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 両角監督は長野県出身。高校時代は地元・東海大三高で陸上競技に励み、その後、進学した東海大陸上部では4年連続で箱根駅伝を走った。

 根っからの東海大OBであるが、2011年に東海大の駅伝監督に就任するまでは、縁もゆかりもない長野県・佐久長聖高校駅伝部の監督を務めていた。

「当時、マラソン選手として所属していた実業団のダイエーが神戸から福岡に拠点を移すことになり、そのとき佐久長聖高の教員となったといいます。

 両角さんが監督に就任した1995年当時の駅伝部員はたったの2人。にもかかわらず、学校長が掲げた目標は『5年で都大路全国高校駅伝)に出場』だった。

 両角さんは就任後、自身も『佐久長聖』のユニフォームを着て、中学生が出る大会や地元の駅伝大会などで走り、必死に宣伝活動をおこなった。その結果、女子は創部2年めで、男子は創部4年めで都大路に初出場を果たしています」(陸上ライター)

 その後、同校は高校駅伝の強豪校として、全国高校駅伝に21年連続出場中。両角監督の在任中の2008年に初優勝を果たし、マラソン日本記録保持者の大迫傑選手など、多くの有望選手を輩出した。

 そんな高校時代の指導経験が、現在の東海大学での指導にも発揮されている。両角監督が昔から重視しているのが、「人間力」を重視した指導だという。

佐久長聖高の駅伝部の寮には『生活、練習、大会』の張り紙が貼られている。これには両角監督の『人間力の成長なしに、競技力の成長なし』という信念が込められています。

 なかでも、一番厳しいのは掃除について。佐久長聖高時代は監督自身が毎日、寮の部屋を回って整理整頓のチェックをしていた。

 選手の帰省時にはさらに厳しいチェックがおこなわれ、OKが出ないと帰省できない。窓のサッシを指でスーッと触り、『ホコリがあるぞ』ということでやり直し命じられ、なかなか帰省できなかった選手もいたそうです(笑)」(同前)

 箱根駅伝優勝後のインタビューでも、「選手たちの(競技に対する)姿、姿勢が発揮された」と強調した両角監督。自身も生活を整え、17キロの減量という健康体で、悲願の胴上げに挑んだ。「人間力」が実った初優勝だ。

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https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2019/01/03/200130将来は、大成功するだろうと、私は、子供ながらにして、漠然と推測していた。何事につけ要領の良い少年だったからだ。
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/30/200120(人間は学校に入ればそこの教育の型に嵌められ、学問すれば、その思想の型に嵌められ、地位仕事につけば、その規定の型に嵌められる。だから地位身分があり、仕事が定まり、教育学問が授けられた者ほど、却って拘束力が強くって、これを解脱する自由の力などは世の常の人々、凡人にとうてい持てるものではないのである。)