2011-10-01 ■ 宗教 法律 宗教 法律 『国家(上)』 P237 すぐれた裁判官というものは、若い人でなく年寄りでなければならず、不正がどのようなものかを遅れて学んだ人でなければならない。すなわち、不正というものを、自分自身の魂のなかにある。自分自身のものとして認識したのでなく、他人の魂のなかの他人のものとして、それが本来どのように悪いものであるかということを、自分自身の経験ではなく知識を用いて見抜くように、長い間の訓練をつんだ人でなければならないのだ