https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

「一見さんお断り」で京都人が意地悪と言われる理由|一流だけが知る「粋な大人」のビジネスマナー塾|ダイヤモンド・オンライン

 長い歴史の中で京都という町はつねに戦にさらされてきました。そして時々の首長に合わせながら、いつ変わるかわからない世の中にあっても、客商売の人たちはご贔屓やお得意を囲い込み、その中で生業を考えてきました。ご贔屓やお得意を大切にするのは商売人なら当然のことで、それが歴史を重ねるうちに親から子、子から孫へと継がれ、ご贔屓筋もまた続いていく。自分たちの台所を守るために、ご贔屓筋を受け継いできたのです。


お茶屋文化の中では、支払いをつねに「ツケで回す」というシステムができ上がっています。これはきわめて現実的な対応で、初めてのお客さんにいきなりツケにしてくれと言われても困ってしまいます。だから誰某の紹介なり、仲介が必要なわけでそれが「知らない人は入れない」=「一見さんお断り」と理解されてしまい、「京都人は意地悪だ」という話に発展したのだと思います。


 昨今ではお店の格式を表わすために「一見さんお断り」を使ったりするようですが、これは本来の意味とは少し異なっているのではないかと思います。「上客しか入れない」ことと、京都の「一見さんお断り」の違いは明らかで、それがどうやら混同されているようなのです。


 京都の「一見さんお断り」は代々のご贔屓やお得意を大切にしてきた文化で、それはリピーターや常連客を大切にするいまどきの人気店のやり方と同じです。まして古い町ならば、そこにずっと住んでいる人がいるので、そのしきたりが受け継がれていくのは当然のこと。しかし、このシステムを今風に解釈し、「紹介がないと入れない」や「常客だけで十分」などと言って、利用しているお店なども少なくはないようです。