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社長退任と引き替えに手に入れた製造工場|ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一|ダイヤモンド・オンライン

【第28回】

 木原にはブラジャーだけでなくコルセットも製造してもらいたい。要するに和江商事の主力商品のすべてだ。


 だが、それがどんどん売れていくのをみたら、いつか木原は、


 (よっしゃ、自分で売ったろ!)


 と、直接販売に乗り出すかもしれない。そうなると和江商事はお手上げだ。


 経営者の最大の仕事は危機管理である。起こった危機に対処することだけが危機管理ではない。むしろ危機が起きる前にそれを予見し、危機の発生を未然に防ぐのが一流の経営者だ。


 幸一はその資質を持っていた。そして製造から販売まで一貫した組織を持つことが、危機管理上、最も有効な対処方法だという確信を持つに至るのである。


 それはワコールの未来を決めた大きな決断だった。


 この当時、製造と販売の間に問屋までもが介在する複雑な流通経路がわが国の伝統であった。ところが幸一は近江商人の血を大切にしながらも、従来にない独創的な発想でビジネスを展開していったのだ。


 女性の下着の製造から販売までを手掛ける、日本にはまだどこにもない下着専用メーカーの道を選んだことこそ、ワコールが業界ナンバーワンになった秘密だった。

 合併効果はいろいろなところに出てきていた。新体制は大きく分けて営業部と製造部門の二つから成っていたが、その二つの部門間の人事交流を行うことにより、互いにいい影響を与えあうなど、社内に新風を吹き込ませることが出来た。


 これを好機ととらえた幸一は、自分自身、これまでノータッチだった生産部門を担当したいと申し出た。そして対外的な営業部門を木原社長に任せることにした。生産部門と営業部門が一つにならないと会社が一つにならないという考えがあったからだ。


 だが職人というのは素人を嫌う。古くからいる工場の職長と裁断部門の男性社員1名が幸一の命令に従ってくれない。ここで折れたら彼の負けだ。


 幸一は木原と相談し、彼らに辞めてもらうことにした。これで職場に緊張が生まれた。逆らえない雰囲気ができた。やり方は戦場で彼が実践した人心掌握術そっくりである。


 そして、すぐ次の手を打った。


 プライドばかり高く周囲の声に耳を傾けようとしない職人の鼻をへし折るため、近代的な生産システムによる縫製技術を身につけている人間をスカウトしてきたのである。


 それが渡辺あさ野だった。


 その厳しさ故に、後年社員たちから“正宗”“千枚通し”という恐ろしい渾名で呼ばれることになる、内田と並ぶ伝説の女傑である。

 アイデアと世渡りだけで会社を長く存続できるはずもない。ワコールが長くこの市場で寡占状態を続けられたのは、技術力において他の追随を許さなかったからである。


 女性下着は肌に触れる。布の質に加え、縫製の技術が確かでないと、消費者はそれを敏感に感じ取ってしまう。


 この会社の命とも言うべき縫製技術を草創期に支えた人材の筆頭が、渡辺あさ野だった。

 15歳になったとき、大阪市旭区赤川9丁目にあった海軍陸戦隊の工場で働きはじめた。


 学歴も学力もなかった渡辺だが、海軍は彼女の地頭の良さを見抜き、渡辺の就職を許可したのだ。


 ここでは落下傘や小銃の銃弾の先端部分(掉尾装甲)を作ったり、小銃に「大日本帝国」といった刻印打ちを行ったりしていた。


 彼女は今で言う“パートの女性”ではなく、生産工程全体のあり方を自ら改良していく役割を担っていた。とにかく数字に強い。いつのまにか計算尺を駆使するようになり、落下傘製作の際の流体力学的問題についても一家言持つようになっていった。


 そして何より得意だったのが、多くの部品からなる製品を大量かつ均質に生産する手法、今で言うオートメーション生産の工程管理である。これが後に和江商事に入社した際、大いなる威力を発揮していくことになる。

 そして迎えた敗戦。当然、海軍の工場は開店休業となる。


 渡辺はしかたなく、京都の四条大宮にあった内外雑貨という会社を手伝うようになった。大橋という社長が四条大宮の西の方で海軍の残品処理をやっていたのだ。


 そこには陸戦隊の軍服といった在庫品のほか、軽い落下傘用の絹地(羽二重)や伸縮性のあるメリヤスといった布地が山積みされていた。軍の横流し品である。それを渡辺の指導のもと、50、60人の人たちに手伝ってもらい、子供服に仕立て直して売っていた。


 物資不足のため、戦後も配給制度が続いている。本当は衣服も配布された衣料切符と交換にしか販売できないのだが、内外雑貨は合法ではなく闇商売だ。渡辺自身、警察に引っぱられたこともあった。


 だが人生の辛酸をなめてきた彼女は、そこらの闇屋の親分より肝が据わっていた。一切ひるむことはなかったのだ。


「子どもが裸足でおちんちん出して町の真ん中歩いてるんですよ。着るもんなかったらどないするんです!」


 聞いている警察官もほれぼれするような啖呵を切った。


 すぐに釈放である。


 そんな内外雑貨に、幸一はブラパット用の羽二重を買いに来ていた。これが彼女と幸一との運命の出会いであった。

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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160912#1473676971(自主マーチャンダイジング
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