「オレについてこい!」型のリーダーは終わる【田坂広志×藤沢久美 特別対談】 イベントレポート 第2回|最高のリーダーは何もしない:内向型人間が最強のチームをつくる!|ダイヤモンド・オンライン
あるとき、キャスターの久米宏さんが、あるアナウンサーからインタビューを受けたのですが、その途中でインタビュアーを叱ったそうです。「君ね、人に質問をし、こちらが答えている最中に、次の質問を考えるのをやめなさい」と。これは、とても大切なアドバイスをされたと思いますね。
相手が聞くことに集中していないとき、それは、話し手にはすぐにわかってしまいます。なぜなら、コミュニケーションというものの8割は、実は、ノンバーバル、つまり言葉以外で伝わるものと言われているからです。
【藤沢】田坂さんご自身はどのようなプロセスでリーダーになられたかをお話しいただけますか?また、著書では「リーダーになりたい人は、実はリーダーに向いていない」といったことも書いているのですが、田坂さんはいかがだったのでしょうか?
【田坂】いまの私の姿をご覧になると、「この人はリーダーシップ型だな」と思われる方もいると思いますが、じつは、私は、小学校の頃は、リーダーシップなどまったく無縁の人間でした。クラス委員に選ばれることもなく、「動物の飼育係がやりたいな、誰か推薦してくれないかな」と思っていても、誰も推薦してくれないといった目立たない子どもでした。高校時代でも、クラス討論になると、頭の良い同級生の女の子に、「田坂君は何を言っているのかわからない」などと言われていました。
【藤沢】知りませんでした…すごく意外です…。
【田坂】リーダーシップというものは、意外に、そういうものではないでしょうか。リーダーになりたいと思ってリーダーになった方は意外に少なくて、「いつの間にか課長になってしまった」「工場でチームのリーダーを任されてしまった」という方が多いのではないでしょうか。しかし、その立場に立たされて悪戦苦闘しているうちに、リーダーらしくなっていく。そして、いつか、天に導かれて自分はこの道を歩んでいるのだという気持ちが芽生えてくる。これが日本人の普通の感覚ではないでしょうか。そこが、欧米のリーダーシップ像とは、かなり違うところでしょう。
【藤沢】日本人的なリーダーシップというものは、たしかにありますよね。
【田坂】日本では、リーダーシップよりも、むしろ、フォロワーシップを大切にする部分がある。「仕事」と書いて「仕える事」と読むわけですから、リーダーとしてよりも、フォロワーとして生きることの美しさを、わかっている。例えば、課長を支える課長補佐が、とても細やかな人で、縁の下の力持ちのような役割を果たしていることを、じつは、多くの部下が知っていて、その課長補佐を尊敬している。そんな世界があるのですね。しかも、この課長補佐に、「あなたが課長を支えていますね」と言っても、「いえ、そんなことはないですよ」と答えるような謙虚な人だったりする。私はそういうフォロワーシップの思想を持っている日本という国が、とても好きですね。
【田坂】私も、世界のトップリーダーが集まるダボス会議に参加しているので、各国の大統領や首相とも間近で話をしますが、いつも感じることは、近い将来、欧米的なリーダーシップの時代は終わるだろうということです。
【藤沢】やはりそうですか。どうしてでしょうか?
【田坂】そもそも、「リード」という言葉、「人々を導く」という発想そのものが、20世紀の古いパラダイムだと思います。一方、日本的なリーダーシップ思想を象徴する言葉は、「千人の頭(かしら)となる人物は、千人に頭(こうべ)を垂れることができなければならぬ」という言葉です。この言葉には、「人々を導く」という発想は無い。日本においては、「自分は千人のリーダーになった」「自分は、この千人を導かなければ」と思う人間は、あまり良いリーダーにはなれない。むしろ、「このような素晴らしい仲間が、なぜ、自分のような未熟なリーダーと一緒に歩んでくれるのか、ありがたい」と思う。そういう思いがあると、不思議なほど、リーダーとして素晴らしい道が開けるのですね。それが、日本的なリーダーシップの思想だと思います。
主張、対立、闘争を基軸とする欧米的なリーダーシップの思想は、たしかに、20世紀の世界を主導してきたのですが、21世紀のいま、欧米は、そのパラダイムの限界に直面しています。
しかし、日本的なリーダーシップの思想は、むしろ、理解、調和、共生を基軸としています。そして、これからの世界は、そういう新たなリーダーシップの思想が広がっていかないと、イデオロギーとイデオロギーがぶつかってしまい、「自分にとっての真実」だけを語り、「相手にとっての真実」を見ようとしない、ということになる。欧米各国の指導者は、テロをする人間を悪だと決めつけてしまいますが、なぜその人たちがテロに走るのかということに思いを致すような深みのある指導者があまりいない。世界各国のリーダーが集まっているダボス会議に行くと、いつも、そのことを感じますね。
【藤沢】日本的なリーダーの在り方を、日本人はみな、できているのでしょうか?もし日本的なリーダーシップが世界の流れであるのならば、日本という国は、これから世界のリーダーになっていくのか。田坂さんはどんなふうにご覧になっていますか?
【田坂】大切な質問ですね。その質問だけで十分な深みがありますが、この国には日本的精神という素晴らしいものがある。東洋には東洋的思想というものがある。しかし、東洋に生まれ、日本に生まれたからといって、それを身につけているとは限らないのですね。
逆に、欧米の人でも、日本的精神や東洋的思想にも通じる深いものを身につけている人もいます。
たとえば、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムのクラウス・シュワブ会長はスイス人ですが、見事な心配りのできる人です。誰に対しても心で正対し、感謝の心を忘れない。その「人間力」がある。だから、誰もが、クラウスに頼まれたら何でもしてあげようと思うのですね。
【藤沢】そうですね。
【田坂】しかし、彼の中には「相手にギブすれば、いずれ何かがテイクできる」という発想は、全く無い。クラウスは、日本で言う「残心」が本当にできる人です。相手に対して「心を残す」ということができる。
修行していない人は、挨拶しても「心」がない。しかし、たとえ一瞬といえども、相手に対して心を込めて正対できるということは、すごい力です。それは、気配りができるといった次元ではなく、人間としての日々の心の修行を通じて身につくものなのですね。
シュワブ会長が、45年かけて、「ヨーロッパ経営者フォーラム」という小さな組織を、いまや世界中のトップリーダー、大統領、首相、誰もが参加したがるダボス会議という場にまで成長させられた理由は、戦略やプランニングなどの卓抜さだけでなく、ある意味で、シュワブ会長の東洋的とも言える「人間力」だと思いますね。