朗読が表現になるためには、2つの先入観の否定が必要だ。(1)朗読とは文章を読むことではない。文章ではなく作品の表現なのだ。ことばが声の響きとして作品になるのだ。(2)朗読とは人に伝えるものではない。伝わるのは声と音韻の観念ばかりである。読み手が自らのために作品を声で描き出すことなのだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2019年3月30日
「あなたのために読みます」「あなたのために歌います」という言い方に胡散臭さを感じるかどうか。受け手を巻き込んだ物言いは自らの責任回避の言い訳である。ここに表現というものの本質がある。自らの表現をとことんつきつめて自ら責任を取るのか、それとも評価を他人に委ねるのかという対立である。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) March 31, 2019