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私が洗面所に行くとき飼い猫のハルが付いてくる。

いま卒業生の間ではリニューアルなった戸山キャンパスが話題になっている。 キャンパスの入口周辺の風景が大きく変わった。

昼食は蒲田駅構内にある「権米衛」で買ったおにぎり(鮭、梅干し、おかか)。

小腹が空いたので、ミニワンタンメンを食べてから大学を出る。

蒲田に着いて遅い夕食は「つけ麺大王」で。

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野良猫のナツ

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馬場下の交差点にある鯛焼き屋はこのところ大繁盛だ。向かいの穴八幡にやってくる人たちが買って行っているように見える。とすると、節分までのここ数日がピークだろうか。編集作業おお八つに鯛焼きを買っていく。

「ミルクホール」でコーヒーとお茶を買っていく。

昼食はまい泉カツサンドとコーヒー。

「文禄堂」(旧あゆみブックス)で、ゲーテファウスト』第一部を購入。気まぐれに読みたくなったのである。

清水幾太郎が『ファウスト』の原書を日本橋の「丸善」で購入したのは中学(旧制)1年生の一学期のことだった。

「文禄堂」で買ったばかりの岩波文庫版『ファウスト』を電車の中で読みながら、私はびっくりした。第一部が始まる前の「舞台の前曲」のところで座長と座付詩人と道化役の3人が語り合っている内容は、まさに「大衆社会論」そのものではないか。

ファウスト』の原書を「丸善」で購入した清水少年は、そのとき、その後の彼の人生の予告編を垣間見たことになる。『ファウスト』は清水幾太郎ににとって二重の意味で象徴的なものであったということになる。

夕食は鯖の干物、玉子豆腐、サラダ、味噌汁、ご飯(明太子と栗きんとんがのっている)。

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1949年から1969年まで学習院大学教授を務める。当時、学習院大学に在学していた皇太子時代の明仁親王今上天皇)が、エリザベス2世の戴冠式のため出席日数が足りなくなり、安倍能成が教授会で「皇太子は特別の身分のかたであり、落第は不名誉なことなのだから、外遊中の見聞や語学の上達を考慮して進級を認めてもらいたい」と外国訪問を授業の代わりとして単位を与えるとする案が出されたが、清水は「異議があります」と手を挙げて口論となったが、清水は他の学生が苦労して単位を取得しているのに皇太子だけを特別扱いするべきではなく、それならば聴講生になっていただければ良いという論旨で反対したとされる。しかし以後、清水と安倍の関係は軋み始める。結局、皇太子は後期に進学できず、聴講生として勉強を続けることとなった。

竹内洋は、清水のラジカリズムは清水のような傍系知識人による正系知識人に対するヘゲモニー戦略であり、清水の平和問題談話会から60年安保にいたる左のラジカリズムも、「戦後を疑う」から「核の選択-日本よ 国家たれ」にいたる右のラジカリズムも、変節・転向・蕩児の帰還(林健太郎)とするだけでなく、知識人界のヘゲモニーを掌握する荒業のためであり、その限りでは一貫していると評している。

大久保孝治は、「戦略としての『庶民』」と清水の思想行動を評しており、それによると、西洋市民社会の個人を観念的に理想化して庶民を見下す進歩的文化人に対して、清水は庶民の背景にある匿名の思想(「国民の大部分がその日常生活のうちにおいて信じているもの」「経験・問題・願望」)に気づいて、自らの思想の梃子の支点として庶民を使い、「庶民という概念は、清水が自身を他の進歩的文化人と差異化するための、そして清水が参加していた社会主義的社会の実現を目指す運動のための一種の戦略的概念」と評している。清水は、日本の知識人が諸外国の学説を有難がり、独自性がないのは、匿名の思想に立ち入り、表現する努力を怠っているためと述べている。

葬儀委員長は林健太郎、友人として渡辺慧、嶋中鵬二、犬養康彦、黛敏郎西岡武夫の名が並んでいる。新宿区若葉の四谷霊廟での密葬には、丸山真男福田恒存久野収などが臨席した。福田が霊廟を後にするとき、清水の妻にお悔やみの言葉をすると、清水の妻は「福田さん、あなたは清水の戦前からのお友だちでした。清水がまちがいそうになると、かならず書いてくれました。福田さんありがとう」と返答した。

#天皇家

清水幾太郎における「庶民」のゆくえ - 大久保孝治

 注意すべきは、これがたんなる自己批判ではなくて、当時の清水がその1人であったところの進歩的文化人への批判となっている点である。自分は進歩的文化人の1人ではあるが、他の進歩的文化人と違って、西洋市民社会における個人の理念を理想として自分たちの社会の庶民を見下すという思い上がりに気がついている。他の進歩的文化人が西洋から輸入した有名な思想に依拠して考え、語り、書いているのに対して、自分は庶民の思考や行動の背後にある「匿名の思想」の存在に気づいている。そう述べることで、清水は自分を他の進歩的文化人とは少し離れた場所に移動させた。庶民はそのための梃子の支点として使われているのである。

 要するに、庶民という概念は、清水が自身を他の進歩的文化人と差異化するための、そして清水が参加していた社会主義的社会の実現を目指す運動のための、一種の戦略的概念であり、「庶民」およびその前後に発表された「匿名の思想」(『世界』1948 年9月号)や「日本人」(『中央公論』1951 年1月号)は庶民の概念化の試みであった。

  更めて日本の中に、吾々の間に、庶民を見出し、その願望のうちに価値を、
 その経験のうちに方法を発見すると時、吾々は相共に新しい平面へ這ひ上がる
 ことが出来るであらう。(清水 1950:⑧302)

 論文「庶民」の最後はこう結ばれている。このとき清水は庶民と同じ平面に立っていた。少なくとも同じ平面に立つことを目指していた。

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【今日の名言】心の中の自我を抑えることのできぬ者ほど,自身の驕慢な心のままに,隣人の意志を支配したがるのです.――ゲーテファウスト』(第二部)

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 ここに知識人の変わらぬ悲哀がある。いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけでもない。あるいはだんだん神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても、安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。

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木庭顕さん。「何よりも重要なことは、その場合に、学生や、中高生や子どもたちや、あるいはたとえば言論機関の目から見ると視聴者とか読者ということになろうかと思いますが、大事なことは、この人たちを決して低く見ない、馬鹿にしないということであります。リスペクトをするということであります」

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こういう時、歴史学者は無能、無力である。彼等は、西郷南洲を歴史的人物として実証的に描くことは出来ても、西郷南洲の人格も西郷南洲の精神も、西郷南洲の哲学も描くことは出来ない。むしろ、無知蒙昧な一般庶民の集合的無意識にこそ、それが出来る。言い換えれば、そこには、芸術的、思想的、哲学的才能が必要である。何故、西郷南洲は「 西郷南洲」になったのか? 再度、引用するが、江藤淳の次の文章は、凡庸な歴史学者には書けないし、歴史学者という実証主義者には理解出来ない文章であろう。もちろん、合理主義や実証主義に毒されていない一般庶民には、良く理解出来る文章のはずである。一般庶民もまた、西郷南洲西郷南洲以上の神話的、宗教的存在としての「西郷南洲 」として理解している。それこそが、江藤淳の言う「 西郷南洲という思想」である。

《このとき実は山県( 有朋 )は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。陽明学でもない、「 敬天愛人」ですらない、国粋主義でも、排外思想でもない、それらすべてを越えながら、日本人の心情を深く揺り動かして止まない『 西郷南洲』という思想。マルクス主義アナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポストモダニズムも、日本人はかつて『西郷南洲 』以上の強力な思想を一度ももったことがなかった。》(『南洲残影 』 )

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もし自心を知るは
すなわち
仏心を知るなり

仏心を知るは
すなわち
衆生の心を
知るなり

三心平等なりと
知るを
すなわち大覚と
名づく…