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36歳で飛び込み、若手に教えを請うたコンサルタント修業時代|ボストン コンサルティング グループ シニア・パートナー&マネージング・ディレクター 御立尚資|ダイヤモンド・オンライン

 今になってつくづく思うのは、BCGのコンサルタントというのは「職人の仕事」だな、ということ。職人扱いすると反発する若手がいそうな気もするが、これが実感だから仕方がない。私自身は、職人であることに誇りを持っている。


 BCGというファームは面白くて、グローバルの経営会議のメンバーでも、CEO以外は皆、現場でコンサルティングワークを続けることを義務づけられている。もちろん、現場感覚をなくさないためでもあるが、根本的には、「コンサルタントとして腕が良くないと、誰も言うことを聞いてくれない」という組織なのだ。その上で、マネジメントの手腕があれば、そういう役割につけばいい。どこにも書かれてはいないのだが、この感覚が世代を超えて共有されている。


 そして、理論を学ぶだけではコンサルタントとしての腕は上がらない。


 そもそもクライアントはなぜ我々に仕事を依頼するかというと、彼らだけでは解が出てこない、実行がおぼつかない状況がそこにあるからだ。仕事の大部分はそうした難題であり、これを何とかすることで初めて、我々の価格が正当化される。この難題だらけの現場で、時には修羅場を踏みながら体験を積み重ね、自分のものにしていく。


 こういうやり方で身につける類のものだし、スキルの中には、言語化できない部分も多い。従って、手を取り足を取って教えてもらうだけでなく、いわく言い難い部分を自分から盗みとろうという意欲と感性がないと、実力がついていかない。


 また、一人前になった後も、修業が続くのが宿命で、自分の面倒を見てくれた先輩を超えて、自分の個性が出てきて、初めて一流になれる。


 本質的には、BCGグローバル共通の知見・手法を使った上で、必ずどこか“自分ならでは”のクリエイティブな部分を加え、その時々のクライアントの文脈に合わせて、独自解を作り、実行する。そういうカスタマイズが必須の仕事なので、どうしても職人の世界に近くなるのだろう。


 誤解されるといけないが、BCGでも、これまでには、いろいろなトレーニングだのeラーニングなどが山ほど準備されてきた。ただ、そういうやり方で学べるのは、あくまでスタートポイントだけだ。


 付け加えておくと、BCGの“シニア職人”は、徒弟の親玉として、人を育てる能力を問われる。面倒を見た後輩が育たない人、アップワードフィードバック(部下からの評価)で育成がダメだと評価される人。こういう人は、いくら自分の腕が良くても、淘汰されていく仕組みができあがっている。


 チームで働く能力、チームをまとめ、かつ、伸ばしていく能力が、シニア職人には求められる。どことなく、質にこだわり続けるレストランのシェフ、あるいは料亭の親方の仕事に似ているようにも思える。

コンサルタントの仕事の基本中の基本は、分析を通じた課題解決である。この基本動作を身につけるのは、できるだけ若いうちから始めた方が有利なのだ。よく自転車の乗り方を覚えることに例えるのだけれど、頭と身体が柔軟なうちならすぐに身につくものが、一定の年齢に達してからだと、思うように身につかない。


 最初のうちは、大学を出てすぐBCGに入り、2〜3年の経験を積んだ20代前半の若手コンサルタントに、私は全くもって、かなわなかった。JALで分析、企画する仕事に慣れていたつもりだし、一応MBAもとったので、基本的な課題解決の手法は知っている。こう思っていたが、とにかく彼ら、彼女らが仕事のアウトプットを生みだすスピードは、自分の3倍速だった。


 分析マシンのように頭でっかちなのではない。とにかく、フットワークが軽い。仮説を立てたら、すぐにあちこちに電話をかけてインタビューのアポをとり、その間に手配しておいたデータの分析と合わせて検証できる手はずを整える。こうしたことを半日から1日で済ませ、猛スピードで繰り返していくことが身についている。

 この、ついていけない感覚は過去にもあったな、と思ったら、JALのアシスタントパーサーの初期に似ていることに気がついた。その際にやったのは、素直に頭を下げて、年下のキャビンアテンダントたちに仕事を教えてもらうことだった。


 なるほどこれか、と思い、「自分はある程度できるはず」というプライドや誤解はさっさと捨てて、若い仲間に頭を下げて、イロハのイから教えてもらうことにした。学卒4年目のA君には、(まだExcelがない時代の)分析ソフトの使い方の基本を、2年目のBさんには、インタビューの取り方とメモの書き方を、といった具合だった。

 そうこうしているうちにわかってきたのは、自分らしく仕事をすることで、チーム全体の仕事の質を上げることもできる、ということ。若い学卒の仲間が得意ではないことを通して付加価値をつければ、自分の存在価値が出てくる。こうしながら、分析の技を身につけていくことも許されるだろうと思うようになった。


 たとえば、「なぜ企業は、論理的に正しいことを実行できないのか。どこにボトルネックがあるのか」については、実際の勤務経験がないとピンとこない。ここを手助けする。あるいは、煮ても焼いても食えない、扱いが難しいクライアントにも逃げずに対峙する、といったことだ。

 こうして遅く始めた修業の中で、なんとか早くキャッチアップしようと思い、毎日の仕事で学んだコツやポイントを、走り書きのような形で、書き残していくことにしていた。いわく言い難い部分を、必死で言語化することで、身につけやすくしようとしていたわけだ。

 プロジェクトリーダーになった後、育成する側になり、こうやって書き残した中味を体系化して、2週間に一度、後輩に伝える非公式な「私塾」的な場をつくってみたところ、これが意外なくらい育成に効果があった。


 実は、最初の単著である『戦略「脳」を鍛える』という本は、この私塾の内容を大前研一さんのビジネスブレークスルーというCS番組で話したことから生まれた。この本はありがたいことに、今でも版が続いていて累計5万部以上に達したし、その後いくつかの大学で教えたり、次の著書を書いたりする機会につながっていった。


 苦手なことを苦労して身につける。そのための必死の工夫が、怪我の功名で、まったく違う役に立ったということになる。


 習う側から教える側に立つことが増えるにつれ、わかってきたのは、「自分が身につけるのに苦労したことほど、人に教えることができる。逆に、自然にできるようになったことは、教えるのが難しい」ということ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160708#1467974362

#勉強法