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 静岡県磐田市で昨年、25歳だった女性に乱暴し、けがを負わせたとして強制性交致傷の罪に問われたメキシコ国籍の男性被告(45)の裁判員裁判で、静岡地裁浜松支部20日までに、「故意が認められない」として無罪判決(求刑懲役7年)を言い渡した。判決は19日。

 検察側は「被告の暴行で女性の反抗が著しく困難になることは明らか」と主張していたが、山田直之裁判長は、暴行が女性の反抗を困難にするものだったと認定した上で、女性が抵抗できなかった理由は、女性の「頭が真っ白になった」などの供述から精神的な理由によるものであると説明。

 「被告からみて明らかにそれと分かる形での抵抗はなかった」として、「被告が加えた暴行が女性の反抗を困難にすると認識していたと認めるには、合理的な疑いが残る」と結論付けた。

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 男性は2017年2月5日、福岡市の飲食店で当時22歳の女性が飲酒で深酔いして抵抗できない状況にある中、性的暴行をした、として起訴された。

 判決で西崎裁判長は、「女性はテキーラなどを数回一気飲みさせられ、嘔吐(おうと)しても眠り込んでおり、抵抗できない状態だった」と認定。そのうえで、女性が目を開けたり、何度か声を出したりしたことなどから、「女性が許容している、と被告が誤信してしまうような状況にあった」と判断した。

 まず、準強姦における「抗拒不能」とは、心理的・物理的に抵抗が著しく困難な状態のことです。本件の泥酔状態もその判断が問題になりますが、過去の判例では、抵抗がまったくできないような状況でなくてもよいとされています。これは、一般の強姦罪では、暴行や脅迫が被害者の抵抗を完全に封じてしまうほどの強いものでなくてもよいと解されており、準強姦罪でもこれと同じように解釈されています。裁判所が、泥酔していた女性について「抗拒不能」状態にあったと認めたということについては、違和感のない認定だったと思います。したがって、裁判所は、女性が客観的には性交について有効に同意できないような状態にあったということを前提にしています。

 問題は、女性が性交について積極的な拒否の意思を示さず、抵抗もしなかった(できなかった)ことを、「女性が許容している、と被告が誤信してしまうような状況にあった」と評価することの妥当性です。

 ところで、行為者の認識と客観的な事実に食い違いがある場合は、刑法学では〈錯誤〉の問題として議論されています。刑法は故意犯の処罰が原則ですが、故意とは〈犯罪事実の認識〉のことで、たとえば傷害罪でいえば、行為者が今から自分が実行しようとしている行為は〈人を傷つける行為だ〉と認識していれば、傷害の故意があったということになります。だから、マネキン人形を壊そうと思って石を投げたところ、それは〈マネキン人形(器物)〉ではなく〈人〉だったという場合は、傷害罪の故意はなく、過失傷害罪になります。この場合、行為者が軽率でほんの少しの注意を払っておれば〈人〉であると気づいたはずだったとしても、彼は現実には行為時に〈人〉とは認識していなかったわけですから、〈人を傷害するな〉という規範(ルール)を意識的に破った(←これが故意)といえず、なぜもっと注意しなかったのかという意味で過失責任が問われることになります。

 つまり、同意のない性交が強姦(犯罪)であって、同意のある性交は犯罪ではないというように、従来から〈被害者の同意〉がつねに犯罪性を左右する決定的な要素だと解されてきました(専門的にいえば、〈同意〉は強姦行為においてその不存在が要求される消極的な要素です)。したがって、同意の存在を誤信した場合には、上のマネキン人形の例のように、強姦についての犯罪事実の認識が欠けることになって、故意が否定されてきたのでした。しかも、強姦罪には、「過失強姦罪」のような条文は存在しませんので、故意が否定されれば、即無罪となるわけです。

 2017年に刑法の性犯罪規定は、大きな改正を経験しました。その背景には、性犯罪を個人の性的自由を侵す犯罪ととらえるよりも、人の性的尊厳を傷つける犯罪と見るべきだという意見が影響を与えました。性的自由を問題にすると、性犯罪が、被害者がどれだけ意思決定の自由を奪われたのかという量的な問題として矮小化されるおそれがあるからです。

 このような見方は、性犯罪における同意の意味にも影響を与えることになります。同意の要件は、性犯罪の中心に位置づけられるべきではありません。個人の性的尊厳を否定するような行為がなされたのかどうかが問題の入り口であって、被害者の同意はその規範的なマイナスをプラスに埋め合わせる要件とされるべきです。

 その上で、被害者が同意の存在を否定するならば、同意があったとの行為者の主張が客観的に納得できるかどうか、つまりその誤信に合理的な根拠があるのかどうかが吟味されなければなりません。このような考え方は決して新しいものではなく、すでに最高裁(昭和44年6月25日判決)が名誉毀損罪で採用している考え方なのです(たとえば、ある政治家がワイロをもらっていると信じて報道し、それが結果的に誤報だったならば当然名誉毀損が問題になるのですが、最高裁は、確実な資料・根拠に照らして誤信したことに相当の理由があれば、名誉毀損の故意がなくなり無罪となるとしています)。

裁判所が被告人の誤信に合理性があると考えるなら、もう少し説得的に納得できるように説明すべきであったのではないかと思います。

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