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第一二章 顕幽一致 〔一二〕 - 霊界物語ネット

 すべて宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善もなければ、絶対の悪もない。従つてまた、絶対の極楽もなければ、絶対の苦艱もないといつて良いくらゐだ。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽のあるものだ。

悲観を離れた楽観はなく、罪悪と別立したる真善美もない。

かくの如く本質においては全然同一のものでありながら、何ゆゑに神俗、浄穢、正邪、善悪が分るるのであらうか。

 善悪といふものは決して一定不変のものではなく、時と処と位置とによつて、善も悪となり、悪も善となることがある。

大楽観と大悲観とは結局同一に帰するものであつて、神は大楽観者であると同時に、大悲観者である。
 凡俗は小なる悲観者であり、また小なる楽観者である。

人の身魂そのものは本来は神である。ゆゑに宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備してをる。それでこの天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが人生の本分である。

 いづれにしても、この分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、また苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、ことごとくこれを美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、吾人の成神観であつて、また一大眼目とするところである。

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