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中曽根康弘元首相「首相に必要な人間的余裕」

 「首相となる者の経歴と資質に問題がある。私の場合、連合国軍総司令部(GHQ)占領下の昭和22年に衆院に初当選し、米国の軍人や政治家と付き合い、交渉することから出発した。したがって首相になる前から首相になったときの心構えや発言をどうしたらよいのか相当勉強してきたわけだ。就任時にはすでに精神的にも体系的にも準備はできていたと思う。


 それから静岡県の熱海に行って徳富蘇峰(戦前・戦後の言論人)に彼が関係した歴代首相の挙動、挙措をいろいろと聞かせてもらった。明治の終わりから大正にかけての首相はみなある意味で蘇峰が指導していたから大変勉強になった。特に桂太郎元首相(第11・13・15代)や原敬元首相(第19代)に詳しかったな…」

 「ドジョウと自嘲するところからまず始まっているが、野田君は閣僚の選抜に失敗している。閣僚には能力と同時に人間的修養の深さが必要なのに計算に入っていない。それが鳩山由紀夫政権以降如実に表れている。やっぱり歴史とか伝統、国家観、政治家としての修行だね…。そういうものがない。政党としての浅さが出ている。
 国会対策の巧さや答弁の上手さなどを中心に選ぶから閣僚の中に人間的な深みのありそうな者が1人もいない。政権与党で権力にしがみついて酔っている要素がうかがえ、権力を恐れ慎む気持ちがない

 「人材を集める首相自身によって集まる人の質のよい悪いが出てくる。主人公が大きく深くなければ集まる人も小さくなるものだ。とはいえ今は与野党問わず人材がいないね。学術界にも財界にもいない。悲しいことだ…。昔は経団連会長の言葉というと、世の中の人はみな耳を傾けたが、今は『ああ、一介の経済人か』という程度だ。財界も学術界もその重さを背負う人がいない。これは首相も政党代表も同じことだ」