのだが、代表選挙で小沢氏にほぼ半数の200人が票を投じたことの意味合いを分析できないままだ。あの時点でも小沢氏の強制起訴は十分に予想されていたのである。
55年体制崩壊、細川8党派連立政権、小選挙区制導入、さらに、民主党への本格的政権交代まで、ここ20年ほどの日本政治を振り返ると、小沢氏の存在を抜きにしては語れない。
その「政局至上主義」に批判も強いのだが、現実の政治を動かす強じんなパワーを持っているという点で、いまの政界に小沢氏を超える実力者がいるのかというと、なんともおぼつかないのが現状だ。
「小沢一郎問題」は、破綻の危機に瀕している日本政治を良くも悪くも象徴しているように思える。