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スター経営者退社による存亡の危機をいかに乗り越えたか|ボストン コンサルティング グループ シニア・パートナー&マネージング・ディレクター 御立尚資|ダイヤモンド・オンライン

 1986年からBCG日本法人の経営を担うだけでなく、大前研一さんと並んで日本のコンサルティング業界の看板役者であった堀さんが、あろうことか何人も連れて辞めるというのだ。いまから考えるとなぜそんな行動にでたのか不思議なのだが、堀さんの部屋に飛び込んで、「この2人だけは連れて行かないでくれ」と談判に及んだ。後にドリームインキュベータの社長になる山川隆義さんとBCG日本代表になる杉田浩章さんの2人だ。コンサルタントとして優れた人は、他にも何人もいたし、スターパートナー候補も存在した。ただ、自分たちの後、次世代の経営を担うのは、この2人だろうな、と感じていたからだろう。

 さて、この事件で、BCGは“存亡の危機”に直面したと言ってもいい。当時の常識は、「我々の収入は、パートナー全員の累積経験年数の総和に比例する」というもの。残されたのは唯一のシニア・パートナーになってしまった内田和成さん(現・早稲田大学ビジネススクール教授)と若手パートナーだけで、累積経験年数の合計値が半減してしまった。この理論に従えば収入が半減することになる。

 幸いなことに2000年の業績は、過去最高レベルを達成できた。危機感で結ばれた社員全員の頑張りの結果だと思う。ただ、「頑張る」だけでは良好な成績は続かない。当時の経営コンサルティング業界には、「100人の壁」という言葉があった。いくつものファームが順調に成長を遂げ、コンサルタント100人に近付くと失速し、また50〜60人に戻ってしまう。こういうことを繰り返していたのだ。大前さん時代にこの壁を軽々と乗り越えたマッキンゼーだけが例外だった。


 なんとか、この壁を越えるにはどうしたらいいのか。これが次の課題であることは明確だった。打ち手を一所懸命考え、内田さんや水越さんはじめ、残されたパートナー陣でいろいろなことを試してみた。


 結局のところ、一番効果があったのは、「自分とそりがあわないパートナーとも一緒に仕事をする」文化の醸成だったと思う。


 前回、コンサルタントという職人は、シェフや料理長に似ているところがあると書いた。職人として修業をし、一人前になると、自分のやり方・スタイルを身につけてくれる下を育て、縦のチームを作るようになる。


 このモデルのはらむ問題は、ややもすると自分のやり方・スタイルと違う人と、一緒にチームを組んで仕事をしなくなってしまうことだ。極端な場合には、チームごと、スピンオフすることにもなってしまう。多いのは、自分と芸風の違う人たちが、リーダー層を占める場合。次第に、隠れた不満層が増え、辞めてやろう、ということになってしまい、全体として成長を続けられなくなる。


 経営コンサルティング会社一般に当てはまる、こういう問題に加えて、BCGの場合、毎回異なった戦略を提言するというところから始まったファームなので、そもそも多様性が会社にビルトインされている。タイプの異なった人がいないといい仕事はできない、ということで、入社前の面接でも「これはまるで動物園だな」と思った。別の会社は、企業文化にできるだけ染まることが良しとされていて、出てくる人が皆似た感じだったのとは大違いだ。


コンサルタントの間は、これがうまく機能して、多様なメンバーでのチーミングが可能だ。ところが、パートナーになると、芸風や性格の違うパートナー間のチーミングが難しくなってくる。一人前になった人たちなので、自分のスタイルに自信があるし、自分のやり方が一番良いと思いがちだ。多様性自体が、気をつけないとマイナスに働く。


 ただ仲の善し悪しということだけを言っているのではない。我々の仕事の本質からして、似たような芸風・性格の人だけで仕事をしていては成長できないのだ。


 BCGのコンサルティングでは、知恵の職人芸に加えて、信頼という要素がものを言う。クライアントの経営トップから信頼されないことには、こうしよう、と提言したことはまったく実現されない。また、継続的にクライアントに価値を出す機会をもらえるのは、経営者に信頼されたパートナーだけだ。


 ところが、相手もこちらも人間なので、すべての人と相性がよく、深い信頼関係を作れるなどということはありえない。身も蓋もないが、100人の経営者がいたとして、若手パートナーのうちはせいぜい10人か20人、経験を積んでも40〜50人の信頼を得られれば、万々歳というのが本当のところだと思う。


 だとすると、自分が良いコンテンツは作れるとしても、経営者との相性を考え、信頼構築の点で盤石ではないと思ったら、そのクライアントと相性の良さそうな別のパートナーにもチームに入ってもらう必要がある。


 これがなかなか難しい。修業の末に一人前になり、ようやく一軍レギュラーになったと思っているパートナーは、自分のやり方やスタイルと合わない人と働くのを嫌がる。一人前の職人の自負心が、オープンに「自分では足りない」ということを認めることを妨げるし、いわんや自分と流儀の違う職人に助けてもらう、などというのは論外、という感覚だ。

 こうして必死で走っているうちに、気がついたら、日本のハイエンドの経営コンサルティング分野ではBCGが最大のファームになっていた。もちろん、規模だけがコンサルティングの成功の指標ではない。質が伴わない成長は意味がない。


 我々のようなコンサルティングの質とは、すなわちクライアントにとっての「結果」だ。コンサルティングの結果として、クライアントの収入なり、キャッシュフローなり、がプラスに変化する、ということ。これが究極的には自分たちの仕事の質を測るモノサシとなる。BCGの言葉で言えば、クライアントインパクトこそが、質の証明ということになる。


 ところが、難しい課題ほど、我々が提言してから、実際にインパクトが出るまで時間がかかる。すぐには結果が見えない。したがって、すぐには質の差が見えてこないのだ。

 まず、価格アップ。当時は、日本では無形のサービスにお金を払う習慣が少ない、とかいう言い訳で、グローバル平均よりもプロジェクト単価が低かった。これを、抵抗を押し切ってかなり上げさせてもらった。


 一方で、少なくとも自分自身はクライアントに、「見えないものを買うのだから、10倍か20倍の結果が見込めないのなら、おやめになった方が良い」とストレートに話すことにした。プロジェクトにかかるコストが1億円なら、結果が10億から20億円、2億円なら、結果が20億円から40億円。これが期待できないのなら、お買いにならない方が良い、ということだ。我々の価格が高ければ高いほど、お客様としては、きちんとした結果を求めるのは当然。価格に見合わないと思われれば、それまでだ。


 さらに、BCGがグローバル全体として、長期顧客を重視する流れにあったので、それに徹底的に乗ることにした。

 新しいクライアントをどんどん開拓してくるパートナーがいても、そんな焼畑農業のような一回きりのやり方では評価しない、と駄目出しをする。あるいは、価格さえ下げれば大きな仕事をとれそうな状況になった時には、はっきりNOと言う──。こういうときは、本当に今の意思決定でいいのかな、と思ったり、こんな態度はサービス業としては不遜かもしれないと思ったりもしたけれど、目をつぶって方針を貫いた。それが、正しかったかどうかは、誰にもわからない。

 こういった業界変化の中で、グローバルで見てもBCGは長期にわたって高い成長を続けた。結果として、本当の意味でグローバルなネットワークを有し、IP(知的財産)を生みだし続け、グローバル企業が結果を出していく際のパートナーとして、プレミアムプライスをいただける。


 これができる会社は、ほぼ2社に絞られてしまったし、グローバルでは3倍以上あったマッキンゼーとの規模差も随分縮まった。いまでは、BCGも社員数1万2000人、グローバル収入5500億円を超える、いっぱしの大企業になってしまった。正直言って、夢のようだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160715#1468579415