憲法制定のナゾに迫る…発掘された元外交官の証言録https://t.co/RkcKGJOmrL#深読み
— 読売新聞YOL (@Yomiuri_Online) 2018年11月2日
「極東委員会ができたのは、もうあれ(※筆者注・憲法改正草案)ができた後じゃございませんか。つまり日本政府へ押し付けたあとだった」
藤崎氏は、天皇についての記述に関する質問には次のように語っている。
「あの頃だったら向うさんが言えば思う通りになりましたね」
「第九条、戦争放棄の条文、これは衆議院の芦田さんがやっておられた憲法小委員会で第一項に目的を示し、そうして第二項を『前項の目的を達するため、』ということで起したのであります。これについては司令部側は修正案を出しましたときにそれは当然のことだということで別に余り異議をさしはさまなかったのであります」
「芦田修正が行われたころには、GHQでは日本の自衛軍保持を容認する雰囲気になっていた。藤崎証言は、こうした事情を裏付けるものだ」。西さんはそう解説する。
この芦田修正に敏感に反応したのが、極東委員会だった。前述したように連合国による対日占領管理の最高機関である極東委員会は、文民条項の導入をめぐって攻勢に出る。
西さんの研究によれば、芦田修正を受けて極東委員会は、「日本軍が復活するのではないか」と考え、第66条2項の文民条項「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」を加えることを、GHQに強硬に主張。GHQもこれを受け入れたことが判明している。
時の日本政府は、軍隊は金輪際持たないものと思い込んでいた。終戦の年に日本軍が解体された日本に「軍人」はおらず、「文民」以外は存在していなかった。こうした中で、極東委員会が固執した文民条項。藤崎氏は、極東委員会の要求について、次のように証言している。
「ワシントンからの命令だからこの憲法でこういう条文を入れるのは意味をなさないと思うけれどもとにかく入れてくれということで入れたのです」
「両院制のことでありますが、(中略)アメリカ側では別にこの点は日本の占領行政の根本目的に触れることではないので別に強く頑張るということはありませんでしたけれども、どうしても何が故に両院制にする必要があるかということが納得できない、又第二院のほうをどういう組織にしたら存在理由のあるものにできるか、ということを最後まで余り納得しなかったようであります」
GHQが当初示した草案では、日本の国会は一院制となっていた。これに対し日本政府は、明治憲法下の帝国議会に貴族院、衆議院の二院があったことを踏まえ、日本国憲法でも二院制とするよう再考を求め、GHQ側が受け入れたことが分かっている。
西さんによると、「二院制の要求を受け入れることは、天皇や9条など、より重要な部分を日本に認めさせるための『取引材料』。当初からGHQ側はそう考えていた。その上で参院議員も衆院議員と同様に選挙で選ぶよう求め、職能代表や任命ではダメだと注文をつけた」という。
その結果、日本の国会には、選挙でメンバーが選ばれる二つの議院が併存する格好となった。
「皇室典範関係で問題になった一つの点は、『男系の男子』というのをやめたらどうか、女でもいいじゃないかということ、これも大して向うは重要視しておらなかったようでありまして、こちから(ママ)日本歴史上で女帝の時代というものはいろいろな関係から治世が濫れた例が多いからやはり『男系の男子』がいいと言ったらそのまま納まったのであります。典範その他は全部原案を日本側で拵えて、そうして大した修正もなく、司令部側は了承したのであります」
「もう一つは退位の問題ですが、これは日本の案に何もこれについて規定がなかったのに対して、司令部側では、個人の基本的自由というような見地から言って退位の規定を置いたらいいじゃないかというサゼッション(※筆者注・提案)をしたのであります。併しこれもやはり日本歴史上いろいろいざこざのもとになったというようなことを言ったらあっさり納得したのであります」