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大久保や、弟の西郷従道、従兄弟の大山巌吉井友実、川村純義・・・等は、桐野利秋ほどには、西郷という人格を理解していなかった。彼等はは、上昇志向型の俗物だった。西郷も桐野も、そういう俗物を嫌悪していた。「南洲墓地」で、西郷のまわりに眠っている桐野利秋村田新八別府晋介、そして無名の少年兵士たちだけが、西郷という人格と精神を理解し、共有していたのだ。大久保利通は、西郷に遅れること一年後に石川藩士・島田七郎に虐殺され、そして川路利良は二年後に病死している。「 神殺し」の下手人として死んだのであろう。大久保利通川路利良も、南洲墓地に眠るることはできない。どんなに西郷の「竹馬の友」であろうとも、住む世界も、死後の世界も異なる。

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 法制史学の重要性を世間に向けてアピールし関心と理解を喚起することは、もとより必要なことでしょう。学問研究は、本来は研究それ自体を目的になされるのかもしれませんが、単に暇つぶしの好古趣味であるかのように思われては、生存領域がどんどん狭められ絶滅の道を歩むことになりかねません。かといって、即時の実用性や新奇性を求められるままにその場しのぎの対応を繰り返してばかりいては、地味な基礎研究が痩せ細り、長期的により大きな危険を冒すことになります。
 今何よりも大切なのは、基礎的な営為を枉げることなく保つことでしょう。世界が大きな変革期にさしかかっている今だからこそ、従前自明とされていたことがらを基礎に遡って問い直し捉え直す研究は、いっそう重要な意味を持つはずです。法学と歴史学に基礎を置く法制史学のディシプリンの根幹を強く意識し、しかし狭い専門領域に引き籠り孤立するのではなく、関連諸分野との緊張関係を意識的に保つことによって、学問分野としての存立を鋭く磨き上げることが、今我々にできること、なすべきことに他なりません。